第31話 キサラの尾張の滞在記録。その①


秋の風も冷たくなりそろそろ冬の到来を予感させる季節、キサラが吉法師の教育指導を始めて14日ほどが経った那古屋城の廊下で一人の老臣が吉法師とすれ違おうとしていた。


「これは若、町にお出かけですかな?」


「おお、爺か。勤めご苦労。寒くなってきた故、風邪など引かぬよう身体を厭えよ」


 立ち止まり声を掛けたのは平手政秀。

 吉法師の傅役である。

 それに応対する吉法師は物腰柔らかく、細かい気づかいをもって応えた。


「儂の様な老骨に斯様なお心遣いを頂き、感謝の極みでございます」


「ふ、大げさだぞ爺。爺の様な忠臣を労うのは当然の事ではないか。それが分からなかった以前の俺は本当にうつけだったわ」


 吉法師がそういうと皴の寄った目尻に涙を浮かべる平手政秀。


「おぉぉ! 傅役生活10年! あの若がこの爺を労わってくだされるお言葉をかけてくださるとは!」


 おんおんと男泣きする忠臣に思わず一歩引く吉法師少年。

 政秀にそこまでされるとは、これまでの己の行動が途端に恥ずかしくなった。

 なにせ、これまでの性格を矯正するまでにキサラに叩かれ続ける事、実に108回。煩悩と同じ数だけ地獄の様な痛みを味合わねば治らなかった程のひねくれようだったのである。


「どうした。人の部屋の前で騒々しい」


 襖の戸が開いてキサラが顔を出す。

 開いた隙間から中を覗けば人が一人丁度入れそうな白い箱が置いてあった。


「キサラ殿! この平手政秀! 貴女に対して感謝の言葉を述べきれませぬ!」


 政秀の感激の矛先が今度は功労者であるキサラに向いた。

 そして話を聞けば、


「アンタ、平手爺にここまで言わせるなんて、前はどれだけ酷かったんだ?」


 キサラが矯正してきただけにその有様は理解しているが、キサラ以外が見ていた吉法師の姿とは他の人間が見た場合においてどんな風に思われていたのか伺いたくなる。


「こ、これは爺が大袈裟なだけな気がするのだが……そ、それよりもあれは、何だ? 一両日部屋に閉じこもっておったようだが?」


 明らかな話のすり替えであるが、キサラはそれに素直に乗る。過ぎたことで相手を嬲り倒す主義ではないからだ。


「あれは、温度保全箱だ」


「温度保全箱、とな?」


「うむ。箱の中は設定した温度に常に一定で保たれる魔法の道具だ。大体は食材が悪くならないように低温で保管しておくために使われるな」


 菊幢丸がいれば冷蔵庫だ! と叫びそうであるがここにはいないし、この温度保全箱は温度をマイナスにもプラスにも出来るので完全な冷蔵庫ではない。


「ほぉ、食い物が腐りにくくなるのか? どれぐらいだ?」


「生魚でも温度次第で早めに食べるなら夏場でも2日くらいか、氷漬けにしてしまえばそれこそ何十日も保てるな」


「なんと!? それは凄いな! 漁で獲った魚をそれに放り込めば何日も塩漬けや干物にした魚じゃないものが食えるか!」


 と吉法師が驚いてる間に、正常運転に戻った政秀が問いかけた。


「それで、何故、このような優れた物をお造りになられたのですかな?」


「ああ、知らせで幕府で宿屋をやるらしくてな、食材を無駄にしないための道具が欲しいから作ってくれと言ってきたんだ」


 保全箱は大きさの違う3つの扉がありそれに一つずつツマミがついており、その具合を見ながら既定の温度調整が出来ているのを確認しながらキサラがそう答えると、政秀が首を傾げる。


「幕府で宿を? それは何故に……」


「そういう事か。幕府の産物を諸国に広めるためにその宿で、旅人、特に商人らの度肝を抜いてやろうというのだな」


 吉法師が即座に意図を見抜いた。

 少し前から、幕府で売りに出すと珍しい食物がキサラに届けられてきていた。キサラは知っているようだったが、吉法師らには初めて見るものが多く、キサラの味見に付き合った彼らも虜になっていたのである。

