#4 村の風習

 話を始める前に、俺はまず名乗る事にした。

 礼儀として必要だと思った。

 

「すみません、名乗っていませんでした。自分は空間といいます」

「私はシグレ、そう呼んでおくれ」


 シグレ――時雨、それが老婆の名だった。

 俺が先んじて名乗れば、シグレは孫でも見る様にうんうんと満足げに頷いた後、話をしてくれた。

 

「この村は見ての通り貧しい村でね。それは客人に振舞う茶すら惜しむ程で、そんな貧しさは人の心すらやせ細らせて行くんだよ」

「それで、心が荒んでいって、余所者を無視するようになったんですか? でもそれじゃあ、村の外との商売も出来ない。益々貧しくなっていくだけです」


 俺が信じられないとばかりに食いつけば、シグレは頭を振る。

 

「いいや、余所者を皆一様に捨て置く事などは無いよ。お前さんがぞんざいに扱われた理由、それはお前さんが“土産物”を持ってこなかったからだ」

「土産物、ですか……?」


 土産、手土産、貢物。それが必要なのだという。

 俺は続きを促す。


「そう。それがこの村の“決まり事”だよ。他所から来た者は“土産物”を――金でも物でも、何でも良い。何か価値のある品を村へ持ち込み、収めるのが常。飯を食おうにも、何かを買おうにも、全てはまず“土産物”だよ」


 村へ訪れた余所者が、手土産を持ち込むという決まり事。

 その聞き慣れない風習にしばし咀嚼の時間を要したが、つまりはこういう事だ。

 

「つまり、“チップ”が必要って事ですか」


 日本では馴染みがないが、海外へ旅行した事が有る者なら、一度は体験したことが有るのではないだろうか。

 通常の料金に加えて、従業員に対して追加で払うと待遇やサービスが良くなるアレだ。

 この村の様に無視され水を掛けられ蹴られるほどでは無いにせよ、場所によってはチップを払わなければまともに扱って貰えない所もあると聞く。

 まるで日本の物とは思えないそのチップ文化が強く根付く村、それがこの土地、この村なのだろう。

 ――ここは本当に、日本なのだろうか?


 しかし、俺の言に対してシグレは首を傾げた。


「ちっぷ……? 他所の人は手土産の事をそう呼ぶのかい?」


 どうやらシグレはチップが分からないらしい。

 おかしな発音で「ちっぷ」と言って、訝し気に首を傾げる。

 しかしながらも、なんとなく俺の雰囲気で俺が話の趣旨を理解しているという事は察してくれた様で、


「でもまあ、そういう事だよ。銅貨一枚でも、芋の一つでも良い。手土産さえ有れば、客人だ。――しかし、持たざる者に価値は無し」


 シグレの言葉は後半に行くにつれて、冷たく淡々としたものになって行った。

 

 ――恐ろしく排他的な村だ。不気味で恐ろしい。

 “価値は無し”というシグレの強い言葉。

 果たして、あのまま何の手土産も持たずにうろうろと村を歩き続けていたら、俺はどうなっていたのだろうか。

 無価値な俺はどういう扱いを受け、どういう目に会っていたのだろうか。

 うすら寒さに背筋がぞくりとする。

 

「しかし、手土産の事も知らんとなると、余程遠くの地から来た様だね」

「ええ、そうだと思います。そんな風習、聞いた事も有りませんでした。ここはどこに有る、何という村なんでしょうか?」

 

 常識の通じない、独自の風習、しきたり――“決まり事”の残る、治外法権の村。

 しかし山奥なんかならまだしも、海沿いであるのならば、そんな鎖国的な文化になるものだろうか?

 日本にそんな場所、存在するだろうか?

 俺の胸中に在った嫌な疑問が、確信へと変わって行くのを感じた。

 

「そんな事も知らずに来たのかい。不思議な子だね。ここは“ジュウオウ村”だよ」


 “ジュウオウ村”――どういう字面を書くのかすら分からないが、シグレはこの地をそう呼んだ。

 当たり前の常識の様に呼ばれる村の名前。

 しかし、俺はこれまでの人生で一度もその名を聞いたことが無い。


 俺は急く気持ちのままに、言葉を重ねる。


「ジュウオウ村――すみません、全然知らない場所です。この村が、日本のどのあたりに有るのかって、分かりますか?」

「“にほん”? さて、どこだろうか。私には分からないねえ」


 “にほん”の発音が、先程の“ちっぷ”と同じ、全く知らない物に対してのそれだった。

 文脈上から予想出来なければ、それが土地を指すのか、人を指すのか、食べ物を指すのか、それすらシグレには分からないのだろう。

 

