第9話  みんなで飲もうよ

今回松蔵さん達が乗って来た第6便「若狭丸」には日本人1588名が乗っていたそうです。そのうちの8家族38名がシャカラベンダ農場に配耕、皆さん意気消沈して顔色が良くありません。


 みんな大概、掘立小屋(奴隷小屋)を前にして愕然とするわけですよ。ここで自暴自棄になって暴れたり、脱走したりすると、我々日本人の待遇もますます悪いものになったりするので、まあ、まあ、お互い騙された者同士、頑張って行きましょうよという意味での歓迎会を開くようにしているわけです。


 日本人のリーダー的存在になっている徳三おじさんの家の前が、少し切り開かれた広場みたいになっているので、そこに各家庭で食べ物やお酒なんかを持ち寄って、歓迎の宴が開かれることになるわけです。


 流石に渡伯して二年も経つので、各家庭で鶏だって飼っていますし、余裕がある家は豚も飼っているんですよね。外作地では野菜も作っているので、結構なご馳走を用意出来るようになりました。


 鶏肉や野菜と一緒に炊いたものにパパイヤの漬物、マンジョッカ芋を揚げたものなどがふるまわれ、サトウキビの焼酎が配られて、酔いも相当にまわってきた頃に旧住民による牽制が始まるってわけです。


「まあだ、あんたさん達は良い方なんだって。儂は第一回の笠戸丸で来た時には、船に乗るのに金が必要で、親族を泣かせて借金までしてここにやって来たんだよ」


 一番悲惨な状況となったのが『笠戸丸』で来た人たちなのは間違い無いです。


「一回目に配耕になった農場がそりゃあ酷い農場でなあ、土壁で出来た掘立小屋。これを現地の人間はアフリカの家なんて呼んでいるんだが、屋根はバナナの葉を仰山重ねて作っていた。バナナの葉の屋根だぞ?わかるか?」


「到着した年のコーヒーは不作な上に、私らの到着も遅かったものだから、コーヒーの収穫も半分方終わっていたね」


「更にはコーヒーの収穫ゆうてどうやって採ればいいか分からん。いくら働いても働いても、一家族で一日54銭ほどしか稼げなくてなあ」


「54銭?人力車夫の日給と同じやないの」

「ほんまにその通り」


「ブラジルで働けば、金がどんどんと湧くようにして儲かる言われて来たのに、自分達が食べたりするので金がどんどん出ていく始末だし」


「私なんて印刷工場やっとりまして、これでも小さい工場ながらも社長しとったんですよ。それがこっち来たら牛か馬みたいな生活をせなならん」


「しかも農場の監督が酷い奴で、鞭でぶったたかれたのは忘れられません」


 一応、シャカラベンダの人は鞭で打つようなことはないので、まだマシなのかなって話になるわけですよ。とにかく、奴隷の代わりの労働力として日本人達は連れて来られたので、使っている側も、奴隷と同じように使って良いと思い込んでいる人も多かったんですよね。


 男達がカシャッサ(サトウキビの焼酎)片手にぐちぐちぐちぐち文句を言っている間、女達が何をしているのかというと、男達が食べるのに困らないように給仕をしなくちゃあならないわけです。


 森の中にもたくさん自生しているマンジョッカ芋なんですけれども、これは茹でたり、油で揚げたりして食べるわけです。なにしろ掘って来て食べる分には無料なので、我々日本人の貴重な食糧源ということになっています。


