第46話


 コウタの目から、雫が落ちた。

 すぐにうとうと寝てしまうタイムが、こんなに長い手紙を書くなんて。筆跡が頻繁に変わった。といっても、どれも本人のものだ。おそらくは、休み休み書いたのだろう。時々はミツバのところで書いたらしい。使い慣れなかったのだろう、ガラスペンの時は極端に字が下手くそだった。

「バーカバーカ、タイムのバーカ」

 今、彼らはどのような状況にあるのだろう。もしかして、彼が母と幻の邂逅を果たした時のように、実はすぐそこにいたりして。目を閉じる。瞼の裏に、花火と笑顔が見える。

「バーカバーカバーカ!」

 泣き笑いながら連呼した。

「ぼくだって、忘れない。あの花は、宝物だもん」

 体が渇く。心が熱い。




 やっほー、ユズ。

 私はユズのことは絶対ユズって言うから。よろしく。

 ユズにお掃除してもらったり、クッキー作りに来てもらったこの家、たぶんタイムから聞いたと思うけど、死人出てるから。ははは! まぁ、ヘーキっしょ? タイムだし。

 タイムが「自分が死んだ家とかなんか嫌なんだけど」ってうるさいから、私が住むことになったんだ。本当はさ、お義母さんとばったり会いたくないとかそんな理由なんじゃないかと思ってるんだけど。言わずに心にしまっておいてあげてるの。私、めっちゃ優しいでしょ~?

 ここね、お義母さんが色々材料持ってきてくれるから、私にとってはパラダイスなんだ。だから、私が優しくなくても住んでたと思う。ううん。タイムが「どこか行け」って言ったとしても、居すわってたかな~。えへへ。

 ユズさ、仕事ってこれかよって思わなかった?

 思うよねぇ。私だったら思う!

 でもさ、ここの場所を覚えてもらうために、何度も通ってもらうには都合よかったんだよね。家事。

 私ね、前にパティシエやってたの。あの、ユズの運命を動かしたタルトも、私のっていうか、私たちが作ったやつ。

 美味しかったでしょ? 自信作なんだから!

 それで、そうそう。ユズに教えたクッキーは、そのタルトの下の部分あるでしょ? そこの部分のレシピ。

 まぁ、厳密には、どこ産の何を使って〜みたいなこだわりがあるんだけどさ。ここではそんなこだわっていられないから、妥協した。

 下手げにオープンにすると、ユズがレシピをパクったと思われるかもだから、上手いことやって欲しいんだけどさ。

 私と会った証拠にはなると思うよ? そのクッキー。

 こだわりの材料は、次の紙に書いておきます。

 たぶんね、なんだこれって感じの文字列がぶわーってなる!

 だけど、パティシエのクッキー修行に耐えたユズなら、理解しようと努力できるはず!

 よろしくね、ユズ!


 あ、そうそう。

 今、世界も時間も戻ってると思うけど。ってことはさ、髪型も戻ってる? よね?

 ミントに切ってもらったやつ、めっちゃ似合ってたよ!

 よかったらそっちでもあの髪型にしなよ!

 ユズのこと、忘れたりなんかしないけど、いい目印にもなるだろうしさ。

 それじゃ!



 チャービルからの手紙は、さっぱりしていた。

 紙と文字しかないそれから、不思議と元気と明るさを感じる。少し、強がりっていうスパイスも。

 一枚めくると、見たことがないカタカナの連なりが目に入った。なるほど、これがこだわりの材料か。

「エクリ……ん? エクリチュール? 何それ」

 一見それが何やらわからない。けれどコウタには理解できた。それぞれのグラム数から、それが何であるか推察できた。

「とりあえず、今度この通りに焼いてみようかな。でもこれ、スーパーで売ってる? 母さんに聞けばわかるかなぁ。母さん、いつも『これが一番安い』って買い物する人だからなぁ。話題のパティスリーの有名タルトと同じ材料なんて、きっと知らないだろうなぁ」

 何の気なしに、便箋を光に透かしてみた。裏に、何か書いてある。

 コウタはそれを読むなり、携帯端末を取り出して、検索をかけた。

「次はここに行けばいいんだね? チャービル」

 それは、製菓材料店の名前だった。



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