RePLiC@

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

1・幻のタルト

第1話


 姉ちゃんは機嫌が悪くなると、すぐぼくに当たる。今日は彼氏とデートに行ったけれど、一の位まで割り勘にされて、「このお店ではオレが一円多く払うから、次は――」なんて言われて冷めた、という話を延々聞かされていた。そして、延々聞いてやったというのに「関心が薄い」と文句を言われ、謝罪を要求された。

 こっちが謝罪を要求したいってば。

 彼氏との関係はイマイチだから、結婚するのは遠い未来のことになりそうだ。ちゃっちゃと「昨日出会った人なんだけど、運命感じちゃったから結婚するの〜」とか言って出ていってくれればいいのに。まぁ、ぼくが出て行くっていう手もあるんだけど。家の近くの大学に通いながら一人暮らしとか、無駄の極みだと思う。というわけで、実家暮らしのぼくは、しばらくこの、不機嫌のサンドバッグ生活を続けなければならないのだ。

 が、しかし。実はこのサンドバッグ生活には、あるエンドポイントがある。

 それは、就職。

 姉ちゃんが第三志望までの会社から内定を獲得することができれば、新幹線や飛行機を使わなければ帰ってくるのが面倒なほど、遠くへ引っ越してくれるはずなのだ。

 そんなわけで、ぼくは今、理不尽に負のエネルギーをぶつけられながら、姉ちゃんの就職活動を応援している。

 就職活動は婚活のようなものだと、どこかで誰かが言っていた。彼氏とうまくやっていけない人だから、少々の不安はある。しかし、姉ちゃんにだっていいところは数えるほどにあるのだ。大丈夫。絶対内定もらえるよ! 頑張れ、姉ちゃん! 出ていけ、姉ちゃん!


 口頭での謝罪は済ませたが、機嫌を良くするには山吹色……ではなくお口に合うお菓子がマストだ。

 姉ちゃんがスイーツ動画を漁っていた時に、「ここのパティスリーのタルト、予約しないと買えないくせに、予約できないんだよね」とぼやいていたタルト……は買えるはずがないが、それっぽいものを見繕おうと、小洒落た通りをひとり歩く。

 件のパティスリーの前を通りかかった時、妙な感じがした。ビビッときた、というのが最もしっくりくる、運命の糸の引力。

 ドアに手をかけ、引く。と、シャランと心地よい音が響いた。

 予約なしでも買えるカットケーキ達が、ショーケースの中で輝きを放っている。噂のタルトではないが、同じ店ならご機嫌が取れること間違いなしだ、と、真剣に選ぶ。

 タラリラリラ、と店の電話が鳴った。

 店員はぼくのことをちらりと見て、まだ注文しそうにないと判断したらしい。無駄のない所作で、電話を取った。

 姉ちゃんはフルーツが好きだから、何かしらかフルーツがのっている方がいいだろうか。それとも、大人らしいチョコレートケーキがいいだろうか。そういえば、なかなか買えないタルトというのは、どのようなものだっただろう。

 ショーケースの端、予約しないと買えないくせに、見せびらかすように置いてあるタルトをじーっと見る。

 フルーツがのっていて、キラキラする何かが塗ってある。あれ、なんだったっけ? 人生で数回だけ食べたことがある高級ケーキが、あんなキラキラを纏っていた気がする。確か、味がないゼリーみたいなやつだ。

「お客さま、こちらのタルトにご興味が?」

 店員はいつの間にやら電話を終えて、持ち場に戻っていたらしい。

「え、ああ、興味はあります。ありますけど、ほら。コレって予約しないと買えなくて、なかなか予約もできないっていう噂のタルトですよね」

「はい。大変ご好評いただいております」

「今、予約したら半年待ちとかですか?」

 ほんの興味だ。別に、待つ気などない。

 いや、予約しておいた方がいいだろうか。内定祝いの先回り……って、内定が出る前にタルトの予約日が来てしまったら、地獄だな。予約は、しない方がいい。

「そうですね、半年か、それ以上のお時間をいただくこともございます」

「ははは。それはそれは。あ、そうだ。このタルトが好きそうな人におすすめのケーキ、予約がいらない商品の中から選んでいただくことは可能ですか? なんだか、全部美味しそうで、悩んでしまって」

「あ、あの……」

「はい」

「こちらのタルト、先ほどキャンセルの連絡がありまして。もしご希望でしたら――」



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