しらない名前

 求めていた詠唱記述がついに見つかりました。

 法則とは得てしてうつくしいもので、

 今回の発見も、言われてみればどうして試してこなかったのか、不思議なくらい当然の記述式でした。


「これで、やれる。」


 聖獣反乱が起こって百年。

 ようやく精霊の力を自分の魔力の限り無制限に使用できるようになりました。

 もう名を交換する必要はありません。

 今まで精霊の固有名を指定していたから、それだけで一節使ってしまっていましたが、最初の呼応節を属性で指定し適用できる精霊ならば何でもよいとしつつ、次の集結節で引き出す力を指定することで実質大精霊を特定することができるのでした。

 なんて語っても、興味のないヒト達は、聞き流すのでしょうけれど。

 ともかくこれで、私は今まで存在しか知らなかった大精霊を全て使役召喚できることになります。

 私の魔力量は無尽蔵……というわけではありませんが、それでも神々の中でも屈指だと自負しています。

 だからきっと、もう、負けません。

 一対多であろうと。

 裏切り者の三柱。

 罪を清算させる時が、ついに来ました。




「……行くのか。」


「はい。武神、万一私が斃された時には、主神様のことをよろしくお願いします。」


 私が真剣な目で武神に声を掛けると、彼はぐっと眉を寄せました。


「あいつがお前を失ったら、きっともう正気を保てはしないだろう。

 負けるくらいなら、逃げ帰れ。俺を頼れ。

 ……サンリア以外なら、手に掛けられる。」


「ふふ、もし私が負けるとしたら、それこそ母上だけですよ。」


「ならば祈ることしかできんな。」


 お互い厄介な女を身内に抱えたものです。

 父と、私。

 見合わせて苦笑する顔は、きっとそっくりだったことでしょう。




 嵐神の領域に足を踏み入れるのは実に百年ぶりです。

 私は周囲の魔力の様子を確認しました。

 風の神と、やや遠方に雷神。

 地神は不在のようです。

 私が来たことを察知していないのか、

 察知したからこそ不在になったのか……。

 油断はできない、ということだけ頭に入れておきます。


「殺される準備が整ったといったところかしら?」


「そちらこそ、全員で掛かってこなくていいんですか?

 私はもう、百年前のように無力ではありませんよ。」


 私がリンを憑依させて風の神がいる高さまで宙に舞い上がると、

 彼女は嬉しそうにくるりと私の周りを一周しました。


「そうね……頑張っているみたいじゃない。

 東方の、夜鳳イェフェン国、だっけ?」


「……ご存じで。」


 どこまで知られているのでしょう?

 精霊召喚の条件が変わったことは、できれば秘密にしておきたかったのですが。


「面白い管理をしているなと思ったわ。

 あれ、あいつじゃ絶対やらないやり方だもの。

 あんなに明暗の分かれている国は今までなかった。

 お前の美意識が、きっと表れているのだと思ったの。」


「はい。私の都合のよいように管理しています。」


「うふふ、素敵だわ!

 あれこそ、私にとっても理想的な管理だと思うのよね。

 ねえ、愛しい子。

 あなたがあいつを殺して、新しい世界を作っていきましょうよ。」


「ああ、母上……」


 安堵と、落胆の溜息。同時に出せるとは思っていませんでした。


「やはりあなたは、うつくしくない。」


 両手に魔力を集中させ、雷の魔法と水の魔法を同時に発動させます。

 風の神は少し驚いたように私を見ましたが、

 ふ、と不敵な笑みを浮かべて碧の鷲ユルダを駆って接近してきました。


「生きている限り、うつくしくなんてなれないものよ!」


「それはあなたが、うつくしいものを見ようとしないだけだ!」


 あなたがうつくしくないのを、あの方のせいにするな。

 うつくしかったあの方を貶めて、うつくしくないなんて言うな。

 私の怒りは、全てこの両手に込めて。

 ユルダが風の魔法防壁を纏って突進してきます。

 躱すつもりはありません。

 あなたはきっと、私の魔法がただの低級精霊魔法だと思っているのでしょう。

 それが、命取り。

 これこそは、あなたを斃すために編み出した、

 水の精霊王と雷の精霊王の同時召喚。

 ……名は、知りませんが!


