閑話  和子の場合  ①

 家族についてブラジルまでやって来てしまった和子は、シャカラベンダ農場で働きだして一年となる。船でも一緒になった美代や信子が居たので心強かったし、農場には雪江や珠子という年齢がそれなりに近い娘もいた為、和子はなるべく女の子たちと一緒に居るようにしようと心に決めていたのだった。


 和子の目は生まれつき、右目はきちんとした方向を見ているというのに、左目の向きが離れてしまう。大人は『やぶ睨みの目』などと呼ぶのだけれど、少し変わった目をしているのだった。


 その所為で仲間外れにされることも多いのだけれど、ある時から目が理由で虐められることがなくなった。それは何故かと言うのなら、

「和子ちゃんの目、私は可愛いと思うな!」

 と、従姉の明子お姉さんが言い出したからだった。


 明子お姉さんの家はお金持ちの商家で、顔立ちも美しいお姉さんはみんなの人気者。そんなお姉さんのお気に入りとなった和子を、まわりも馬鹿にするようなことは言わなくなったのだった。


「和子ちゃんは明るくなくちゃ駄目よ」

 明子お姉さんは着せ替え人形のように可愛らしい洋服を和子に着せながら、楽しそうに言っていた。

「卑屈が一番駄目なのよ、明るく楽しく生きなくちゃね!」

 お姉さんがお下がりでくれた洋服はとても可愛くて、和子は近所で一番お洒落な女の子になったのだが、

「お前の目、おかしくない?変だよな?」

 と、言い出す男の子がいなくなることはない。


「うるさいわね!変なこと言わないでよ!」

「可愛いじゃない!」


 だけど周りの女の子たちがそう言って和子を庇ってくれたから、和子は女の子の集団からは外れないようにしようと心に決めていた。


 和子の家もまた、明子お姉さんの家と同じようにお金持ちの家だったのだ。戦争が始まるまでのことになるけれど、日本がロシアとの戦争に参加するようになって不景気になるまでは、何不自由ない生活を送っていたのだ。


 ブラジルまで行ってお金を稼ぐんだと父が言い出して、船に乗って家族で移動をすることになったのだけれど、船の中にはお金持ちも貧乏人も居て、今まで見たことがないような人にも出会うことになる。


 やぶ睨みの和子はやっぱりちょっと変わっていたので、年頃の女の子たちの後ろに隠れるようにしていたけれど、可愛らしい素振りを心掛けながら、暗くならず、明るく朗らかに過ごすようにと心がけた。


 美代が無口な信子のことを、

「金魚の糞!」

 と言うことがあるのだけれど、金魚の糞と言われるべきなのは和子の方だった。なにしろ和子は自分のことを悪く言われたくないから、なるべく笑顔で愛嬌があるようなことを言いながら、誰かの背中に隠れていることが多いから。


 美代は無口な信子を馬鹿にしているところがあるけれど、和子は信子がしっかりと物事をよく考えている娘だということには気が付いていた。


 美代と和子と一緒に信子が行動をするのは、ただただ都合が良かったから。女の子と一緒に居れば親も心配しないだろうと考えてのことなのだ。


 目のことで何かを言われたくない和子は、

「そんな不細工な顔で媚びるように笑われても困るだけなんだけど〜」

 と、雪江に言われた時にも、

「不細工だから、どんな風に顔を変えても所詮は不細工なんだよね!」

 と答えて、笑って誤魔化した。


 とにかく波風立てずに過ごせればそれで良いので、女の子たちの自慢話をただただ羨ましいそうに聞くのは和子の得意技でもある。とにかく、女の子のグループの中に紛れ込み、楽しく過ごせればそれでいい。


「そろそろ結婚相手を探さなくっちゃ〜!」


 と、年頃の女の子たちは言い出しているけれど、自分に結婚はないなと和子は思っていた。だって、自分の目は他の人とはちょっと違うから。他とちょっと違うというだけで嫌悪感を向けられることは良くあることなのだ。


「君、いつも珠子ちゃんと一緒に居る娘だよね?」


 その日、片付けに手間取って洗濯をする時間がずれ込んでしまった和子が、一人で川に衣類を運んでいると、後ろから茂が声をかけて来たのだった。


 茂は配耕されたばかりの頃に、徒党を組んで源蔵さんの家へと押し入り、罰としてカマラーダの仕事をやらされたものの、その後も珈琲農園の方へは戻らずに、独立してカマラーダの仕事を続けることになった四人組の一人となる若者だ。


