第二話 町屋事変 壱


 訃報が届いたのは、その日の夕方五時頃だった。

 隣に住む、一区の班長をしている川本さんから、茶屋町の元会長が、今朝に亡くなったという報告があった。六曜の兼ね合いもあり、さっそく今晩、自宅の屋敷で、通夜が執り行われるそうだ。

 

 「親父どうする?お供えのお菓子…」

 

 「そうだな…。とりあえず、明日用の最中を持っていくか…。おーい。雪たち!手伝ってくれ」

 

 順一は旬にそう告げ、訃報を聞いた雪乃と由美子は、急いで最中の袋詰めを始めた。

 

 通夜には、長谷川庵を代表して順一と旬が行くことになった。お偉いさんということもあって、自宅の屋敷は喪服姿の顔見知りで溢れかえっていた。

 順一と旬は、菓子折りを持って屋敷の中に入り、生前世話になったことを喪主の長男に告げ、霊前に手を合わせた。

 

 「外で茶でも飲んでってください」と長男に言われ、順一と旬は庭の外に建てられていたテントの下で、配られた茶を啜った。

 人が亡くなると、人は何故か噂話をしたがる。死人に口なしをいいことに、どういう死に方だったのか、とか、生前のよくない噂などを、年配のご老人たちがヒソヒソと話していた。

 

 「突然死やったんやって…」

 

 「え?そうなん?」

 

 「なんかな、ここだけの話やけど、最近、他県の観光開発を目論んでる建設会社の連中が、この辺ウロウロしとるらしいわー。新しいもん作りたいゆって」

 

 「ほーなん?」

 

 「んで、それを頑固反対しとったんのが元会長さんやったらしい。でもな、ここでお金が絡んどるさけ。どこまでが本当か分からんけども、黙らせる為に大金が乗せられたっちゅー話よ」

 

 「ほしたら?」

 

 「なーも、元会長はそんなんで承諾するわけないさかいにー。そしたらこれやもん…」

 

 老人たちは一斉に、窓の奥に見える元会長の遺影を見た。

 

 順一と旬は、何も言わず黙って茶を啜り続けた。もう少し詳しく聞きたいと、二人は聞き耳を立てていたのだが、ある大物社長と若旦那の登場で話はすり替えられた。

 

 「おっ、町屋のドンや」

 

 「あらまぁ〜、田上酒造の坊ちゃん。相変わらずお顔立ちがよいこと〜」

 

 「あの人、三十二やけどまだ独身やて」

 

 「ほうなん?なら、うちの孫娘を娶ってくれんかな?」

 

 『がははははっ』

 

 順一と旬は、大物社長こと田上酒造十一代目・田上善一朗と息子の悠一朗の颯爽と歩く姿を眺める。

 

 「相変わらず、悠一朗さんは人気なんだね〜」

 

 「まぁ、あんなけ男前なら仕方ないだろ」

 

 旬の独り言に、順一もボソッと続けた。

 

 「雪も早く、あんな男前を連れてきてくんねーかな…」

 

 「姉ちゃんには無理っしょ。全然男に興味なさそーだし」

 

 はー。と順一から溜め息が漏れる。順一は長年、雪乃がそれらしき異性を連れてこないことを心配していた。古い考えかもしれないが、娘には嫁いでもらいたいという思いが、順一の素直な親心だった。

 

 「とりあえず、田上酒造は付き合いあるから、頃合い見て、挨拶行くぞ」

 

 「はいよ」

 

 順一と旬は、飲み終わった湯呑み茶碗をバケツに入れ、田上善一朗と悠一朗の元へ向かった。挨拶を終えた二人が出てきたところを見計らって、順一が声を掛ける。

 

 「田上社長とご子息。こんばんは。お世話になります」

 

 「おぉ〜、長谷川庵の亭主。こちらこそ、いつも世話になって悪いね〜」

 

 「どうも、こんばんは」

 

