つらなる裏切り

 裏切り者。

 それは、聖獣の力を得た神々のうち、

 その力をもって主神様に楯突こうとした者達のことです。


 初めに立ったのは、

 やはり、母でした。


 あの女は、昔から独自の論理に固執していました。

 あの女に言わせれば、主神様のやり方は間違っているのだと。

 ヒトはもっと無機質に、恐怖をもって統治すべきなのだと。

 主神様のやり方は、寄り添っているふうでいて、

 最も無責任で残酷な優しい世界なのだと……。


 風の神は、災害のようでした。

 恐ろしいのは、悋気や気まぐれではなく、

 あの女なりに理性的に効率的にヒトを支配しようとしているのが、

 ことでした。


 ええ、全く筋の通らない話ではないのです。

 私も一理あると思ってしまうのです。

 しかし、それは彼女が望む統治であって、

 主神様の望む世界ではないのです。

 意見があるなら、しっかり戦わせればいい。

 主神様は頭ごなしに否定する方ではありません。

 むしろヒトを盲目的に守ろうとする武神よりも、

 よほど彼女に理解がある方だと思うのです。


 よくあの二柱が破局もせずうまくやっていると思います。

 どうしてその互いへの寛容さを、主神様に対して持てないのでしょうか。

 それほどまでに、長命種に変えられた恨みというものは、根深いのでしょうか。

 私には、分かりません。

 私は、二柱の息子です。

 しかし、どちらにも寄り添えはしません。

 それが二柱にも知られているのか、

 裏切りに際して特に何も打ち明けられることはありませんでした。



 その日は突然やってきました。

 極北が聖獣を得て百年ほど。

 風の神は、大陸の中央に位置するミラン高原にてまつろわぬ嵐神と化したのです。



「……来たの。あいつの差し金でしょ? どうせ。」


「それ以外で私があなたに近づくことはありません。」


「ええ、そうよね。

 お前は……私のことが、ずっと嫌いだったのですもの。」


 風の神は、なにか吹っ切れた様子で、にっこりと私に笑顔を向けました。

 愛が反転しているのか。

 私は防御結界を張っていないと、すぐにでも殺意で満たされた風に千々に引き裂かれそうでした。


「はい。私は……主神様を悪しざまに言うあなたのことは、小さい頃から嫌いでしたね。

 ご存じだったとは知りませんでしたが。」


「そりゃあ、私の説得を振り切ってあいつを選んだ時点で察したわ。

 でも、私は……あなたを嫌いにはなれなかった。

 あなたはだって、私達の大切な子供で、

 本質的に私にとても似ている……激情の子だもの。」


 ああ、そうなのです。

 主神様を愛するこの心は、

 愛すると言いながら支配を願ってしまうこの醜さは、

 間違いなく、彼女と同根。

 自分の思い通りになるように世界を動かそうとする傲慢。

 好きな人の心さえ、自分の思い通りにならないと狂ってしまいそうな、

 この愚かさを……ヒトらしさを。

 私も、彼女も、ずっと引きずってきているのです。


「風の神。あなたは、うつくしくない。」


「知っているわ。でも、生きているの。

 主神の望む死んだような世界では、息ができないくらい、

 どうしても生きていたいのよ。」


「理想郷を死んだようだと評するあなたは、

 死を理解しているとでも?」


「アウヅ、死の運命の名を持つ子。

 あなたに死を教えるのは、私だわ。」


 もはや話し合いは無意味ということでしょう。

 母は碧の鷲ユルダの力で強大な嵐を作り出しました。

 地上はそれだけで無残に破壊されてゆきます。

 母がこの地を選んだのは、ミラン高原が過去何度も戦火を経験し、ヒトの定住しない荒地となっているからでしょう。

 しかし、そこに住まう遊牧民や野生の動物達のことまでは、斟酌していないようでした。

 彼女の中でヒトはあくまで道具。

 積極的に減らしたいわけではないけれど、

 邪魔になった時には破壊してしまって構わない、

 替えの効く存在なのです。


 私はリンが操るペリュトン……あの有翼の鹿の群れを呼び出し、嵐の中を飛ばせました。

 そして私自身もリンを憑依させ飛翔し、ペリュトン達を順に壁にしつつ、徐々に嵐の中心へと近づいていきます。

 もう少し進めば、

 ララが使えます。

 母は私がそんな魔法を使うと思っていないようで、余裕の笑みで私を迎え撃とうと高みの見物をしていました。


