投稿ボタンがなかなか押せない

春巻将軍

投稿ボタンがなかなか押せない

 小説家になろうに短編を投稿しようと思う。

 さっき書き上げた処女作で、恋愛小説。でも書き上げたばかりだから、一晩寝かせて読み直した方がいいかもしれない。

 いつも、少し置いた後に読み直すと、気に入らない表現が入っている。だから、少しでもいい文章にするためにも、明日、もう一回見直そう。

 今日はまだ、投稿しない。



 朝が来て、今は顔を洗いながら昨日の小説について考えている。気になって気になって仕方がないから、朝茶を入れながら、昨日書いた文章を開いた。

 今日入れたのはいつもの緑茶。独特の緑の香りが鼻をくすぐって、大きなあくびが出た。滲み出た涙を指の腹でなぞりながら、昨日の文章を読んでみる。


 ――目が覚めるとまずあの子の顔が浮かぶ。くりくりした大きな目と、少し低い鼻。僕の脳に浮かぶあの子の顔は、いつも可憐な笑みを浮かべている。


 なんか、違う。書き出しが気に入らない。

 直した方がいいかもしれない。冒頭から気に入らないし、その後の表現も、イマイチ来ないものが多い。

 結局、お茶の存在をすっかり忘れて、時間が許す限り小説を直した。でもまだ直し終わっていないから、まだ、投稿できない。



 今日の用事が全部終わった午後九時頃、お風呂を入れて、入浴剤も使ったりして、至福の時間を味わっている。

 私も日本人だから、お風呂の時間が大好きだ。

 本当は良くないのかもしれないけど、湯船に浸かりながらスマホを開いた。開いたのはもちろん小説家になろう。

 今朝いじった下書きをもう一度開いて、やり残したところを直そう。直す前に、一度どこまで直したか、確認ついでに読み返す。

 誤字を見つけたから、直す。

 今朝変えたところにも、気に入らないところを見つけたから、直す。

 逆上せそうになるまで小説を、直して、直して、お風呂をあがった。


 お風呂を楽しんだ後は、お肌や髪の手入れをしつつ、他の方が書いた小説を読む。好きなのはやっぱり恋愛ものだ。

 でもハーレムものはあまり好きじゃない。

 純愛ものの方が好きだから、私が書いた小説も純愛ものだ。

 他の方たちの素晴らしい作品を読んでいると、自分の作品はあまり面白くないのではないかと思い始めてしまう。

 それに、まだ色々手を加えたばかりだから、明日になったら違和感を覚える箇所があるかもしれない。

 今日もまだ、投稿しない。



 初めに小説の下書きを書き終えてからふた晩がすぎて、朝が来た。やっぱり考えるのは小説のこと。

 手早く朝の支度をしたら、スマホで小説家になろうを開いて、昨日の下書きを読む。ほとんど変える点もなく、自分で書いた文章だけど、読んでいるとわくわくしてくる。

 この話を投稿したら、評価とか、感想とか、レビューとかを貰えたりするだろうか?評価くらいは貰えるかもしれない。

 でも、まだひとつも作品を投稿してない、無名作家未満の私の作品は、誰にも見て貰えないかもしれない。

 そう考え始めると、投稿するからにはやっぱり誰かに読んで欲しくて、気づけば小説家になろうを閉じて、検索画面を開いていた。


 小説 サイト 投稿 コツ


 検索すると、一秒もかからずに沢山の記事がずらりと並んだ。

 それぞれの記事のタイトルを見て、なんとなく上から二番目の記事を読もうと思う。一番上の記事よりも、タイトルに惹かれるから。

 そこでふと、気になることが出来た。私の小説にも魅力的なタイトルを付けないと読まれないのでは、と。

 一度気になったらもう記事を読むどころではなくなって、結局ほとんど内容を読まずにサイトを閉じた。


 あれから丸一日、通勤中も、休憩中も、退勤中も、ご飯を食べている時も、ずっと小説のタイトルについて考えていた。

 しかし、なんだかんだ考え事をするのに一番適しているのは、トイレに座っている時である。今もスマホでお洒落な、タイトルに使えそうな単語を探して色々な記事を見ている。

 例えば、素敵な花言葉を持つ花をタイトルに入れるのはいいかもしれない。

 赤いチューリップや、赤いムシトリナデシコは、恋にまつわる、この話にとても似合う花言葉を持っているけれど、物語の中に花は全く出て来ないから、使わない方がいい気もする。そもそも上手く花の名前をタイトルに入れられない。

 こうしてお洒落な名前を探していると、小説家になろうで人気の作品は、タイトルで話のあらすじを書いていたな、とか考えてしまう。でも私はそのようなタイトルじゃなくて、もっとお洒落な、文学にありそうなタイトルを付けたいのだから。と、自分を激励して、タイトルを考える。

 その晩お風呂に入る頃には、お洒落な単語探しよりも、普通の小説のタイトルを色々眺めながら次買う話を選びつつ、タイトルをどう付けるか考えるようになっていた。

 まあ、要するに、諦めた。

 今日もまだ、投稿しない。



 爽やかな目覚めは、完璧な小説タイトルと共に訪れた。タイトルを考えすぎて昨晩夢に見たほどだったけど、お陰で素晴らしいタイトルを思いついたから問題ない。

 百円均一で買った、テディベアの絵が描かれた可愛いメモパッドを一枚千切って、忘れない内に書き留める。

 近くに緑の蛍光ペンしかなかったから、走り書きで雑なそれは、ちょっと読みづらい。


  君と 僕

   だけの 青い 春


 完璧だ。文学のようなお洒落なタイトルは、よくよく考えてみれば別に単語が洒落ているのではなく、決して長くない、されど話の内容からズレない、語感の良いものになっている。