 「ああ、やっぱり」という独り言が胸中に浮かび上がった。薄々そんな気はしていた。

 しかし、その嫌な予感が正しく輪郭を帯びるのを受け入れ難かった俺は、未練がましくも更に重ねて問う。


「……ここは、日本のどこかでは無いんですか?」


 しかし、俺が望むような答えが返って来るはずも無く。

 

「ここはジュウオウ村。“ヨコシマ様”の見守る、小さく貧しい村だよ」


 ただそれだけ、とそれ以上この地についての情報は得られなかった。

 シグレはこの村で育ってきた人間であり、村から出た事も無いという。それ以上の事を知らなかったのだ。

 

 それから、俺は“日本以外の国の名前を知っていますか”とか“電話とか使えますか”とか、一般常識レベルのいくつかの質問を続けた。

 しかし、それら全てに対して首を横に振られるか全く知らぬというリアクションを返されて、徒労に終わる。

 そして、ある結論に辿り着いた。

 

 間違いない。ここは俺の知る現代の日本では無い。

 時を越えて過去に来たか、はたまた空間を越えて地球上のどこでもない異世界へ迷い込んだか――どちらにせよだ。

 ここは知らない世界の、知らない浜辺。その傍にある小さな村――ジュウオウ村だ。

 深海の歌姫に誘われて、俺は異界の地へと迷い込んでしまったらしい。

 

 しかし、ここが過去で、も未来でも、異世界でも、それは最悪の場合とは言えないだろう。

 もっとも懸念した事、それは――、

 

(――まさか、死後の世界だったりしないよな)


 という一点だった。

 海で溺れて死んだ俺が辿り着いた終着点がここなのだとしたら、もっと生前徳を積んでおけば良かったと後悔する。

 海の底に広がる不思議な世界を経験したからか、どうしてもそういったスピリチュアルな方面に思考が寄ってしまう。

 しかし考えても仕方のない事だ。俺はがっくりと肩を落とす。


 そうして俺が一通り質問を終えて、目の当たりにした現実にうなだれていると、シグレは言い訳でもする様に「でもね」と前置きをして、


「でもね、村の者たちをあまり悪く思わんでやってくれ。もうすぐ“祭り”だからね。祭りに来る余所者は良い土産物を持って来るのが当然だと、皆そう思っておるからこそ、ああいった対応になってしまったんだよ」


 余所者が来たのだから、祭りへ来たのだろう。祭りへ来たのだから、良い土産を持っているだろう。――と、村人たちはそう考えたのだ。

 そういう期待からの落差が、俺への当たりをより強くしていた。

 間が悪かった、というやつだ。

 

「祭り、ですか……」


 俺はつい毒づく様にそう吐き捨ててしまった。

 この胡散臭い村の祭りなんて、碌な物ではないだろう。

 最悪余所者の俺が生贄にでも捧げられるのではないかと、内心くだらない妄想でびくびくとしていたが、どうやらそういう事では無いらしい。


「ああ。ほら、ここへ来るまでの間に、家の表に“編み藁”が飾ってあるのを見なかったかい? こういうものだよ」


 と言って、シグレは自分の手元に有った作りかけの藁で出来た小判型の飾りを見せて来る。

 黒の横糸と白の縦糸の二色の藁を使った編み藁。

 

 それは確かに見覚えが有った。

 おかしな風習でも有るのだろうと気になっていたので、よく覚えている。

 どうやらそれはこの村の祭りに関連する物だったらしい。


「はい。どの家にも大体飾ってあったのを覚えています」

「祭りの時期が近づいて来るとね、この編み藁を門扉に掲げておくんだよ。毎年新しい物が必要になるから、こうして作っているのさ」


 シグレは手元に視線を落として、そう言いながら編み藁の作成を再開した。


「その飾り――編み藁には、どういった意味合いが有るんですか?」


 例えば正月に飾る門松、あれには神を迎え入れる為の依り代という意味が有るらしいし、他にもクリスマスリースにも魔除けの意味合いが有ったはずだ。

 このジュウオウ村でお祭りの時期に飾られる“編み藁”にも、通ずる物が有るのかもしれない。

 

