第37話  百合子さんったら!

 戦後の不景気で失業した日本人たちを何とかして(ブラジルへ追い出して)やろうと考えた日本政府や移民公社の口車に乗って、大勢の日本人が遥かブラジルまで運ばれて来たわけなんですけれども、みんながみんな、珈琲豆の収穫の時期に合わせて運ばれて来たわけじゃないんです。


 珈琲農場で働く労働力として日本人に働いてもらいたい現地側と、ブラジルでちょっと働いただけで一攫千金が可能なのだろうと考えてやって来た日本人。


 あのですね、珈琲農場で一攫千金なんて出来るわけがありません。奴隷に代わる労働力として望まれているわけですし、そもそも渡航費の一部負担を契約者側も払っている形になるわけで、

「安い値段で働いてくれる日本人たちよ、来てくれて有り難う!」

 くらいな感じですよ。


「珠子!今日の晩御飯、松さんのところに持って行っても良いかしら?」


 私の姉の増子は、今日も今日とて、カマラーダとして働く松蔵さんのところへ食事を運ぶつもりでいるみたいです。豆と豚肉のクズ肉を煮込んだものとコウビという名前の塩とニンニクで炒めた葉もの野菜。それに、売店で購入してきたパンを皿に載せた姉は、自分の分も皿に乗っけて持っていきます。


 姉の夫である久平さんは、お隣の家で、百合子さんにご飯を振舞ってもらっているので今日もご飯はいらないみたいです。


 一人だけ残った母が、

「珠子、今日は中で食べても良いわよ?」

 と言って来たんだけど、

「いいえ、大丈夫です〜」

 と、答えて外に出た。


 昔は義父の辰三さんと、母と、姉夫婦と私の五人で食べていた食卓も、最近では母一人で食べるようになりました。一人じゃ物寂しく感じるのか、私に中で食べても良いなんて言って来るんですけど、絶対に食べません。グチグチと何の文句を言われるか分かったものじゃないですからね。


 使用人扱いの私が外で食べるのは当たり前。

「この娘は!わざとらしく外で食べて!当てつけのつもりなの!」

 憤慨した母がヒステリックに叫んでいるんですけど、この声はきっとお隣さんにも聞こえているでしょうね。


 姉の夫である久平さんはヒステリックな母娘がいる我が家からどんどんと遠のいて行って、最近では寝に帰って来るだけの状態となっています。珈琲豆の収穫の時期にはさすがにうちの珈琲畑の方にも手伝いには来ていたんですが、豆が収穫し終わったらお隣さんの管轄の珈琲畑に行ったまま帰ってきやしません。


「お母さん、別に久平さんなんか戻って来なくてもいいわよ」

 姉の増子は自分の夫にはすでに見切りをつけた様子で、

「カマラーダの仕事がひと段落ついたら、うちの畑の方を松蔵さんが手伝ってくれるって言っているから、それまでは私達で何とかしましょう」

 なんてことを言ってはいたんですけど、とにかく怠け者の二人なので、久平さんが抜けた負担は一気に私のところへのし掛かるようになったわけです。


 そうして今年二回目の配耕ということで、通詞の山倉さんが日本人労働者を連れて来たという時に、日本人たちのリーダーである徳三さんがデング熱に罹り、松蔵さんがオンサ(豹)を追って森へと入ってしまい、百合子さんは甥っ子二人を連れてサンパウロ中央都市へ出発することになってしまったのです。


 シャカラベンダ農場は中央都市からかなり離れた場所にある農場なので、日本人を配耕した後の荷車は空。だからこそ、幾ばくかのお金を払えば街まで連れて行って貰えるというようになっているのですが・・