 時には食材でなく料理が送られてくることもあって、それにも舌鼓を打って満足している。

 

「なあ、キサラよ。これをこの城にも置けぬか?」


「う~ん……売りに出すと決めた訳ではないらしいがな。寄贈用にするか噂が広まれば大金で取引されるかもしれんが、現状で他所に作っておいていいのかアタシにも判断はつかないな」


「そうか……しかし、俺も親父も幕府に忠誠を誓っているのだ、何とか便宜を図れぬか?」


 どこまでも未練がましい吉法師であるが、それを受けてキサラは念話を発動させる。


(菊幢丸、今いいか?)


(ん? キサラ? 大丈夫だけど何かあった?)


(大したことじゃない。頼まれていた温度保全箱が完成したんだが、それを吉法師も欲しがってな、どうしたものかと相談したい)


(……ああ、信長なら珍しい物は欲しがるだろうし、道具の利便性も理解できるだろうからね……いいよ、上げちゃっても。こっちはまだ旅籠の建物も建ってないし。キサラの判断で協力的な相手にはどんどん恩を売っちゃってさ)


 キサラの人を見る目を信用している菊幢丸は、その辺を一任した。

 キサラの事で不安に思う事は今の所金銭問題くらいだろう。


(そうか。なら、アタシの方で適宜取り計らっていこう)


 そこまで通話すると、物欲しそうに保全箱を眺めたり、蓋を開けたりしている吉法師に向き直る。


「菊幢丸から許可をとった。それはお前にやろう」


「本当か!? 後で返せと言っても絶対に返さぬぞ!」


 途端に喜色満面になる吉法師。

 その様な姿を見ると、まだまだ子供だなと思うキサラであった。

 尤も、実はこれが織田信長と言う人物のデフォルトだという事は、魔法で精査しない限りキサラにも分からない事であったりもする。


「よし、さっそく厨に運ぼうではないか」


 すかさず保全箱にとりつく吉法師であったが、その重さにビクともしない。

 

「ム……ぎぎぎっ!!」


「若、その様に力を入れられては腰を痛めてしまいまするぞ。ここは爺にお任せあれ」


「平手爺。アンタが持とうとしたら、それこそ腰を痛める、やめておけ」


 と、横からキサラがひょいっと肝心の箱を片手で持ちあげる。

 普通に見て箱の角端を掴んでるだけで、よく持ち上がる物だと気づけば驚かれる事だろう。

 そしてこのまま手に持ったまま厨まで移動するのには邪魔なので何時もの如く、タンクトップの中に仕舞うと、その間隙をついて何者かの手がそこへ突っ込まれた。

 その手は服の中でしっかりと何かを握りしめた。


「若!? 白昼堂々と女人の服の中に手を入れる等、由々しき問題になりまするぞ!?」


 犯人は吉法師だった。

 今やキサラに対してここまで堂々とした行いに出るのは菊幢丸でもしない。


「しかし。爺、気にならぬのか? あの大荷物が何故懐紙が如く懐に納まるのか?」


「気になりまする! 気になりまするが、初めて拝見した折に聞きそびれてしまった我々の負けでございまする」


「ああ、そうだな。あまりに自然に不自然な事をされて声を失ってしまったが故の敗因であるな。だが、分からぬを分からぬままにしてはならぬと外ならぬ、キサラから教えられた。故にだ、俺の行為は間違っていない、そうだな?」


 妙に自信にあふれた吉法師がキサラに尋ねる。


「そうだな。何事も分からない点を明らかにして予期せぬ出来事に対処できるようにするのは賢明だ。で、どうだ? 何かわかったか?」


「ああ、掌に納まりきらない豊かさにまるで吸い付く様な肌のきめ細やか、柔らかくも押せば押し返してくるもっちりとした弾力といい、これは良い物だ」


 いたって真面目に答える吉法師。

 だがすかさずに脳天に手刀一閃。

 

