僕だけが見分けられる双子事情

渡貫とゐち

姉とは恋人。


 ――舞浜まいはま姉妹は双子だ。瓜二つ、いや、鏡の中からもうひとりが飛び出てきたんじゃないかって疑うほどに同じ顔、同じスタイル、同じ成長速度――


 口調も抑揚も趣味嗜好も全て同じだった。狙って合わせているのかと思うほどだ(まったくの0でもないだろうけど……合わせている部分もあるだろう)。


 そんな姉妹は名札や服の色などの、目印がなければ見分けがつかない。

 実の親であっても彼女たちを間違えることの方が多いらしい……それは単純に二分の一を外しやすいだけの気もするが……。


 根本的なことを言えば、彼女たちが正解を素直に答えているとも限らない。

 姉の『しずく』……妹の『しぶき』。姉を指して「しずくでしょ?」と質問しても、姉が素直に「そうだよ」と言うとも限らないわけだ。


 自己申告でしか正解か不正解か分からないのであれば、目の前に立っている彼女が「しずく」なのか「しぶき」なのか分からない……。

 せめて髪型を……いや、目印をつけてしまえばそれを利用され、勘違いを誘発させられてしまう。見える目印に頼るのは姉妹に「騙してください」と言っているようなものだ。


 目に頼るべきでない……なら、他の五感に頼るべきだが、声や足音、匂いから、なにからなにまで一緒である。

 ドッペルゲンガーよりそっくりなんじゃないか……? 舞浜姉妹を確実に見分けられる人はいないだろう……、僕は、『僕以外』に彼女たちを見分けられる人を、見たことがなかった。



「ひどいことするよね……だいじょうぶ? あづちくん」

「…………うぅ」


「わたしは姉の方だよ。あづちくんを仲間はずれにしていじめた妹じゃなくて。……おんなじ顔だから嫌なことを思い出しちゃうかもしれないけど……わたしはあづちくんの味方だから」

「……ほんとうに?」


「うん。こうやって妹のしりぬぐいをしているの。だってわたしはお姉ちゃんだから。それにあづちくんをいじめたいって思わないもん。本、好きでしょ? 真似した妹と違ってわたしも好きなの。おなじ趣味の子と話してみたいなって思ったから……ほら、一緒に図書室、いこ」


 ――姉のしずくが手を引いてくれた。妹とは違って(顔は同じだけど)、さすがはお姉ちゃんだけあって包容力があった。

 当時は小学生低学年だったけど、ふたつ上に感じるほどに、彼女は大人に見えたのだ――。


「じゃんっ、海外の冒険小説なんだけどね――面白いよ、おすすめ」

「へえ……じゃあ読んでみようかな」

「じゃあ、読んでるあづちくんを隣で見てようかな」

「なんでよ……気が散るじゃん」

「このくらいで気が散るなら集中してないってことだと思うの、わたしはね」


 確かに、一理あった。それから、しずくと図書室で本を読むのが、当時の日課になっていた。彼女がおすすめしてくれる本を読んで、読んでいる僕の隣でしずくが僕を見ている……

「あ、ちょっと待って。まだめくらないで……わたしも読んでるんだから」と、ちょくちょく僕の手を止めてくる。

 一回読んでるはずだよね? ……あと、同じ本がまだ数冊あるのだから、取ってきて読めばいいのに、と思ったけど、提案はしなかった。

 だって提案してしまえば、しずくは僕から離れてしまうと思ったから。


 一冊の本をふたりで読む。

 自然と距離が詰まるし、同じ時間を過ごすことになる……そして意識はふたりとも、同じ世界に入り込む……。まるで色々な場所にいって多くの冒険をしたみたいな気分だった。


 昼休みも、放課後も、僕としずくは本を読む。

 それだけの繋がりだったけれど、とても太い繋がりだった――……でも、そんな関係性はやっぱり低学年までで、高学年になってからは機会が減っていった。

 代わりにお互いのお気に入りの本を勧めるようになって……、その感想を語り合うのだ。高学年になればスマホを持たされるし、毎晩、メールや通話をする。

 布団の中で喋っていたらいつの間にか眠ってしまっていたなんてのはあるあるだった。

 物理的な距離が詰まることは減ったけど、心の距離は確実に縮まっていたと振り返ってみても確信がある。


 中学に上がれば勉強に部活に忙しくなった。

 しずくはバレー部、僕はバスケ部に入部した……お互いにインドアの文化系だったけれど、同性の友人と一緒に入ったのだ。……真剣にやるつもりはなかった。

 僕はバスケをしていると言うよりも、小説で読んでいた『部活動』というものをしたかったんだと思う……、大会で優勝することを目指して、練習して、手に汗握るような試合をして――でも結局、小説の主人公のような、熱中するほどの趣味ではなかった。