 水の精霊魔法でユルダの防壁を突破し、こちらから風の神に肉薄します。

 母の目が、大きく見開かれました。

 ララ、の即死魔法を、使いたい誘惑を堪えて、


「執行せよ!〈絶縁の破壊霆/エレクトロキュート〉!!」


「なっ!?」


 風の神が焦った声を出しましたが、もう遅い。

 以前に私が雷神から食らったものと同じ威力を持つ雷が、

 母の胸を穿ちます。

 耳をつんざくような轟音が衝撃となって私の方にも返ってきました。

 母の乗っていたユルダにも被害は甚大だったらしく、

 まとめて落ちていきます。

 死にはしないでしょうが、恐らく回復魔法を使用できるようになるまで、

 しばらく放っておいても大丈夫でしょう。


 私は即座に魔力を探知し、雷神を探しました。

 離れたところで見物していた彼は、

 一撃で決着がついてしまったのを見て焦ったのか飛んで寄ってきました。


「……さて。ここからは助太刀するよー。」


 さすがに私のさっきの攻撃を見て油断できないと思ったのでしょうか、

 いつもの軽い彼のトーンよりも数段落ち着いた様子です。


「構いません。あなたには私と戦う意味はない。

 熱の無い雷など、怖くはありませんよ。」


「そうだねー、意味は……君には、分からないかもなー!」


 無詠唱で水の精霊王を召喚し、魔法防壁を展開します。

 雷神は第五聖獣、金色の兎ピルーナの纏う雷雲から、次々に雷を打ち出してきます。

 その一つ一つに水の魔法防壁を消費しながらも、手数は互角。

 お互いの魔力の限界の探り合いになりそうです。


「俺は、死ぬのが怖いんだ。」


 その独白は、雷の音にかき消されそうでした。

 しかし私は主神代行、音を拾うのも今や自在です。

 雷神の弱音を、しっかり聞き取りました。


「長命種も、不死じゃない。俺達は、死んだら生き返らない。

 不死なのは、管理者である主神だけだ。」


 それは、その通りです。

 ですが圧倒的強者であるはずの雷神からそんな言葉が出るのは、どうにも違和感があります。

 何か理由がありそうだと感じた私は、もっと彼の話を聞くことにしました。


「管理者になれれば、不死になるんじゃないかって、思うんだ。

 単なる予想、推測に過ぎないんだけどねー!」


「……そんなことのために、あの方に手を掛けるのですか。」


 ララを呼んで時を止め、彼の背後に移動して、会話を試みました。

 突然私が転移してきたのに気づいて手加減されていることを悟ったのか、

 雷神は攻撃の手を止めて俯きました。


「こんな危険な賭けに出なくても、何もしなければ私達は不老じゃないですか。」


 呆れて声を掛けましたが、私の話を遮るように雷神はかぶりを振りました。


「不死じゃない、その事実が消えない限り……

 俺は、あいつの夢を見続けるんだ。」


「なんですか、それ……」


「昔、俺が短命種だった頃に死んだダチだ。

 俺は、俺が死んで、また命が巡った先で、あいつにもう一度会うのが……怖い。

 あいつと二度と会わないようにするには、

 俺が二度と死なないでいるしかない。」


「……くだらない。命の巡りなど、迷信でしかありません。

 しかもその先でその相手と出会うなど、確率的にまずあり得ないでしょう。」


「駄目なんだ、俺は、俺達は互いに呪いを掛けた。

 死ですら二人を分かてないという呪いだ。

 生まれ変わっても共にいようという願い。

 戦場で暮らす俺達にとっては、それは救いのような願いだった。」


 雷神は懐かしむように天を仰ぎます。

 いつしか嵐の雲は去り、晴れ間が見えてきていました。

 しかしその青空は彼の目に映らないのか、

 眩しそうにもせず、ぼうっと見開いて焦点も合っていないのでした。


「だけど、俺だけが生き残り、あいつ以外を愛してしまった。」


 それは彼の妻、炎の神のことでしょう。

 意外です。

 とても幸せそうな二人だったので、

 最初から彼女を選んでいたのだと思っていました。


「次に会った時、俺は、あいつを愛せる自信がない。」


 愛せる、愛せない、などと。

 なんとうつくしくないことを言っているのか。

 私はしばらく彼の次の言い訳を聞こうと待っていましたが、

 そろそろ愚かな世迷言を聞かされるのも限界でした。


「……ハァ。そんなことのために、お前のそんな弱さのために、

 あの方が損なわれることがあっていいはずがないだろう。

 ふざけるのも大概にしてくれ!」


 私の口から、いつになく強い言葉が出てきました。

 ですが、いくら先輩とはいえ、もう。

 こんな馬鹿な男に敬意など。


「愛していたというのなら、炎の神も愛しているというのなら!

 どちらも愛せばいいだけのこと!!

 愛とは捧げるものだ、

 時すら止める力を持ち、

 この身今生は尽きようと、

 幸せであってほしいと願うものだ!!

 愛に、自分を挟むんじゃない!!!」


 美の神、そう、愛を識るひとりとして。

 精霊に、世界に愛されたひとりとして。

 絶対に、この男だけは論破しなくては。

 蒙昧な、愛を履き違えたこの男だけは。

 永遠に、その過ちを抱えてしまう前に。


「……大人になっていたんだな。」


 私の渾身の叫びが伝わったのか。

 彼は私の方を振り向き、

 その右掌をそっと差し出しました。


「雷神。主神代行として、あなたを罰します。」


 私は彼の手を取って、

 深淵の廻廊への転送呪文を唱えました。

 雷神と第五聖獣ピルーナは抵抗せず、

 光に包まれ、

 そして、この戦場からいなくなりました。




 私は先ほど地に墜とした風の神の元に降り立ちました。


「……ああ、アウヅ……」


「このまま、深淵の廻廊に落ちていただきます。

 私はあなたのことは殺したかった。

 でも、あの方が、

 主神様が、それを嫌がりますので。

 このまま朽ち果てるまで、そこでご自身の行いを悔いるがいいと思います。」


「アウヅ、聞いて……」


 耳が、聞こえていないのか?

 私が片眉を上げて訝しんでいるのにも構わず、彼女は言葉を続けます。


「思い、出した、の……

 私、こんな……こんな時に……」



「あいつの名前は、レオンだわ。」

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