第22話  ナオンテンジェイト文化

「騙されたってことがすぐに分かる」

「無茶苦茶だよ」

「どうしてこんなことになっちゃったのかな」


 サントス港の近くにある施設で生活をしている間は、全く何の問題もなく快適に過ごせていたというのに、農場に移動してからガラリと変わった生活に、みんながみんな、呆然として現実を受け入れられないような状態になっていたわけだ。


 到着して、ちょっと前まで奴隷が使っていたなんていう家にみんなが案内されている間、日本人が作っている畑が居住区の外にあるって言うので行ってみれば、獣に腹を食い破られているとはいえ明らかに刺されて殺された遺体が一体、転がっていたわけだよ。


 日本人のおじさんが刺されて殺されたってことよりも、おじさんが握り締めている金の方にみんなの意識は行っちゃって、誰が犯人なんだとか、どうして殺されたんだろうかとか、全然、考えもしないんだもんな。


 遺体が発見されようが、誰かが殺されようが、騙されてブラジルまでやって来て、実は奴隷の代わりの労働力として見込まれてここまで運ばれて来ちゃったんだっていう事実にパニックになっている日本人を落ち着かせるために歓迎会が開かれて・・


 みんなで料理を持ち寄って食べたり飲んだりしている間も、誰が殺したんだ?とか、そんな話にもならず、そうして翌朝になればまた一人、日本人のおじさんが頭をかち割られた状態で殺されていたわけだよ。


 疫病を防ぐために遺体はすぐに土の中に埋めてくださいってことなんだけどさ。農場主に言われているし、ブラジル政府も遺体の扱いはそうするように決めているってことなんだけど・・えっ?本当にそれで良いの?っていう感じだよ。本当に不思議で仕方がないんだけど、誰が殺したんだって誰も追及しないんだよね。


 まるで、殺されたなんて事実は最初から無かったみたいに、誰かに殺されたっていう事実よりも、よっぽど金の方が大事みたいで、挙げ句の果てには殺された人の家にまだ金が隠されているのではないかってことで、日本人の若者たちが襲撃をする始末だもの。


「松蔵さん、それってナオンテンジェイト文化って言うんだよ」


 昨夜、僕の家(粗末な掘立小屋)に泊まった珠子ちゃんは、壊れかけた竈に火を入れて放置されていた鍋でお湯を沸かしながら言い出した。


「ナオンテン(持っていない)ジェイト(方法を)、要するに仕方がないってことなんだけど、ブラジル人はしょっちゅう、ナオンテンジェイトって言うんだよね」


「人が殺されているのに、仕方がない文化ってどうなの?」


 やっぱり僕には納得がいかない。すると、前の住人が使っていたと思われる二つのコップに白湯を注ぎながら珠子ちゃんが言い出した。


「前にも言ったけど、ここに移動して来てから多くの日本人がお亡くなりになったんだよ。最初はお金もないから満足に食べることも出来なくって、ここにはマラリアとかデンギ(危ない蚊のこと)とかいるし、ジャカレ(ワニ)とかオンサ(豹)とかもいるし。『死』が身近にあるからこそ、ナオンテンジェイトになっちゃうのかな・・」


「いやいやいや、僕なんか戦地に行っているからここよりもよっぽど『死』が身近だったと思うけど、軍内部で殺人なんかあった日には、徹底して捜査をすることになるよ。だって犯人を見つけないと、いつ自分が背中から撃たれることになるか分かったものじゃないからね?」


「ここで背中から撃たれることはないと思うけど」

「背中から刺されるかも!」

「うーん」


 珠子ちゃんの様子を見ていると、なんだか実感が湧いていないような感じなんだよなぁ。思考が停止しちゃっているっていうか、何というか。


「まあ、大丈夫だよ」

 何が?


「今はとにかく珈琲豆の収穫で大変な時期だから、殺した犯人を探すにしても、もっと落ち着いてからってことになると思うし」

 もっと落ち着いてからって遅すぎない?それに、それっていつ?本当に探す気あるの?


「まあ、松蔵さんには言っておくけど、ここではとにかく死んだら終わりなんだ。だからこそ、仕方がないで終わっちゃうの。つまりはナオンテンジェイト文化ってやつ」


「恐ろしいな、ナオンテンジェイト文化」


 そうして珠子ちゃんは自分の家に帰って行ってしまったんだけど(彼女の家では、母や姉は一切の家事をやらないらしいし、夜に珠子ちゃんが居なくても一切気にすることはないらしい)釈然としない思いが僕の胸中には残り続けることになったわけだ。


 胸を刺された上に、獣に喰い荒らされた一人目の遺体。斧で頭をカチ割られた二人目の遺体。連続して死体が発見されたその日のうちに、若い日本人労働者たちが暴れた所為で何もかも有耶無耶になっていくような雰囲気を感じるんだけど、そんなので良いのだろうか?また誰かが殺されたらどうするつもりなのだろうか?


 この日からカマラーダ(よく分からないけれど、賃金労働者という扱いらしい)で働くことになった僕が職場まで行くと、用意された朝食のパンを同じように用意されていた珈琲と一緒に食べていた山倉さんが、こちらの方を振り返って笑顔を浮かべたわけだ。


 カマラーダは三食食事付きで、昼食が一番豪華になるらしいんだけど、とにかく朝はパンと珈琲が用意されているんだって。


「おはようございます、山倉さん」

「ボンジーア、セニョールカンバラ」


 通詞の山倉さんはわざわざポルトガル語で返事をしているんだけど、そういうのはもういいからって感じで、僕は山倉さんの隣に腰をかけると言い出したわけだ。


「あの、山倉さん、二人も連続して殺されたっていうのに、このままで良いんですか?まさか、本当に、ナオンテンジェイト文化ってことで、犯人探しもしないままで終わっちゃうわけじゃないですよね?」


 コーヒーカップを手に持っていた山倉さんは、ちょっと驚いた様子で目を見開くと、

「ナオンテンジェイト文化ですか・・それって言い得て妙というか・・素晴らしい言い回しですね〜」

 と、呑気な調子で言い出したのだった。 




   ******************************



 ナオンテンジェイト(他に方法がない、仕方がない)はブラジルで頻回に出てくるワードなんですけれども、日本でも最近、ナオンテンジェイト多くないですか?税金高いの仕方がない。政治家がパーティーやるの仕方がない。物価が高いのも仕方がないし、日銀がゼロ金利政策に終止符を打つのも仕方がない。何でも仕方がないで世の中が進んでいく有様を見ていると・・仕方ないで終わらせるなー!!と、声を大にして言いたくなりますよね。


このお話は毎日18時に更新しています。

最初はブラジル移民の説明の回がしばらく続きますが、此処からドロドロ、ギタギタが始まっていきます!当時、日系移民の方々はこーんなに大変だったの?というエピソードも入れていきますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る