入れ替わりアフター

ヨドコウ

入れ替わりアフター

 朝めざめると、となりに裸の女が寝ていた。

 ゆるやかなウェーブのかかった長い黒髪。目元のほくろ。育ちの良さげな顔立ち。

 私はこの顔に見覚えがある。

 優司ゆうじの今の彼女で、名前を、皐月さつきさんといったはずだ。

 一度だけ、彼女紹介をしてもらったことがある。興味はなかったけれど、優司とは、パートナーができたときは、お互いに紹介をするという約束をしていたからだ。そして、それきり、この女とは顔を合わせていない。


 私は上半身を起こして、ベッドのシーツにくるまれた自分の肢体を見下ろす。

 胸の膨らみが稜線となって、コットンの生地を押し上げていた。

 朝方の男性特有の張り詰める現象を感じることもない。

 誤解の余地もない、女性の身体。

 深く息を吸い込む。

 何がきっかけ? 何も思い当たらない。

 

 ……どうして、今になって戻ってしまったんだろう。

 

 小学生のときに、私と優司の身体が入れ替わった。

 あれからすでに二十年が過ぎようとしている。

 はじめは、お互いの新しい性別、対人関係、環境に戸惑い、傷ついていたものだが、二十年という歳月は人間を丸ごと変えてしまえる時間だ。


 今の私は、優司という男の姿でいた時間のほうが、はるかに長く、もうとっくに新しい身体と生活を受け入れていたはずなのに。

 なんで、いまさら元の身体に戻されなくてはいけないの。

 

 周囲に目を向けると、知らないベッド、知らない家具、知らない間取り。

 ここには、優司の築いた家庭がある。そのすべてを私は知らない。

 

 あまりに多くの考えるべきことに押しつぶされて、私が動けないでいると、いつの間にか目を覚ました皐月さんが、後ろから私の肩を抱きしめてきた。私は反射的に身を引くが、彼女はそのまま体重をかけ、裸のままの胸が私の背中にあたる。


「おはよう可奈かな。シャワーをあびてくるわね」

 そういうと、皐月は私の髪に顔をうずめて、

「好きよ」

 と私の首筋にキスをして、シャワールームへと歩いていった。


 たったそれだけで、優司と皐月さんが、どれほど愛し合っているのかを理解する。

 この身体は、昨晩、彼女と寝た身体なんだ。

 これは、もう、私の知らない身体なんだ。


 私は私で、男性の身体で昨晩、男と寝ていたのだから、何を言う筋合いでもないのだけれど。

 

 唐突にベッドサイドのスマートフォンが着信音を鳴らした。画面には優司の名前が表示されている。

 私はあわてて、指紋を押し当ててロックを解除し、電話にでた。


「可奈? 優司だけど……皐月に聞かれないように、話せる?」

「皐月さんはシャワーをあびてるけど、それよりこれは、どういうことなの」

「わかんないよ、とにかく直接会ってはなそう。今日は休日だから、今から出てこれるかな」


 私の家は、この優司の家から同じ沿線上で五駅離れた場所にある。

 私たちは、その中間駅である繁華街で落ち合うことにした。


 クローゼットに向かい、優司に聞いていた場所から、下着を取り出す。

 こんなフェミニンな下着、私なら絶対選ばないのに。

 皐月さんの顔がちらついた。

 どうせ、私はブラの付け方すら知らない。


「ええい……もうっ!」


 高校の頃までは、私が優司の服を選び、優司が私の服を選んで着ていた。

 当時、私たちは、常に離れずに行動していて、結局、私と優司は恋仲にこそならなかったが、ふたりとも身体が元にもどるまでは一緒に過ごすものだと当然のように思っていたのだった。


 私は女性を性的な目で見ることはなかったし、優司も男性からのアプローチはすべて断っていた。だから周囲が私たちを、カップルだと勘違いしてくれたことは、ふたりにとって都合がよかった。


 ふたりが別々の大学に進学すると、優司は大学で知り合ったという友だちの女の子を私に紹介してくれた。

 三人でカフェでお話をして、優司がその女の子を送っていったあと、彼は電話で「じつは、つきあってるんだ」と教えてくれた。


 特定の相手を作らないように、お互いに示し合わせていたわけじゃないけれど、それでも私たちには恋愛なんてする資格がないと思っていたし、ましてや同性と一夜をともにするなんて、借りている身体に対して申し訳ないと思っていた。

 私はひとりで勝手に、優司も同じ気持ちなのだろうと考えていたのだけれど、実のところ彼はずっと肉体的に同性のパートナーと巡り合う機会を求めていて、お友だちからアプローチを受けたことで、そのチャンスに飛びついたのだ。


 私は怒ることも呆れることもできず、今はもう優司の身体なんだから、自由にしていいんだよ、とだけ伝えたのだった。


 私が元の身体に戻ることを諦めたのは、その頃で、同時に私と優司が顔を合わせる機会は、目に見えて減っていった。

 優司は、大学の彼女と別れ、別の女とつきあい、そして皐月さんと同棲をはじめた。私はといえば、優司を見て、自分も開き直ろうと考えたにもかかわらず、自分の身体を人に預けることがどうしてもできずに、ひとり身のまま過ごしていた。