「これは大昔から、それこそ村の長が姿を見せなくなるよりもずっと昔からこの村に伝わっているものでね。盗人から家を守ってくれる魔除けとしての役目があるんだよ」

「盗人――泥棒避けのおまじないですか。でも、どうしてまたお祭りの時期に――ああ」


 聞きかけて、自分で理由に思い至った。

 この村の住人は心までも貧しくなってしまい、俺の様な余所者に対して過剰なまでに排他的だ。

 そして、祭りの時期には村の外から多くの“余所者”がやって来る。

 勿論余所者たちの殆どは“土産物”を持参して来る歓迎すべき客人たちばかりだろうが、この村の人たちはそうとは思わなかった。――いや、実際にそういう事が過去に起こっているのだろう。

 つまり――、


「――余所者に対しての、魔除けなんですね」

 

 貧しい自分たちの財産を脅かす“魔”を除ける必要が有った。

 この“編み藁”は、祭りの時期に外から来る余所者に交じった盗人から自分たちの限られた財産を守ろうとする、村人たちの抵抗の証なのだ。

 

「そう。悲しい話だが、祭りの騒ぎに乗じてそういう事をする輩も居るという事だよ」


 家の表、玄関、門扉にそれを掲げておくというのも、編み藁の由来を聞けば意味が分かる。

 人の出入りする入口を、盗人という“魔”から守るのだ。


「まあ、お前さんが余所者にせよ、“迷い人”にせよ、土産物さえ持てば客人として扱って貰えるだろうよ。折角ここまで来たんだから、どうせならお前さんも祭りを見て行くと良い」


 俺としては明日にはナキに“お願い”してこのおかしな場所から帰るつもりだが、シグレにそう正直に言う訳にも行かないので、「そうですね」と曖昧に頷いて興味を持っている風に相槌を打つ。


「それで、そのお祭りって何をやるんですか? 神輿とか?」


 “神輿”が“みこし”として伝わってしまうかとも思ったが、今回はそういう事は無く、シグレは答えてくれた。


「祭りの日に、子を成す為の儀式を行うんだ」

「子を成す――それって、そのままの意味ですか? 人間の子を?」

「そうさ。毎年祭りの日に、村の長によって数組のつがいが見初められる。その番はこの村の神“ヨコシマ様”の祝福を受けて、子を成すのさ」


 子を成す儀式――他人の生殖行為を人前で行い、それを祭りの催しとしている、という事だろうか。

 だとしたら、あまりにも悪趣味だ。

 異界の外れ村なのだから俺の持つ常識なんて通用しないだろうし、ここの人々にとってはそれも当たり前の事なのだろう。

 しかし俺の価値観では、その儀式とやらに嫌悪を感じてしまった。


 どうやらそんな俺の内心は態度に出てしまっていたらしく、シグレは少し申し訳なさそうに眉を顰めて、言い改め直す。


「ああ、違うよ。何も皆の前で儀式を行う訳では無い。あくまで儀式自体は神殿の中、神の御前で行うものだよ。祭り自体は、そのつがいたちを祝って舞の奉納をしたり、食事が振舞われたりとした、いつもの貧しい村を知る者からすれば驚くほど華やかなもんだよ。と言っても、その食事も元は頂いた土産物だから、誇れたものでも無いけどねえ」

「ああ、そういう感じですか。びっくりした……」


 俺の早とちりだった様だ。

 だとしても、その儀式には違和感が有った。


「でも、こう言ったら失礼かもですけど、そのお祭りって他所の人が土産物を持参してまで来る価値が有るんですか?」

 

「ああ。この村にはもう一つ“決まり事”が有ってな、この祭りの日、儀式以外での姦淫が禁じられておるんだ。勿論それにも意味はある。

 ほら、ここへ来るまでに出会った村の者の数――少ないとは、思わなかったかい?

 この決まり事に則って村民の数を一定に保つ事で、こんな貧しい村でも食糧不足に陥る事無く、そして人手不足にもならない、そんな均衡が保たれておるんだよ。

 そんな“決まり事”から生じた村の祭りに、外の者が勝手に“生命”や“長寿”のご利益を見出し、それに肖ろうと祭りの日に来訪する様に成った、と言われておる」


 風習、決まり事、儀式。

 そういった物で縛り、管理する事で存在を維持している歪な村。


「……歪んだしきたりですね」


 そんな正直な気持ちが、俺の口からは漏れ出た。

 しかしシグレは特に気を悪くした様子も無く、


「余所者には、そう見えるだろうね。だが、それでこの村が成り立っているのも、また事実」


 しかし、その決まり事――しきたりには、ルールには穴が有るではないか。

 ギリギリの際で細く長く生き延びる為のルールらしいが、それはあくまで理想論であって、決して現実的ではないだろう。


「でもそれって、例えば事故や流行り病なんかで村の人が大勢亡くなったりすると、すぐに破綻するんじゃないですか?」

「ああ。しかし、そうはならんかったからこれまで続いている。ヨコシマ様の御前で子を成す事で健やかな子が産まれ、ヨコシマ様の加護でこの村は厄災からも守られる。皆そう信じておる」