「あのさ、珠子ちゃん、大丈夫かな?」

 和子と同じように洗濯物を運んできた茂は、器用に石鹸を使って洗いながら和子に問いかけて来たのだった。


「あの・・大丈夫ってどういうことでしょうか?」

「噂、聞いてない?」

「ああ・・噂ですよね・・」


 和子は茂の方を見ないようにして俯きながら、思わずため息を吐き出してしまった。

「珠子ちゃんがブラジル人からお金を貰っているとか何とか、根も葉もないことを面白おかしく喋っていますよね」


 珠子は日本人の中でも完全に『枠から外れた人』だった。意地悪な家族がなるべく日本人との交流をさせないように仕向けたところ、日本人以外との交流をしなければならなくなった珠子は、驚くほどに現地に溶け込んでいるのだった。


「私たち日本人ってとかく自分たちの世界に閉じこもりたいとか、余所者は招き入れたくないっていう意識が強くって。ブラジルなんていう遠い国にまでやって来ているのに、外には出て行かずに中に引きこもって、そこでチマチマミチミチやりながら、自分たちの中の異物を排除するっていう時だけは、喜び勇んでいるんです」


 珠子が男と寝て金を取っているだなんて根も葉もない噂が蔓延したのは、新しく来た日本人労働者が深く関わっているのは間違いない。新労働者が間違ったことを信じようとしているのなら、旧労働者がその間違いを指摘するべきなのに、指摘もせずに傍観する。なんならその噂に尾鰭背鰭をつけて楽しんでしまう。何故なら、今までブラジル人と親密な関係を築いた珠子に嫉妬している部分もあるからだ。


「君はどうするの?農場までの往復を珠子ちゃんと一緒にしているんだろう?」

「私ですか?」


 どうするのと言われても、やることは最初から決まっている。たった一人の日本人の女の子のことだからといって無礼講で何でも許されるような雰囲気が、和子は本当に大嫌いだった。


「珠子ちゃんが襲われないように、親も巻き込んで一緒に移動してやりますよ。珠子ちゃんの親は完全に当てにならないから、私の親を使ってやるの」


 洗濯をしていた和子は顔を上げて茂の方を見上げながら言い出した。


「私、こんな目だから、誰かがそういうことをやり始めると、次に自分の出番がやってくるということを十分に理解しているの」


 和子は衣服を洗濯板に叩きつけながら言い出した。


「だから、始まって欲しくない。珠子ちゃんが暴力を振るわれるようなことになって欲しくない。だからこそ、信子ちゃんとつるんで抑止力になっているんです」


 可愛いと持て囃される雪江や美代とつるんでいた和子だったけれど、今は二人の近くには近寄ろうともしない。


 二人の周りには日本人の若い衆が取り巻くような形でいつも居るから近づきたくない。絶対に目のことで何かを言われることになるのだから。


「あのさぁ、本当に悪いんだけどしばらくの間、今までと同じように珠子ちゃんのことを気遣ってやってくれるかな?」

「え?気遣う?」


「松蔵さん、あの人、森に入っちゃってなかなか戻って来ないんだけど、自分が居ない間は珠子ちゃんのこと気を付けてくれってわざわざ俺たちに言いに来たんだよね。だけど俺たちが珠子ちゃんに近づくと、うるさい女の子たちが、俺たちが珠子ちゃんの愛人だとか、色目使ったとか言い出して大騒ぎをするから近づけなくて」


「それはもちろん問題ないんだけど・・」

「ボアタルジシゲ、トドボン?」


 遅い時間になってから洗濯に来ていたので、ブラジル人の奥さんたちが洗濯にやって来る時間になってしまったようだ。日本人はブラジル人と極力顔を合わせたくないから、仕事を終えてかなり早い時間に洗濯に訪れる、和子は今日は、かなり遅い時間に洗濯に来てしまったため、ブラジル人と鉢合わせすることになってしまったようだ。




    *************************



 農場の生活では、実は洗濯は仕事を終えた夕方から始めるものでした。農場の中を流れる川で洗濯をして、芝生の上に広げる形で干していた場合も多いようです。朝は食事の準備だけで、到底洗濯をする時間はなかったわけです。本日19時にもう一話更新します!


ブラジル移民の生活を交えながらのサスペンスです。ドロドロ、ギタギタが始まっていきますが、当時、日系移民の方々はこーんなに大変だったの?というエピソードも入れていきますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです!

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