 それを変えてくれたのが、今いっしょに暮らしている孝之たかゆきだった。


 孝之とのくらしが、永遠に続かない可能性は常に頭の片隅にあった。

 それでも、こんな仕打ちはあんまりじゃないか。


 私は、理由は伝えずに、出かけることだけを、皐月さんのメッセンジャーに伝言として残し、部屋を後にした。


 ***


 優司から、待ち合わせ場所は、駅前のカラオケボックスを指定されていた。もちろん、歌うためではなくて、防音のきいた個室があるから。


 まだ午前中だというのに休日のためか、既に人で賑わう駅の構内をすり抜け、指定の大型複合ビルへと向かう。

 私はビルの階段をのぼり、二階にあるカラオケ店の中に入った。

 店員に優司がいる号室を伝えて、個室の扉をあけると、そこに……私がいた。

 昨日までの私が。


「優司。久しぶり」

 スマートフォンによる連絡は定期的にしていたものの、顔をあわせるのは一年ぶりになる。それよりも、男性の優司に会うのが二十年ぶりなのだ。昨日まで自分についていた顔であるにもかかわらず、中に優司がいるというだけで、小学生の頃の彼の顔が重なった。


 思いは優司も同じだったようで、彼も数秒の間、言葉を失っていたが、その後静かに口を開いた。

「おたがいに」


 私は、彼の向かいの座席に腰をおろす。ドリンクの注文を終えたところで、優司が切り出した。

「今朝、出てくるとき孝之さんにめちゃくちゃ浮気を疑われたけど、なんとか抜け出してきた。いったい彼氏とどういう付き合い方してるの」


 その光景が目に浮かび、苦笑する。


「ごめんね、少し寂しがり屋なだけ。私のこと、大好きなの。私は浮気なんてしてないし、すぐに落ち着くと思うから心配しないで」


 逆に、優司が聞き返す。


「皐月は、どうしてた?」

「全然話はしてないけど、優司が愛されてることだけは伝わった。幸せだったんだね」

「うん。実質、結婚してたようなものだから」

「なんだ。じゃあ、うちと同じだ」


 ふたりで顔を見合わせ、顔をほころばせる。

 寂しい笑顔だった。


 私は運ばれてきたアイスティーを口に運び、ここに至るまでに考えていた本題を切り出す。


「私は、もう一度もどれるとは期待していない。だから、これからは毎日情報交換をして適応していく必要があると思ってる」

「いいよ。それはこちらも考えていたことだから」

「だから、このあたりに部屋をひとつ借りて、そこで一緒にくらそうよ」


 優司が躊躇している様子が見てとれる。それでも、この方法しかないことは彼も理解している。


「……わかった。この身体で、皐月のところに戻れるはずないもんね」

「皐月さんが男性に興味がないなら、なおさらね。もう、昨日までの私たちはこの世界のどこにもいないんだから」

「とても、可奈みたいに、割り切れないけど」

「割り切りなんかじゃないよ。孝之は私を女性のようにも扱ってくれていたけど、それでも、彼は優司の身体でない私には興味をもてない」


 もう五年以上、夫婦のようにくらしていて、となりにいることが当たり前になっていた。はじめは、自分の男性の身体を彼の前にさらすことも辛くてしかたなかったのに、いつの間にか彼と身体を重ねることが、コミュニケーションの一部に変化していった。


 このまま、身体にあわせた部屋に戻っても、なにをしたってボロがでる。

 どうしたって愛する人を傷つけてしまうなら、できるだけ傷を浅くすませたい。


「ごめん。可奈に気持ちが追いついていなかった。覚悟をする時間なんて最初からなかったんだ」

「私こそ、ごめんね。私たちが本当はつきあえてたら、良かったのにね」

「たぶん、その道はなかったと思うし。この二十年をなかったことにはしたくないから」

「うん、そうだね」


 優司が静かに涙をこぼした。つられて、私も、泣いた。


「決めた」

 私のことばに涙をぬぐって、こちらをみる優司。

「このまま、もう一度優司の身体に戻れないのだとしたら、私は子供を産みたい。孝之から精子を提供してもらって、彼との子供を私が育てる。だから、優司にも協力してほしいです」

「えっ、ずるくない? 皐月との間に子供なんて絶対無理。彼女は男にも子供にも興味がないし」

「私だって、実現する可能性なんて無視して喋ってるの。前向きにいこうよ」

 

 私がそういうと、優司は大げさに頭をかきむしりやがて静かに、

「明日、可奈の身体に戻れるかもしれないしね。可能性だけなら無限にあるか」

「そういうこと」


 そして、私は室内のデンモクとマイクを手に取る。


「私さ、二十年間歌ってみたかったハイキーの曲が山ほどあるの」

「失恋ソング?」

「ちがうよ。元気のでる曲!」


 山のような問題を棚上げにして、まずは気分をあげていこう。

 それは、私が孝之に教えてもらった、前向きに生きるための秘訣だった。


[おわり]

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