「珠子ちゃん!珠子ちゃん!」


 お隣に住む百合子さんは出発前日に私の手の平の上に小さな小さな金の棒を握らせながら言いました。

「珠子ちゃんにはお世話になったから」

「えーっと・・」

「中央都市にいけば換金できるらしいから、年季が明けたら珠子ちゃんも中央都市までいらっしゃいな」

「え・・えーっと」

「私ね、リベルダージにある日本人が経営する商店で働くことになっているの」

「百合子さん、それじゃあ、久平兄さんと一緒にサンパウロまで?」

「まっさか〜!」


 百合子さんは私の肩を叩きながら明るく笑って言いました。

「埋蔵金だとか何とかで、うちに金が隠されているんじゃないかって今でも疑っている人がいるのだもの。用心棒代わりに置いておいただけよ〜」


「それじゃあ・・久平兄さんは?」

「置いて行くに決まっているじゃない!」

「えええ?」

「そもそも、久平さんって妻帯者じゃな〜い!」


 コロコロと笑った百合子さんは、私の耳元に口を寄せながら小声となって言いました。


「埋蔵金が本当にあったのかどうかは分からないけれど、家の中にはそこそこの量が残されていたのよ」


 百合子さんは源蔵さんの後妻で、二人の血の繋がらない甥っ子をお尻に敷いているような人なのですが、

「もしかしたら、埋蔵金は複数人で見つけて、みんなで山分けしたんじゃないかしら」

 と言って私を見つめます。


「最初はね、浮気女が痴情のもつれで夫を殺したのだろうと思ったのだけど、埋蔵金絡みで殺されたのかもしれないわ」

「え・・源蔵さんが浮気?」

 ちょっと想像がつきません、あのでっぷりと太った源蔵さんが浮気?


「源蔵さんって、いつもパリッとしたシャツを着て、お金の払いなんかも良いから、あんなんでも女性に人気があったりするのよ」

「え〜?でも、ブラジルに来て浮気とか・・そんなの・・出来ます〜?」

「出来るのよ、というか出来ていたのよ」


 百合子さんは真面目な顔で言いました。


「資金力がある男は輝いて見えるのは何処に行っても同じなのよ。あの人、お金はあるように見えたものだから、私を追い出して後釜に座ってやろうみたいな人も居たの!」


「ええ〜?」 

「信じられなくても本当なの!それで、痴情のもつれで女性に殺されたのかと思っていたのだけれど、実は埋蔵金関連かも?」

 百合子さんはブルブルッと震えると、

「どう考えてもこの農場は危ないから、さっさと逃げ出すことにしたの」

と、私の肩を優しく撫でながら言いました。


「だからね、珠子ちゃんも、くれぐれも気をつけてね」 

「えーっと」

「嫌になって農場を逃げ出したら、サンパウロのリベルダージまで来なさい。そこには日本人が集まるようにして住み始めているそうだから、すぐに私を見付けられると思うから」


「あの・・リベルダージってどんな場所なんですか?」

 私の問いかけに、百合子さんは自分の指を顎に当てると言いました。

「元々は死刑場だった場所らしいわね」


 何それ、こっわ!


 最後に小さな延棒を私に握らせてくれた百合子さんだけど、本当にあっさりと、久平兄さんを捨て置いて中央都市へと旅立って行ってしまったわけですよ。


 うちの農場には年季が明けた(契約労働期間が終了した)日本人労働者がまだ居るんだけど、移動するのに手持ちの資金が心許ないということで農場に残る人がほとんどで、結局移動をしたのは百合子さんたちと、もうひと家族だけとなったんです。


 私はまだ年季が半年以上あるので、移動なんて出来るわけがないんですけど・・


「何で帰って来ているの?帰って来なくていいわよ!あんたなんか出て行ったらいいんだわ!」

「はあ?なんだって?ここは僕の家なんだ!戻って来て何が悪いんだよ!」

「堂々と浮気をしておいて何を言ってんの?頭が腐っているんじゃないの?」

「そういう君だって浮気しているだろ!ことあるごとに松さ〜ん!松さ〜んって!僕が知らないとでも思っているのか?」

「私は松さんとは何もないもの!清廉潔白です!」

「よくもまあそんな嘘を」

「はあ?嘘じゃありません!」

「なんなんだその態度!」


 ガターンッ バターンッ


「やめなさい!二人ともやめなさい!」

 百合子さんたら!私に金の延棒をプレゼントしてくれるのは有り難かったけど、久平兄さんは一緒に連れて行って貰いたかったな〜。

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