#5 再び、海の底へ


 浜辺へと向かう帰路の道中。

 ジュウオウ村の村人たちが三人ほど集まって、何やら話をしていた。

 やはり皆一様に着物姿で、一見では古き良き日本の様だ。

 もっとも、ここはおそらく日本でも無ければ地球でも無い異世界だと俺は半ば確信している。


「――おいクスノキ。お前、あれは見つかったのか?」

「いいや、どこにも無え。盗人に入られたみたいだ」

「だからあれほど、今年の編み藁を買えと言っただろう。去年のなんか掲げといても、良い事ねえよ」

「そう言ってもよ、うちにそんな余裕が無え事くらい分かってんだろう? けちりたくもなるってもんだ」

「それで盗人に盗られちゃあ笑い話にもならねえな」

「ぐぬぬ……」


 そんな会話が耳に入って来た。

 どうやらクスノキと呼ばれた男は、編み藁で追い払らえると信じられている盗人に入られたらしい。

 信仰など所詮はオカルトでありやはり効力など無いと言う事だろうか、それとも彼らの言う様に古い編み藁では効力が弱いのか、どちらにせよ災難な事だ。


 ――ふむ。

 俺は少し思案した後、彼らに声を掛ける事にした。


「あの、すみません」


 彼らはやはりむっと顔をしかめて、余所者である俺に厳しい目を向ける。

 もしかするともう村で土産物を持たない余所者がほっつき歩いていると噂になっているのかもしれない。

 しかし、今の俺は数時間前までの俺では無い。


 何かを待つ素振り――つまり土産物を待つ彼らに対して、俺は抱えていた編み藁の中から、なるべく形が整っていて小判型になっている物を選んで差し出した。


「これ、“土産物”です。外れに住むシグレさんって人から買った物で、今年の編み藁ですよ。良ければお使いください」


 俺は“買った”と少し話を脚色した。

 正確にはシグレの好意でタダで貰った物だが、俺がこう言えば彼らはこう思う事だろう。

 この余所者はこの村で既に売買した。つまり、既に何かしらの“土産物”を用意していて、それをシグレへと送ったはずだ。ならば、“決まり事”に則った客人だ。

 そして、その売買で手に入れた編み藁を今度は土産物とした。

 つまるとこと、物々交換の要領だ。


 盗人に入られた村人、クスノキは目を丸くして、恐る恐る俺の差し出した編み藁に手を伸ばす。


「本当に、こんな上等な物を頂いて良いのかい?」


 クスノキの伸ばした手は僅かに震えてさえいる。

 俺はその言動に首をかしげた。

 あのシグレはこれらを“失敗作”だからと言って手渡して来た。しかしどうだろうか、この目の前で困っている男はその編み藁を“上等な物”と言うのだ。

 この食い違いはどこから来たものなのだろうか、と俺は自分が差し出した編み藁に目をやる。

 

 確かにこの中では最も形が良いと思える物を選んだ。

 だからだろうか、これ一つだけはまるで失敗作とは呼べない様な、綺麗な小判型をした物だった。

 失敗作の山の中に、偶然商品が紛れ込んだのだろうか。

 だとしたら親切なシグレに対して少し申し訳無いが、その偶然が功を奏して、目の前の男は大変喜んでいる。


「ええ、構いませんよ。どうぞ」


 そういう縁も有るだろうと、俺はそのままその綺麗な編み藁をクスノキの手に持たせた。

 これで俺が土産物を収めたという話はすぐに狭いジュウオウ村に伝わる事だろう。そして、彼ら村人たちに受け入れられるはずだ。

 

 ここから海まで歩いて戻る間、日も落ちて来て街灯も無い村の段々と暗くなって行く道すがら、客人である俺は背後から襲われる様な事も無いはずだ。

 対価を払い、安全を確保したのだ。


 

 それから。土産物のおかげだろうか、それともそんな物無くても命を脅かされる事は無かったのだろうか。

 どちらにせよ、俺は無事最初の浜辺へと辿り着いた。

 未知との遭遇、体験、それらから生じる恐怖と緊張感。広い海を眺めていれば、やっとそんな状況から解放された実感が湧いてきて、どっと力が抜けてしまった。

 俺はしばらくの間、白い砂の絨毯に腰を下ろして、黄昏時の水平線を眺めていた。

 

