第30話


「ユズ、ご機嫌だね」

「そうかな」

「チャービルにこき使われるの、慣れたの?」

「んー。こき使われてる感じはしないかな。けっこう自由にやらせてもらってるし。いろいろ不満とかあるかなぁってビクビクすることはあるけど、それを責めるような雰囲気は少しもなくて」

「でもほら、クッキー焼けって言われるでしょ?」

「ああ、うん。はじめはそれがいちばん辛かったかな。でも、慣れたら楽しいよ」

「ふーん」

 会話をしながらも、ふたりの視線は一度として交わらない。ミントの顔に陰を感じて、ユズは少しでも明るい話題で空間を照らそうとした。

「そういえば、前に港で働いた時にコーラをくれた人に会ったんだ」

「……え?」

「あ、その、ちょっと散歩に出てさ。その時」

 ピリッとした緊張が、部屋を駆けた。話題を間違えたと気づいたが、急に終わらせるのは不自然か、と、話を続ける。

「あれこれ話してたらさ、けっこうぼくの心を見透かされちゃったっていうか。会うの二度目だっていうのにさ、なんかすごいなって。ぼくはあんなふうに覚えてたりできないかもって。ちょっと憧れたんだ。あの記憶の引き出しに」

「そう」

「それだけ! ミントは最近、どんな感じ? いい感じ?」

「うん。まぁ」

 気だるく微笑み、頭を撫でた。毛先だけが赤い。ユズの想像の域を出ないが、彼女の腕を持ってすれば、自分で赤い部分を問題なく切り落とせるんじゃないかと思うほどに伸びた。

「クリスマスな感じだね。かわいい」

「え?」

「ああ、その……髪の毛。だいぶ伸びたなって、思って」

「そうだね」

「切らないの?」

「見た目は普通だけど、変な髪だからさ。コレ」

「変なんかじゃないよ」

「変なんだってば」

 今までのユズならば、ここで「そっか」とでも言って、話にピリオドを打った。けれど、ユズの頭には、男の言葉がちらついた。殴りたくはない。となれば、すべきことはひとつだ。

「どこが変なの? 教えて」

 訊かれるとは思っていなかった。ミントの瞳が、驚きでまん丸になった。

「えっと、その……。刃こぼれするの。切ろうとすると」

「刃こぼれ?」

「うん。なんか、変だから。あたしは、ちぎり落とす以外の方法で髪の長さを変えられないみたいなんだよね。ユズを連れてきた時もね、ボロボロちぎれて落ちたんだ。あんなに一気に減ったの、はじめてだったからさ、整えられない髪だっていうのに、変な髪型だったら嫌だなって思った。でもね、ユズはあたしの頭、変だって言わなかったでしょ? 言えなかっただけかもしれないけど。あれ、ちょっと嬉しかったよ」

「そう? 本当に変だって思ってなかったよ。個性的だなぁ、とは思ったけど」

「なんかちょっと、棘を感じる言い方だなぁ」

「勘ぐりすぎだよ」

「そっか」

「ああ、でもさ、タイムにはゲラゲラ笑われてなかったっけ?」

「あ! そう! イチゴショートだ! って」

 ふたりの笑い声は、クスクスと始まり、腹の底からのピュアな音色へと変わりゆく。

「――だね」

「ん?」

 ミントの目尻が煌めいた。笑い声にはガラスのように繊細な響きが混ざり始めた。呟きは全てを聞き取れないほどに掠れている。ユズは急変した空間についていけず、首を傾げた。

「ミント、どうしたの?」

「ううん。なんでもない。なんでもないよ」

「ごめん。さっき、なんて言った? ちゃんと聞き取れなくてさ。うーん……耳垢でも詰まってるのかな。最近、チャービルの部屋を掃除してるけど、自分の耳の穴は掃除してないからな。耳の穴からこーんなおっきい塊が出てくるかも。そうしたら、笑ってくれる?」

「笑ってあげる。……あたしはね、『そろそろだね』って言ったんだよ」

「ん? そろそろ? なにが?」

 ユズの頭にぽこん、とミントの拳が当たった。

 開いた手で、ガシガシと撫でられる。

 不思議な感覚。

 言葉がなくても、通じた気がした。

 ミントの心の中を隠していた壁が、柔らかく、脆くなった気がした。

「ねぇ、タイムは? またミツバのところに入り浸ってるの?」

「たぶん、今はいないと思うよ。タイムは今、タイムが大好きなことをしてると思う」

「んー。タイムが大好きなこと、か。ブルマジを読んでるイメージはあるけど……そういえばタイムのこと、よく知らないかも」

「よく寝るし、よくボケッとしてるし。あんまり活動時間が合わないもんね」

「もっと話したいんだけどなぁ。ねぇ、タイムが大好きなことって、何?」

 ミントが、くしゃっと笑った。

「戻れる過去を、作ることだよ」



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