「うぐおおぉぉ! 真剣に答えたのに何故だぁぁぁ!?」


「馬鹿者。誰がアタシの胸の総評を訊ねたというのだ? 謎は解けたか聞いたのであろうが!」


 怒りと言うよりも呆れをその顔に滲ませたキサラが問うと、吉法師は首を左右した。


「さっぱりわからん。どういう絡繰りになっておるのか皆目見当がつかん!」


「威張って言う事ではないだろう……だが、そうだろうな。この魔法は一見して簡単に見えて、非常に高度な魔法技術で成り立っているからな。菊幢丸なら概念くらいは理解するかもしれないが、お前ではいくら頭の回転が速くても理解は及ばないだろうさ」


 このタンクトップに物を出し入れする秘密は服にはない。

 魔法の道具ではなく、れっきとした魔法で異空間収納というものだ。

 この世の何処でもない自身の隣の虚無空間に特別な場所を設けそこに超高度な魔法式を組み込んである。

 この異空間に物を突っ込むとあらゆる物がその状態のまま詳細な情報体に分解されて魔法式として保存される仕組みである。

 大きさも関係なく、状態も取り込んだ時のままの為、一切の変化を起こすことなく収納され、外部から破壊されることもないし、中に取り込まれると情報体にされてしまうために内部からの干渉も不可である絶対無敵領域なのである。

 因みに何故、キサラがタンクトップに仕舞うかの如く行動してるかと言うと、空間を展開した際に手を入れると自分の手も情報体に返還されて手首から先が消えてなくなるというシュールな光景を周りに見せないようにする配慮からである。

 かつて、アランフォードの優秀な魔法使いに教えた事もあるのだが、概要は理解したが構成する術式が難解すぎたため、完成できず、キサラ専用の魔法として知られている。

魔法先進世界でさえ、そんな扱いだけに、この世界のこの時代の人間に理解しろと言うだけ無茶であった。


「分からない事をそのままにしない姿勢は良しとしよう。だが、お前はサルか? 人間なら言葉で説明を求めるのだな。深く考えずに行動に出ると痛い目に遭うぞ」


 身をもって体験した吉法師は素直に頷いた。

 

「わかったら、早く厨に向かうぞ」


 さっさと歩きだすキサラの後を慌てて追う、吉法師と政秀。

 誰がこの城の主か分からなくなる一幕である。

 そして厨に着くなり、食材を置いてあるスペースを片付けるように指示を出し、空いた空間に保全箱を設置すると、厨方の料理人を集めて使用法のレクチャーをする。


「驚いた! こんな箱が食いもんを長く保管できるなんて!」


 料理人の一人が厨の連中の代弁をした。

 

「生ものも冷凍しておくと相当長持ちするぞ。魚や肉はすぐに調理しないならば凍らせた方が良いだろう」


 実演とばかりにイワシを一匹、保全箱に入れて、ツマミを左に目いっぱいに回してから押し込む。それから蓋を開けて菜箸で取り出すとカチコチに凍り付いたイワシが出てきた。キサラは瞬間に凍らした物に手で触れると危険であることも教えたので自分は平気だが箸を使って実演をしたのだ。

 

「おお!」


 と驚きの声が上がった。

 なお、この温度はバナナで釘が打てる程に低温になっている。

 逆に右に目いっぱいに回して同じことをやれば、イワシの形をした炭が出来上がるほどに高温にもなるが、使う事はないだろう。

 実際にどの温度で保全するのが良いのか、理解が追い付いていないだろうと、紙に素材と温度のメモリの位置を示した物を張り付けて設置は完了した。


 後日、名古屋城では時化で漁に出れない日でも塩漬けや干物以外に魚が食べられると話題になり、信秀が羨ましがって古渡城にも温度保全箱が何台も置かれることになった。

 

 




 


 


 


 

 




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戦国時代の魔法使い。異世界から来たけど帰れないので何とか生き抜きます。 魔法使いはとうに超えた人 @wasp1975

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