 そしてそれは、しずくの方も同じだったみたいだ。


 部活をしているよりも家で本を読んでいる方が幸せ――。

 運動部に入っている分、休みの日は一日中、部屋に引きこもっていた――たまにしずくが家にきて、喋るでもなくお互いに勧めた本を読んで……たまに一言、会話をしたり、相手の独り言を聞いたり……。どっちがいつ言ったのか分からないけれど、気づけば僕としずくは付き合っていた――彼氏彼女の関係へと、進展していたのだ。


 僕たちは高校へ進学した。一緒に勉強していたので、偏差値も同じくらいで……だから一緒に高校へ進学することができた。

 小学校、中学校、これから高校生活が始まる――僕たちはなんだかんだでずっと一緒にいる……。もしかしたらこれから先も――――同じ家で住むのかもしれない。


 それもいいな、と思った。


 それが幸せだなって、思った。




 放課後に待ち合わせしていた図書室へ向かう。

 しずくが好きそうな本をいくつか抱えて、待ち合わせしていた机へ向かうと――先に彼女が座っていた。


 いつも通りに彼女が手を挙げる。それに、僕は「ん」と頷く。


「はいこれ。おすすめ……もしかしたらもう読んでるかもしれないけど」

「昔に読んだかも。でも忘れてるだろうから、また読んでみるよ……ありがとね、海翔かいと


 彼女はいつからか、よく笑うようになった。昔は無表情――とまでは言わないけれど、あまり表に感情を出すことはしなかった。

 僕も似たようなものなので分かるけど、一瞬、考えてしまうのだ……面白いことを素直に受け止められずに、どうして面白かったのかと考えてしまう。


 笑いの仕組みを考えてしまって、最短で笑えないのだ。

 しずくはそれが顕著だった。考えてしまうから、笑いどころを見失って…………笑ってはいても、冷静な自分が近くにいる。

 面白いのに充分に笑えない僕たちは、きっと損をしているのだろう……。


 昔はそれがひどかったしずくも、今では考えずに笑えるようになった。考えなくなったわけじゃないだろう、今も笑いの仕組みを考えてしまうはずだ。

 それでも、考えながらも素直に笑うことができるようになった……そういう成長をしたのだ。


「あ、そだ。海翔におすすめしたい本、持ってくるね」

「いや、いいよ――僕はしずくが選んだものが読みたいからさ」


「? ……だから、選んでこようかなって――」


「じゃなくて。――お前が選んだのはいらないよ、『しぶき』」


 立ち上がった彼女の動きが止まった。

 しずくとまったく同じ顔だが、好意か嫌悪か、敵意か憎悪があれば、表情の一部は違いが出てしまう。まったく一緒の表情は、さすがに姉妹でも再現はできない。


 立ち上がった彼女がゆっくりと腰を下ろした。

 しずくが見せた微笑みは消え、じろり、と、眼球が動き、僕を見つめた――いや、睨んだ。


「……どうして分かったの?」


「しずくとしぶきの見分けくらいつく」


「嘘。だってお母さんとお父さんも、あたしたちのことは見分けがつかないのに……。しずくと付き合っているから分かるってこと? でも、だったら親と立場はそう変わらないでしょ。顔も髪型も、声も匂いも癖も同じ。足音だって……、趣味嗜好も口調も抑揚の付け方も。

 音楽はなにを聞く? 好きな本は? 体をどこから洗う? ……全部一緒なのに、どうしてあんたはあたしたちが見分けられるのよ」


「お前のことが嫌いだからだよ」


 ……返事はなかった。

 しぶきは、鳩が豆鉄砲を食ったように、動けなくなっていた。


「……小学生の頃に僕をいじめていた事実はなくなったりしないし、僕は今でも鮮明に覚えてる……。お前が目の前にくれば寒気がする、心臓が嫌な鼓動の仕方をする……気持ち悪くなって、視界が狭まるんだよ……。高熱が出た時と同じ感覚なんだ……まだ風邪の方がマシだ。