 

 繰り返し話に出て来る“ヨコシマ様”という神様。

 その加護によって村の平穏が――なんて話、オカルト臭過ぎてにわかには信じられない。俺はあまり信心深い方ではない。

 しかし深海の底に行ったりこんなおかしな村に流れ着いたり、ここまで不可思議怪奇な事に連続して直面し続けていると、本当に神様も居るのではないかと思ってしまえる。

 ともかく、詳しいその実態は分からないが、その神への信仰がこの村を形作っているらしい。


「質素に生きる限り、大きな不幸からは守ってくれる――みたいな神様なんですかね」

「そうかもしれぬな」

 

 そう言って、シグレは少し陰った笑みでどこか遠くを眺めていた。

 

 気づけば、随分と長く話し込んでしまっていた。

 知らない事、分からない事だらけだったが、このシグレのおかげで大分この村の状況が掴めて来た。

 しかし、


「すごく助かりました、ありがとうございます。でも、すみません。俺持っていたお金とか、全部無くしちゃったみたいで――その、“土産物”の用意が無いんです」


 この親切なシグレもまたこの村の住人だ。

 であれば、俺もこの村のルールに則るならば土産物を渡さねばならない。

 それにそんなルールが無くても、沢山の情報を与えてくれた恩人とも言える相手に何か例の一つくらいはしたい。

 だと言うのに、俺は一文無しだ。何の土産物も用意が無い。


 しかしシグレは俺のそんな言葉を笑って一蹴する。


「構わんよ。こんな村の外れで一人寂しく暮らす婆の話し相手になってくれただけで充分。その時間が何よりの土産物だよ」

「そう言って貰えると、助かります。ありがとうございます」

「礼を言うのはこちらの方だよ。むしろ、何か私が礼をしたいくらいだ」


 と言って、シグレは積んでいた編み藁の山から幾つかを見繕って、俺へと手渡してきた。


「ほれ、土産物。持って行くといい」

「そんな、悪いですよ!」


 俺は一度断ろうとしたが、シグレはぐいぐいと押しつけてきて、無理矢理突き返すのも失礼な感じになってしまった。


「実を言うとな、それは失敗作と言うか、形が悪く売り物にならん。バラすのも藁に跡が付いてしまって難しい。持って行ってくれると助かるのさ」


 あまりに俺が遠慮するからそう気を使ってくれたのだろうと思ったが、渡された編み藁をよく見れば、言っている意味が分かった。

 横の黒の藁と縦の白の藁で編み込んで小判型を成すはずの編み藁だが、圧し潰した様にぺしゃんこ――楕円形になっている物が混ざっていた。

 よく喋るシグレは一見元気そうに見えるが、足が悪そうだったり、目が悪い所為か、それとも指先が上手く動かない所為か、作っている編み藁の形が歪んでいたりと、どうやらそれなりに身体にガタが来ている様だ。


「本当に、ありがとうございました」


 俺は最後にもう一度礼の言葉と共に腰を折ってから、幾つかの編み藁を腕に抱えて、その村外れのシグレの家を後にした。


 ――不思議な人だったな、と思う。

 いや、この村の中では唯一まともな人では有ったのだが、それが逆に不思議だった。

 このおかしな風習としきたりに縛られた村の住人でありながら、こんな得体のしれない、土産物も持たない余所者に対して親切にしてくれたという事自体が不思議だった。

 それでも、俺としては渡りに船。

 あのまま村をふらふらと徘徊していた場合に想定されうる、“価値の無い余所者”としての最悪の事態にならずに済んだ。

 命拾いした、というやつだ。

 

 ともかく、もうこれでこのおかしな村――ジュウオウ村とはお別れだ。

 日も暮れて来た。

 夜になれば、またナキに会える。そうすれば、きっと帰れる。

 俺はそう信じて、海を目指して、来た道を歩いて行った。

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