 このマンジョッカ芋を大皿に乗せて私が運んでいると、カシャッサをちびちびと飲んでいた松蔵さんが手をあげて手招きしました。


「なあに?焼酎足りなかった?」

 あんまりガヤガヤとうるさいので松蔵さんの方へ顔を近づけて問いかけると、私の可愛いお尻をさらりと撫でる無骨の手が一つ。


 振り返ると、酒で顔を真っ赤にした作太郎いう親父がにたにたと笑っているではありませんか。私の頭の血管はこの時はぶちぶちと音をたてて切れました。


「おい作太郎!今度人のケツに気軽に触るような事をしてみろ?てめえのその剥げあがった頭に薪割りの斧をぶち込んでやるからな!」


 作太郎という男は、とにかく油断ならない男なわけです。

 前の農場では年若い女性を手籠にしたとか何とかで、それが問題になってうちの農場に移動して来た奴なんですよ。


 太った中年の親父はヒッヒッヒッと卑しい笑みを浮かべながら言い出した。


「わしはよお、酷い有様の死体を見つけてしまった珠子ちゃんを慰めてあげようとしただけじゃないか。そんなわしをぶち殺すなんてそら恐ろしい女子だのお」


「恐ろしいと思うんなら早よ去ねや!」


「キョトイ、キョトイ、お兄さんもこの女子には気を付けた方がいいよ。可愛い顔しとるくせに中には修羅が住んでるからね」


 こいつがとにかくタチが悪いということは皆さん知っていることなので、私が罵声を浴びせても周囲は『はいはい』程度で済んでいます。だけど、久しぶりに再開した松蔵さんは、

「珠ちゃん、成長したんだね・・・」

 と、驚きと感動の声をあげておりますわ。


 これ以上、作太郎に絡まれないようにと配慮した徳三おじさんが、話題を変えるように言い出した。


「新しく来た皆さんとしては、ここに配耕されて色々と思うところがあったとは思うんですけども、前はもっと大変だったんだ。特に皇国殖民会社で働いていた人達は滅茶苦茶だったでしょう?」


そうおじさんに話を向けられた山倉さんは、カシャッサを一気に煽るように飲みました。


「サンパウロの農務長官と移民受け入れの契約をしたのが1907年11月。それで翌年の5月には家族移民千人をサントス港まで輸送しろって言われたんですよ」


 これが第一回の笠戸丸という船になるのですが、酷い詐欺が行われたのです。


「その時は移民船に乗るのにお金も払う必要があったというのに、船に乗り込んだら船の中は危ないということで、皆んなのお金を預かるんだと上司が言い出しまして」


「「「それで金が返って来なかったもんね」」」

「「「はあ?」」」


「第一回移民船の笠戸丸をチャーターするのに五万円の保証金納付が出来なくて、三万円の残金を残した状態で農務長官のゴリ押しで四月二八日に神戸を出航したんです」


『八方ふさがりの農村と海外発展に千万石の清風を吹き送ったもの』なんてことを言われながら、第一回目から壮大な詐欺による金銭の強奪が行われる事になったんです。


 労働力として日本人が欲しいと言い出しているサンパウロ政府は、渡航に際しての州政府負担額を後払いにしたわけです。そんなわけで、農務長官から仕事を請け負った皇国殖民会社は移民船の借金の支払いのために、船に乗り込んだ日本人たちから大事に預かっておくと言って徴収したお金に手を出したってわけですね。


「本当は返すつもりだったんですけども、色々とあって返せなくなって」

「「「何をどう言おうと儂らの金を盗んだのに代わりはねえ!」」」

「今更何を言っても仕方ないですよ。皇国殖民会社はなくなってしまったんですから」


 とにかくね、一回目の船に乗った人たちはとんでもない目に遭ったんです。船のレンタル代を支払うために、有り金全部を問答無用で使われちゃったってことになるんですから。こういう政策は政府主導でやっているんだから、労働者のお金じゃなくて、政府のお金で補填しろよって思っちゃいますとも。


「まあ、何にせよ今はいいですよ・・今は・・だからね・・飲みましょう」


 そう言ってカシャッサが入ったコップを徳三おじさんが掲げると、みんな黙ってコップを掲げました。そう、ここまで来たら飲むしかないんです。






    *************************



このお話は毎日18時に更新しています。

物語の性質上、ブラジル移民の説明の会がしばらく続きますが、ドロドロ、ギタギタがそのうち始まっていきますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです!

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