 もしかしたら、誰かにとってこのタイトルは、在り来りでつまらなく聞こえるかもしれない。

 でも私にとっては、この話にとっては、これ以上なく、最高のタイトルだ。


 脳内に降臨した最高のタイトルに五分ほどはしゃいだ後、いつもの朝の支度をして、今日はとても気分がいいから、急須を使ってお茶を入れよう。



 今日の仕事はいつもよりも身が入って、だけど誤字が多かった。

 あっという間に夜の帳は降りきって、満月でもない、半月でもない、曖昧な月に照らされながら、いつも通りに家路に着く。今日の月齢は知らない。

 戸締りをちゃんとして、ジャケットを脱いで、手を洗う。うがいまで済ませたら、冷蔵庫から出した作り置きを、レンジで一分半温める。

 いつもと何も変わらない、でもこれから初めて小説を投稿するのだと思うと、胸が高鳴る。

 ちゃぶ台にご飯を置いて、手を合わせたら。


「いただきます」


 昨日と同じメニューは、美味しいことにも変わりない。

 お行儀良く食べるべきなのは分かってても、スマホに手が伸びるのは現代人の性だと思う。

 やっぱり開くのは小説家になろうで、小説のタイトルを変更する。わざわざメモに書き留めたけど、最高で完璧なタイトルは一日中、私の脳裏から離れなかった。


  君と僕だけの青い春


 そうタイトルを変えて、上書き保存する。

 投稿のボタンがある。タップすれば、きっと投稿情報を入力するところが出てくるんだろう。短編か連載か、年齢制限はあるか、とかかな?

 既に鼓動が早まっている。震える手はきっと武者震いと言うやつで、恐怖ではない。嘘だ。読まれなかったら悲しいし、「つまらない」みたいなネガティブな感想が来るのが怖い。何度か見直したけど、まだ誤字があるかもしれない。

 でも、このボタンを押しても直ぐに投稿されるわけではない。

 ゆっくりと息を吸って、深く吐いた。目をつぶって、開いたら投稿ボタンをタップした。


 現れたのは年齢制限と書かれた項目で、年齢制限を付ける作品か、そう出ないかを選ばなければならないらしい。

 思った通り、直ぐに投稿とは行かなくて、安心した。

 それらの項目から、私の作品に合うものを選んでいく。全年齢対象で、短編。

 ドキドキしながら、次へというボタンを押したら、次はおすすめキーワードを選ばないといけないみたい。

 スクールラブ、かな?いや、古典恋愛ってなんだろう。調べてみれば、「古典文学をモチーフとした恋愛」だそうだから、スクールラブ、だけでいいかな。

 それから、青春もキーワードに追加して、次へを押す。

 ジャンルを選ばなくてはならないようだから、書いた時から決めていた、現実世界恋愛を選んで、また、次へを押す。次へを押す回数が多い。

 用意していたあらすじを、メモアプリからコピーして、貼り付けた。

 他にも自分でキーワードを幾つか付ける。

 前置きや後書きはいらないから、後は、投稿するだけ。

 私はスマホを置いて、食事を再開することにした。


 やっぱり怖いものは怖い。

 投稿(確認)というボタンを押せない私がいる。早く押せという私もいる。

 押すことを考えるだけで鼓動が早まって、ドクドクという心音すら聞こえる気がする。

 結局、残り少ないご飯はさっさと食べきってしまって、再びスマホと睨めっこをすることになった。

 五分ほどスマホを見つめていたけど、遅くなりすぎる前に食器を洗って、お風呂に入ろう。

 今はまだ、投稿しない。


 

 足を延ばせる広い浴槽に肩まで浸かって、浸水に気を付けながらスマホをいじる。

 いくらSNSで知り合いのつぶやきを眺めても、小説の投稿はされない。

 後ひとつ、ボタンを押すだけなのだから、やればいい、とも思う。でも、やっぱり怖気付いてしまって、こんな小さな勇気を出すこともできない、自分自身が情けなくて顔が歪んだ。

 でも泣くような事でもないし、泣きそうな自分にもだんだん呆れてきて、私は、自分でも驚く程あっさりと、小説家になろうを開いた。

 まだ、あの画面から変わっていない。

 投稿(確認)のボタンに指を近付ける。目の前の手は、やっぱり少し震えていて、早まる鼓動は、物語のような恋の予感ではない。

 深く呼吸する。

 まだ足りないから、もう一度。

 三度目の深呼吸をすると同時に、ボタンをタップした。

 画面が変わって、最終確認を行うページに飛んだ。

 拍子抜けだ。

 しかし、よく考えたら最終確認があるのは当然だった。

 ゆっくりと、ひとつづつ、念入りに内容を確かめる。不備はなかった。

 さっき投稿(確認)を押した勢いで、投稿(実行)というボタンを押した。

 少しした後、画面が変わった。



  投稿が完了しました。



 やりきった!

 私は小説を投稿した!

 空気の音が聞こえるほどに、深い息を吐きながら、自然と口は笑みを浮かべた。そのままスマホの電源を切って、無性に笑いが込み上げてくる。

 もしかしたら、ネガティブな感想が送られてくるかもしれない。そもそも誰にも読まれないかもしれない。

 それでも、もうさっきほど、怖くはない。



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