 ほんの少しの間だが、うとうとと船を漕いでしまっていたらしい。

 日が落ち切るのは思っていたよりもずっと早い物で、気づけばすっかりと辺りは暗くなっていた。

 ビルや街灯の様な人の営みを象徴する野暮な灯りとなる物が無いこの世界では、天を仰げば無数の星々が輝いて見えた。


 すると、声が聴こえて来る。歌声だ。

 あの時と同じ――でも少し違う、はっきりと詩の乗った唄として聴こえて来る。

 とても美しい女性の歌声が、どこからともなく聴こえてくるのだ。


 ――ああ、やっと来た。


 俺はこの歌声を待ち侘びていたのだろう。

 歌声に魅せられ、惹かれ、自分の身も厭わずに海の底まで沈んで行ってしまう程なのだから、また心が躍らない訳が無い。

 踊る心に従順なまま、あの時と同じ様に、まるで自分の身体が自分の物では無いかのように、脚がひとりでに動いた。


 他の事を何も考えられない。

 ぼうっと思考が遠くなって、無我夢中で海へと入って行く。

 膝まで浸かり、腰まで浸かり、ざぶざぶと波を掻き分けて、ついには俺の身体の全てが、海の中へと沈んで行く。

 俺の意識は、ここで暗転した。



「――いらっしゃい、空間そらまさん」


 俺の名を呼ぶ女性の声で、目が覚める。

 瞼を持ち上げれば、白い着物と白銀の髪をした美しい女性が、砂の絨毯の上で倒れる俺の事を除き込んでいた。

 深海の歌姫、ナキが出迎えてくれた。

 

 全ては俺の妄想だなんて事は無く、現実にナキは存在した。

 また無事ここに――深海の世界へと来られた事に、そしてナキに再会出来た事に安堵した。


「ああ、ナキさん」


 俺が手を着いて身体を起こそうとすると、目の前に彼女の白い手が差し出された。

 その手を取って、立ち上がる。

 白くて小さく、あまり力を掛けると折れてしまいそうで、俺はその手を取りはしても、立ち上がる為の頼りとはしなかった。

 

「約束、ちゃんと守ってくれたんですね。嬉しいです」

 

 ナキは優しく微笑む。

 約束――“また明日も来る”という約束だ。

 俺はその約束を守って、再び海に身を投げ、入水し、そして深海の世界へとやって来た。


「そうですね。また、歌声が聴こえて、それで――」


 そう言うと、ナキは少し照れ臭そうに髪を耳に掻き上げて、


「ええ。空間さんが、昨日そう仰っていたので」

「言っていた……。歌の事、ですか」

「はい。“お願い”されましたから」


 確かに俺は歌が聴きたいと“お願い”をした。

 彼女はその俺の願いを叶えてくれたのだ。

 

「それに、私の歌が地上まで届いたのかもしれない。唄う事で、またあなたにそれが届くかもしれない――と、そう思ったので、人様にお聴かせするのは少し恥ずかしいですが」


 そう言って、頬を朱に染めた。

 

 彼女は俺をまたここへ呼ぶために歌を唄ったのだ。

 その目論見通り、俺は再び深海へと誘われた。


「ええ、ちゃんと聴こえていましたよ。やっぱり、ナキさんの歌が俺をここへ導いていたんですね」

「そうなんですかね。だとしたら、少し嬉しいです」

 

 それから、少し歩いて、以前と同じ様に岩の椅子に二人して腰掛ける。

 辺りの様子は以前来た時と然程変わりはしない。ガラクタ類の散らかった、使われなくなった物の墓場。

 しかしそれでも気持ちすっきりした様に見える。ガラクタたちを岩の端に寄せてスペースを作った様だ。

 きっと俺が来る事を想定して気持ち程度の片付けをしてくれたのだろうと分かった。

 なんだかそれが微笑ましくなり、頬が緩んだ。


「ところで、ですけど。その、今日お持ちの“それ”は、何ですか?」


 と、丁度互いに席に着いたタイミングで俺が岩の机の上に置いた“それ”に、彼女は興味を示した。


「ああ、これは浜辺の村――ジュウオウ村って所で、シグレさんというお婆さんに貰ったんですよ。編み藁っていう村の風習で飾る物らしいんですけど――」


 ちらり、とナキを窺い、


「――良かったら、どうぞ」


 と言って、俺はその編み藁を全部彼女に押し付けた。

 数としてはまだ四、五個程残っている。

 

 と言うのも、正直言って嵩張っていた。

 ポケットに押し込めようとすれば入るのだが、それで全てのポケットを埋めてしまうのも不格好。

 何より、どうせ今晩を過ぎれば元の世界に帰る予定なのだから、必要が無かった。


「えっ、これ全部、頂いていいんですか?」

「どうぞどうぞ。お守りくらいにはなるんじゃないですかね、多分」

「じゃあ――、これにします」


 と、彼女は遠慮がちにその中から一つだけ、編み藁を選んで取った。

 それはその中でも一番形が変な、楕円形になってしまっている編み藁だった。


「なんだか、これが一番綺麗に見えます。なので、お守りとして持っておきます」

 

 確かに、この中では一番目立っていて手に取りやすいかもしれない。

 この編み藁の正確な形が小判型である事を知らないであろうナキにとって、それは失敗作ではなく良い感じの形をした物だったらしい。

 気に入ってくれた様なので、俺はあえて事実を伏せておく。


「――それでは、今日もお話しましょう。少しだけ、お茶とお菓子が手に入ったんです」

 

 と、そんな彼女の言葉から、この世界での最後の夜は始まった。

 

 俺は今日起こった出来事を彼女に話して行った。

 海の中だというのに外へ流れ出して行く事もない湯飲みに入った茶を啜り、豆を炒った様な味の薄い菓子を摘みながら。

 ――お茶は、ぬるかった。

 

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