 太古の精霊の名を呼ぼうと、私が口を開いた、その時───



「親子喧嘩に割り込むつもりはないんだけどさー!」


 別の声がして、直後、私は体が吹き飛ぶかと思うような衝撃を虚空から食らい、地に堕とされました。

 体が熱くて、息が、できません。

 息ができなければ、回復魔法を唱えることも。


 ああ、

 あなたもそちら側にいこうというのか。



 私は痛みに霞む目で上空を睨みました。

 金色の雲を足にまとう大きな一角兎に乗った雷神が、母の隣に移動していました。





┼ ┼ ┼ ┼ ┼ ┼


「……気がつきましたか。」


 意識を取り戻した私に声を掛けたのは、主神様ではなく、地神でした。


「地神……様、なぜ……」


 私が起き上がろうとすると、彼は麻痺の呪歌を私に掛けてきました。


「駄目ですよ、動いたら。

 今はそのままで、聞いていてください。」


「……う……」


「あ、ごめんちょっと効きすぎたかな?

 喋れるくらいにはしておかないとですね。」


 彼の指が私の唇に触れると、そこだけが解放されたようでした。


「……これは、何の真似ですか。主神様は……?」


「ああ、大丈夫ですよ、君に危害を加えるつもりはありません。

 むしろ雷神君が与えたダメージをしっかり修復しておきました。」


「……感謝は、しておきます。ですが……」


「ただ助けるなら縛る必要はない。そう言いたいのですよね。

 その通りです。君は、僕達を許そうとはしないでしょう。

 だからここで眠っていてもらう必要があるんです。」


 なぜ。

 なぜなのですか。

 あなたは、私を除けば一番、あの方とちかしかったではないですか。

 どうして、そちら側につくのですか。


 言葉がうまく出てきません。

 私は悔しくて、気づけば涙を流していました。


「……泣かれると、困るなぁ。

 僕だって、そこに正義がないことは分かってるんですよ。

 可愛い君を泣かせたくもない。

 でも、駄目なんです。僕達は、誰一人欠けてはいけない。

 相手が主神様だろうと、僕達の絆を壊されるわけにはいかないんです。」


「その、あなた達の絆とやらの中に、主神様は入っているんですか?」


「入っていません。」


 きっぱりと地神から言い渡されたその言葉に、私は。

 何も、言い返せませんでした。

 だって、もうきっと、取り返しはつかないのです。

 ここで私が、あなた達は記憶を失っていて……

 あの方は、かつて失った本当の仲間で……

 なんて、言ったところで。

 あの方の心は、もう。

 再び一から絆を築けたと信じて、

 笑顔を取り戻そうとしていたあの方は、もう……。

 あの方は、私達の会話を、全て聞いてしまっているのですから。

 きっと今、この瞬間も、何度も何度も、

 これ以下はないだろうという絶望の底に叩き落とされているのですから。



 こんな、むごいことが。

 世界に愛されている筈のあの方にだけ、どうしてこんなことが。

 これが、世界の管理者であるということなのですか。



「……あなたの言い分は、分かりました。

 あなたに聞くべきことかどうかも分かりませんが、

 雷神様は、どうして……私を攻撃したのですか。」


「雷神君は、武神君から依頼を受けて、風神ちゃんを助けに行ったんです。」


 また、別の。

 しかも……情では通じていても、思想では母と相容れないと思っていた父までもが。

 私は、唯一動かせる唇が、わなわなと震えているのを感じました。


「父は……父も、私より……」


「そこまで絶望することはないですよ。

 殺さないでほしいとは言われていましたから。

 ただ、君と風神ちゃんの決着を、先延ばしにしてほしいと。」


「先延ばしにしたところで……意味は、無いでしょう。」


「いいえ、意味はあります。

 僕達があの方を斃すまで時間をください。

 僕達は、風神ちゃんも、君も、失いたくないんです。」


 主神様を斃す、と言ったか、今。

 そう、ですか。

 母ですら、極北に反旗を翻しただけだったというのに。

 地神。

 お前は。



「……リン!」



 私は、自分を闇に溶かし、地神の鎖から脱しました。

 地神を殺すより、母を殺すより、先に。

 主神様の下へ、行かなくては……。

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