 とにかく、僕はお前が嫌いで、だからこそどれだけ顔が似ていようが分かるんだ。……間違えるもんか。しずくとお前みたいなクズを、一緒にするな」


「なによ、それ……っっ」


 しずくが見せない表情だ。

 そんな顔を、しずくにさせてはいけないと思った。


 僕の一番の好意を伝えるのは。しずくだけだ。そして、僕の全ての『負の感情』をぶつけるのは、しぶきだけだ――彼女以外に、ここまでの敵意と嫌悪と憎悪を向けるものか……。

 女の子に向かって気持ち悪いだのクズだの言う相手は、彼女しかいない。彼女だけは――どれだけ善行を積まれようが、受け入れられない。

 ……絶対に許せないし、今後も許す気もない。僕はこいつが嫌いだ。


「僕は、お前が大嫌いだ」


「…………」


「二度と僕の前に顔を見せるな――僕に、関わるな」


「っ、姉妹、なんだからさ……それは無理でしょ」


 そうだね……だから、完璧にしろとは言わないよ。

 できるだけでいい……僕の視界に入らなければそれでいいから……。


「お前だって、僕のことが嫌いなはずだろ……、じゃあお互いに良いことじゃないか。どうして僕に付きまとうんだ――」


「…………しずくの妹だから」


「だから?」



「あたしたちは、瓜二つ以上に、同じなのよ……」


 それだけ言い残し、彼女は席を立って、図書室から出ていった。


 ……そう言えば、しずくは? 遅れてくるのだろうかとスマホを見てみれば、


「お待たせ」と、しずくが顔を見せた。


「ううん、待ってないよ」

「しぶきと喋ってたでしょ」

「なんのこと? 記憶にないけど」


「…………嫌いにもほどがあるでしょ……でも、あの子からすれば自業自得だもんね」

「?」


 しずくは机の上に積まれていた本を手に取って、「あ、これ昔、読んだけど内容忘れてる本だ……読みたい……読んでもいい?」とねだってくるので、当然のように「いいよ」と答えた。というかそれ、僕がしずくのために持ってきた本だし……読まれて当然のものだ。


「海翔」

「ん?」


「しぶきが昔、海翔のことをいじめていた理由って、聞いてないの?」


「聞いてないよ。どうせ『ムカつく』とか、『うざい』からとか、そういう短絡的な小学生らしい理由でしょ? 聞くまでもない……、裏にどんな思惑があったところで、こっちの傷は癒えないんだから意味ないよ」


「そう……やっぱりもう、無理なのかな……」


「仲直りは無理だよ。それだけ、僕はあの時のいじめが、トラウマになってるから――」


 ――しぶきの言わんとしていることは、なんとなく分かってはいた。

 僕へのいじめは、『過剰な構ってちゃん』であり、気になるあの子にちょっかいをかけてしまえ、という気持ちがあったのだと、今になれば分かるけれど……当時の僕には分かるはずもなかった。

 たまにしぶきがしずくのフリをして僕に近づいてくるのも、どうにか仲直りしたいからであり……、それはしぶきが、恋でなくとも好意が僕に向いているのだろうと予想できる。

 勘違いだったらいいけど……でもそうでなければ、僕は安易に仲直りはできない。


 双子で、両方から好意を受けているとすれば、ややこしいことになる。

 単純な三角関係なら、一方を切ってしまえばいいけれど、姉妹で、さらに双子となれば切っても切れない縁がある。だから――、これでいいのだ。


 片方が世界一好きで。

 片方が世界一嫌い。

 それでバランスが取れているはずだから。


 ……しぶきには悪いけど、僕が彼女と笑い合えることはない。

 今後、一生――


 僕は彼女を許せないくらいには、本気で嫌いだから。



「でもさ、海翔……わたしからのわがままなんだけど……」


 恋人が、本で口元を隠しながら、上目遣いで懇願してくる。


「妹とも、少しは仲良くしてあげて……?」


 ――大好きなしずくのお願いならば、無下にするわけにもいかなかった。



 …了

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