 善一朗の後に続けて、悠一朗は神妙な面持ちで順一たちに挨拶をした。旬は、目の前にいる眉目秀麗な悠一朗をまじまじと見入ってしまい、それに気づいた悠一朗と目が合った。

 

 「…ん?何か?」

 

 「あぁ〜、い、いえいえ。悠一朗さん、今日もカッコいいなぁ〜っと思って、あはは〜」

 

 たじろぐ旬を見て、悠一朗は少し顔を緩ませて「そんなことないよ」と否定した。余裕のある話し方と落ち着いた声が、この町の女たちを虜にしているのか…、と旬は思った。

 

 「今日は、お二人なのかね?」

 

 「あ、はい。家内と娘は家に」

 

 「そうかい。今日はそれがいい。では、また引き続き、よろしく頼むよ。あ、近々また伺いますんで、長谷川庵に」

 

 善一朗はそう言って、順一の肩を優しく触った。悠一朗も、順一と旬にそれぞれ軽く頭を下げ、二人は横に並んで帰っていった。

 

 「旬。何、フワフワしてんだよ?」

 

 「いやぁ〜、悠一朗さん、カッコいいなぁって思って。『そんなことないよ』ん〜。どうやったら、あんな落ち着いた声出せるんかな〜」

 

 旬は、自分の喉仏を触りながら、悠一朗の声真似をしていた。

 

 「お前には無理だ。顔もな。ははっ」

 

 はー?酷くねー?親父〜、と言いながら、旬は先に歩いていく順一を追いかける。

 

 「なんかさ〜、気になるね〜、さっきの話」

 

 「さっきの話?よそもんがウロウロしとるって話か?」

 

 「うん」

 

 「まぁーな…。この辺で新事業は難しいだろう。一見さんお断りみたいな空気感が根強くあるし…。ま、その内消えるだろ」

 

 昔からよくある話だ、と付け加え、順一は夜空を見上げていた。旬もつられて夜空を見上げる。

 

 「町屋が廃れないように、ちゃんと残していかなきゃな…」

 

 「そうだね」

 

 星空の下で輝く夜道の茶屋町は、いつ見ても幻想的だ。そんな煌びやかな街路を歩きながら、順一と旬はくだらない話をしながら家に向かった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 一方。順一と旬を通夜に送り出した雪乃は、着ていた袖を脱いで、自室のソファーに置いておいた部屋着に着替えた。

 部屋着だけでは冷えると思い、雪乃はクローゼットを開けて、何か羽織れる物を探した。閉じた反動でハンガーからずり落ちたのだろうか。床に落ちていたカーディガンを拾おうとしゃがむ。すると、下に置いてある半透明の収納ケースの中から、ある模様をした布に目が留まった。

 

 「これは…」

 

 ボソッと言いながら、雪乃はその布をそっと取り出す。

 それは、二十二年前、まだ小学一年生だった頃だろうか…。石金神社で怪我をして、手当てをしてくれたお兄ちゃんから貰ったものだった。手元にある六花模様の手ぬぐいを見ながら、雪乃はぼんやりとあの頃を思い出す。

 あまりに上等なものだったということもあって、由美子が洗濯したあと、綾美の呉服店で染み抜きをお願いして、綺麗に保管していたのだった。

 もし、もう一度あのお兄ちゃんに会うことができたら、何か御礼がしたいと雪乃は思っていたのだが、残念ながらあれから一度も会うことはなかった…。雪の日が続き、新学期が始まり、そしてだんだんと外で遊ぶ機会が減って、気づいたらクラスも名前も分からないまま、大人になってしまった。

 

 雪乃は、六花模様の手ぬぐいを、また綺麗にたたみ直し、自分の大切なものが入った机の引き出しに、そっと入れ直した。

 

 (いつか…、またどこかで…、会えたらいいな…)

 

 そんな淡い想いが、胸の奥に沈んでいく。

 ゆきー、ご飯だよー、と下の階から由美子が叫んでいる。今いくー、と返事をして、雪乃は部屋の照明を静かに消した。

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金六花恋ひ物語 花茂薫 @hanamokaoru

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