第3話


 ぼくが元いた世界線では、ぼくは忽然と消えた、ことになっているらしい。いわゆる、神隠しみたいなものだ。

 そして、どうでもいい情報としては、ぼくがタルトを買ったところまでは防犯カメラに記録されていて、のちにタルトは神隠しの招待状であるとして、人気がさらに爆発し、そして急降下することになるのだとか。そんなわけで、姉はいつでもそれを食べられるようになりました。めでたしめでたし……では全然ない!

 ぼくが連れ込まれたこの世界は、ぼくの存在を消してそっくりそのままコピーしたようなもので、ゆえにぼくの居場所はないらしい。

 そして、ぼくの家族の行動が、ぼくが存在した場合の未来とずれることはあれ、ぼくがろくに関わることのない、ぼくの人生におけるモブキャラ達の振る舞いは、本筋とまるで同じらしく――と、説明を聞きながら頭がこんがらがってきた。


「あなたが悪いのよ。いざ買おうって時に、割り込むから」

「割り込んでなんかないよ」

「ふんだ! とにかく。あなたはこっちでは居場所のない可哀想な子ってわけ。で、そんなあなたを優しいミントさまが面倒見てあげる。ついてきなさい」

「はぁ?」

「じゃあ、勝手にして」

「わ、わ、わかったよ」

 ここは、従っておくべきだと思った。だって、ミントの言うことが全て正しいとしたら、ぼくは今、実体のある透明人間なのだから。ひとりで生きて行くのは、難しい気がした。

「そういえば、その、世界に連れ込んだりする、ちから? があるならさ、時を遡ることとか、できないの?」

「何を考えてんの?」

「ああ、いや、その……。パティスリーのところで、タルト選びをやり直せば、ぼくは無罪放免なのでは、と」

「そんな面倒くさいこと、あたしにできるはずがないじゃない」


 ぼくのミスは一体どこだ。気にしだすとあれもこれも気になる。タルト選びはアウト。だけれど、そもそも姉を怒らせなければパティスリーになんか行かないわけで。いやいや、あんなの八つ当たりであって、ぼくは悪くないんじゃないか? 姉選びがアウト? って、姉を選ぶなんてこと、できるはずがない。じゃあ、親選び? 親に不満はないんだよなぁ。まぁ、姉ちゃんの教育っていう点では、多少不満もあるけれど。

 ミントに連れられて、細い路地をクネクネと進んだ。ゴミ箱からは変な匂いがして、凶暴そうな顔つきの犬が「ゥワンッ」と吠えてきた。今にも悪い人が出てきてカツアゲされそうっていうか、ぶん殴られそうっていうか。なんか嫌な道。

「ここ。あたしんち」

 ミントは、奥まったひと気のない場所に、ポツンとある扉を指差した。鍵はかかっていないらしい。ノブに手をかけ、クルンと回して、引く。

 ぎぃ、と軋む音が、耳から脳までグサリと刺さる。

 無法地帯のような路地を進んできたから、扉の向こうもそんな感じだと想像した。けれど、実際のところはさっぱりとしていて、綺麗だった。なんだ、ゴミ屋敷じゃなかったや。ぼくは、「へぇ〜」と口に出していた。じろじろと、室内を視線で舐め回す。

 ぼくの一挙手一投足が、ミントの何かを刺激した、らしい。

 ゆっくり、一歩、また一歩と家の中へと進んでいくぼくの背後に回り込むと、ドン、と蹴り飛ばされた。おかげさまでぼくはドテッと転んで、あちこち打った。

「いたたたた。……ひどいじゃないか」

『なんだぁ? 騒がしいなぁ』

 奥から男の声がした。カツカツという音が響く。男はこちらに向かってきているようだ。

 ひょこっと顔が見えた。ミントとは違い、黄色い髪。ふんわりとした目元、笑えばくしゃっとする目尻。鼻はすーっと通っていて、爽やかでかっこいい。姉ちゃんが好きそうな顔。紹介したら「でかしたぞ、クソやろう!」と褒めてくれそうな。

 体が見えた。ライダースジャケットを着こなし、ベルトやらチェーンやらがジャラジャラしていても全然変じゃない。おお、男のぼくでも、ちょっと惚れそう。

「ミント、お前、その髪どうした? なんでイチゴショートになってんだよ」

「イチゴショートなんてどうでもいい。ねぇ、タイム。こ、こいつが、あたしが買おうとしたタルトを横取りしたの。だからこっちに連れ込んだ。あと、こいつの存在消した」

「どうもこんにちは。うちのミントがご迷惑おかけしましたよね、すみません。ようこそお越しくださいました。フルーツティー飲まれま……って、はぁ!? マジで言ってんの?」

「まーじー!」

 タイム、と呼ばれた男が頭を抱えた。

「いやぁ、俺、ヤダよ?」

「別にいいよ」

「いいならいいや」

「だけど、こいつのこと、子分にするから。よろしく」

「……は? 子分って、ぼく?」

「あったりまえでしょ!」

 ミントはごつん、とぼくの頭に拳をぶつけた。女の人ってなんでこんなに強いんだろう。いいや、違う。ぼくはなんて情けないんだろう。パラレルワールドでもなお、顔色をうかがって生きて行くのか。

「まぁ、そうなっちまったならしょうがないよな。んで、こいつなんて名前?」

 タイムが問う。そういえば、あれ?

「ねぇ、ミント。ぼくの名前、なんだっけ?」



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