第8話 滅びゆく世界

 私は、博を騙して外務省の情報を盗んでおきながら、博と別れることができずに、まだ付き合い続けていたの。


「楓、今日は寒いね。僕のダウンのポケットに手を入れなよ。暖かいよ。」

「うん。」


 博は、私の手を握って、自分のポケットに手を入れた。最近は、博の手を握って、博の心を知ることに不安はなくなっていたの。だって、これまで博が悪いことなんて考えてたことないもの。安心して、心を許せる。


 でも、私が遺伝子操作をされて生まれた子だということ、相手の心を読める特殊能力を持っていることは言えない。そんな化け物だなんて思われたくないもの。


 私が、この人と結婚し、子供を作り、暖かい家庭を作れたら、どんなに幸せだろう。一軒家のお庭で子供が暖かい陽を浴びて遊び回り、それを博が笑顔で見守っていて、私が、お昼ご飯を作り、そろそろお昼にするわねなんて声をかけている。


 そんな時が過ごせれば、どんなにいいだろう。でも、私は、整形したとはいえ、日本政府から逃げて追われているし、大圳国政府からの指示には逆らえない。そんな人が、幸せな人生なんて夢をみてはいけないのよね。


 でも、博は、私との結婚も考えてくれている。まだ、言ってくれていないけど、今年のクリスマスにはプロポーズもしようと。そして、男の子、女の子の子供と幸せに暮らすイメージをしっかりと持ってくれている。


 どうすれば、そんな夢を実現できるのだろう。大圳国政府に、そろそろ恩は返したんだから、自由にしてと言えばいいの? だめだと思う。大圳国って、思っていた以上に、政府の力は怖い。反対勢力とかは、知らぬ間に自殺などと偽装されて殺されたりしている。


 それに、大圳国政府は、私に大金を払い、1年に情報を盗めというのは2人ぐらいで、あとは自由にさせてくれている。結婚はだめだと言われているけど、私が、博と一緒にいることは黙認してくれている。その辺が上手いわよね。


 トウモロコシの件を大圳国に伝えたら、これで、これからの世界は大圳国がリードできると非常に感謝された。私は、まだ人間への影響は検証できていないと伝えたけど、大圳国の幹部は、日本人はそんな考えだから発展できないんだと言っていたわ。


 日本人は、遠くにある島に行くときに、波がどうだとか、塩分がどうだとか、出発するまえに大いに議論して時間を費やしているんだとか。リニアモーターカーだって、何年かかっているんだよって笑っていた。


 大圳国だったら、まずは海に出て、問題があれば、その都度、解決していくんだと言っていたの。だから、トウモロコシも、一定の検査で食べた人に1週間以内に害がなければ、どんどん広げていくんだって。


 そういう政策には、私は関心ないから、どうぞって感じ。私にとって大切なのは、博との明るい未来のこと。そろそろ、辞めたいと打診してみた。そうしたら、考えてみるって。もしかしたら、チャンスもあるのかもしれない。


「あの女、今日、そろそろ辞めたいと言ってきたぞ。使えるやつなんだけど、同じ特殊能力をもつやつもいるし、そもそも、情報を盗んだ相手と暮らしたいなんて、もう限界かな。」

「そうだな。あいつは、優しすぎるんだよ。あれだけ大金払っているんだから、歌舞伎町のホストとかと遊んでいればいいんだよ。あんな外務省の男より楽しませてくれるんじゃないか。」

「そうだよな。そろそろ、殺るタイミングだな。」


 博とは、初めて旅行に来ていたの。博の車でドライブに行かないかって誘われて、箱根の温泉に来ていた。


 冬の箱根は、木々の葉っぱは落ちて寒々しい風景だったけど、私には、博と一緒にいられる時間が楽しくて、とても暖かい風景にしか見えなかったわ。


 道路には、昨日、降った雪が積もっていて、光を浴びてキラキラと輝いていた。このまま、汚いものを隠しておいてね。私が化け物ということも、ずっと隠しておいてほしい。お願いだから。もう少しでいいから、幸せな時間を消さないで。

 

 そして、博が予約をしてくれたホテルでは、スイートの部屋の窓側に家族温泉があって、大浴場にいかなくても、いつでも使えるサービスがついていたの。一緒にお風呂に入るのは恥ずかしかったけど、博と一緒にいられる時間は1分でも大切にしたかった。


「雪が降ってきてきれいね。」

「ああ。やっぱり温泉というと雪だね。」

「明日の運転は気をつけてね。」

「大丈夫。雪の箱根は何回も車で来たことあるし。」

「そうなんだ。でも、こんな静かな風景の中で博と2人で過ごせるなんて、本当に幸せ。私、昔から、あまり周りの人に馴染めなくて1人で孤独な時間が長かったから、こんな幸せの時間が来るなんて思ってもいなかった。」

「僕もだ。楓と会ったときから、楓しか目に入ってこなかった。どうか、僕と結婚してもらいたい。」

「本当! 嬉しい。こういう日を待っていたの。ありがとう。」


 私の目から、温泉に雫が1滴落ちた。やっと、私にも人並みの幸せが来るのね。これまで、本当に苦労もしたし、嫌な思いもした。でも、これで、報われる。


 私は、外の雪景色を見ながら、博の肩に顔を傾けた。そして、博は、私を大切に抱きしめ、唇を重ねてくれた。そして、暖かい布団のなかで、博の腕に包まれ、心穏やかに眠りについた。


 翌朝、障子から朝日が溢れ、横にある博の顔を見ながら目を覚ましたわ。これからも、ずっと、博が横にいて朝を迎える日が続いてほしい。


 朝食を取り、博の車で帰りの道を走った。そして、坂を下る時に、突然、ブレーキが効かなくなり、私達の車は山の壁に激突し、炎上した。


 それから5年経ち、大圳国政府には恐ろしいデータが上がってきていた。大圳国と、大圳国からトウモロコシを輸出した国において、98%以上の3歳児で急に脳が萎縮し、死亡しているというものだった。


 更に、成人でも、30%の人が同様に、脳が萎縮し、死亡していることも分かり、その割合は日に日に高くなっているというものだった。


 大圳国では、すでに、一般家庭で食べるトウモロコシは、ほぼ全部が、あの日本から盗んだ情報に基づき生産されたものになっていて、今からやめても、もう手遅れとのレポートがあがっていた。


 大圳国は、アフリカを中心に、砂漠でも育つトウモロコシとして栽培を広げ、それらの国々への支配権を確立していた。更に、アフリカだけでなく、全世界で、トウモロコシの80%は、大圳国のトウモロコシという状況になっている。


 すぐには公表できないとして、少なくとも2年はこのデータは秘匿すること、大圳国では、このトウモロコシの栽培は全面禁止にすると共産党トップで決定された。

 

 一方、その頃、北麗国では、総書記に反旗を翻すグループが、国家主席を拉致したうえで首都の軍事施設を占拠し、北麗国の威厳を示すとして、韓国、日本の軍事施設、主要都市への核爆弾がある部屋に向かっていた。


 そんな中、日本では、若者も高齢者も、それぞれの人生を謳歌していた。これから起こる悲惨なことを、なにも知らずに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたは知らない 一宮 沙耶 @saya_love

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