第39話


「お母さん、知ってるの?」

「うん、知ってる。空の上で、急にいなくなったんだって。あんなに大きな機体が。確か、そのままドンって墜ちたとしたら下は陸、みたいなところで」

「海じゃなかったってこと? それって、失踪じゃなくて墜落なんじゃない? 実は谷底に墜ちてました、とかじゃないの?」

「ヒロコみたいに考えた人は山ほどいたわ。でもね、何も見つからなかったのよ。それはもう、埃くらい細かく散り散りになったんじゃないかって思わずにはいられないほどよ」

 姉は「へぇ」と相槌を打ちながら、タルトを口に放り込んだ。失踪事件の話には似合わない、弾ける「うまぁ」が響く。

「コウタは、どうして急に事件のことを気にしたの? なにか、あった?」

「悪趣味な自由研究、とか」

「姉ちゃんの想像こそ、悪趣味だと思うよ」

「こら! コウタのくせに、たてつくな!」

「人が買ってきたタルトを『ありがとう』も言わずに食べてる人に言われたくないな」

「なんだと! なんか今日、コウタ、変! タルト買ってくるし、突っかかってくるし。ねぇ、お母さん!」

「そうね。飛行機の話もしだすし。まぁ、今日は何か、あったのね。コウタ。お母さんの力が必要な時は、喜んで貸すからね。よかったら頼ってね」

「ありがとう、母さん。別に大したことは起きてないし、助けてもらいたいことも今はないけど。もしかしたらそのうち、ちょっと頼るかも」

「わかったわ」

「なーんかさ、これみよがしに『ありがとう』って言ってるよね。ブゥブゥ!」

 豚になった姉のことは、無視した。

 幽霊のようにそろりとダイニングにやってきて、いつの間にやらタルトに舌鼓を打っている父もしかり。

 自分の分になる一切れを元の箱に戻そうとすると、姉が「その箱あたしのだから!」と叫んだ。本当はそれに入れたかったが、諦めた。

 使い古しのタッパーにタルトを入れる。それを大事に両手で持つと、帰ったばかりの家を出た。


 歩みに迷いはなかった。

 ミントと共にタルトを食べた公園に着くと、ベンチを見て泣いた。

「フォーク持って待っててよ、ミント」

 ここへ来るまでのことを思い返せば、わかることだ。そして、この世界にいる以上、彼女に自分が見えることはあれ、自分に彼女が見えることはないのだろう。

 それでも、きちんと目で見て確認するまでは、一パーセントに賭けていた。

 ギーコギーコとブランコを揺らす。一パーセントが、それ未満になっただけだと悪あがく。来ないとわかっていても、ミントを待たずにはいられなかった。

「食べちゃうからね! これ、一切れしかないんだから! ぼ、ぼくが食べちゃうからね!」

 他には誰もいない公園。空気に話しかける男を、通りがかりの会社員が奇異の目で見た。

 ひとり、ほんのりと温かく、崩れたタルトに齧り付く。

 しっとりとしてほろほろと崩れるクッキーが、いつかの失敗作を思い出させる。

 ――クッキーの焼き方、忘れないでね。

 チャービルの声が、記憶の引き出しから飛び出した。

 ――そうそう。もし帰ったら、ぜひ行って欲しいところがあるんだ。その場所を知るために、今度チャービルのところに行ってみてね。

 ミツバの声も、飛び出した。


 現実世界での鍵はきっと、チャービルの家にある。



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