第16話 初めての授業と魔法


 それから、一週間後――私の初めての授業が始まりました。


「ステラ姉ちゃん、本当にやってくれるんだ!?」

「やったぁ!」


 喜んでくれるのはイチル、ニア、サンチェ、ヨヨ――いつものメンバーです。

 私が教えてくれるなら来る、と言っていたらしい子は来てないようですね。


 知っている子達だけ、という状況は私の緊張を少し和らげてくれました。


「それじゃあ、今日は……皆がどの位文字を覚えているのか確認するわね」

「ステラ姉ちゃん……怒らねぇでほしいんだけど、俺、村長に教えられて3年くらい経つけど、まだ読めねぇ文字の方が多いんだ」

「俺達、本を読む機会なんてねぇしなぁ……村長が見せてくれた新聞は文字がビッシリで、やっと読めても意味が分かんねぇし」


 私に怒られる事を心配したサンチェと、机に肘をつきながらため息をつくイチル。


 確かに、紙の原材料となる木々が少ないウェスト地方では本は少々値が張る娯楽品です。

 寂れた村の民が軽々しく手を出せるようなものではありません。


 新聞も都市に関わる情報が殆どで、孤立した村この村に関わるような載りませんから興味が持てないのも当然です。

 この二人の物覚えの悪さは学習意欲の低さからきているのかも知れません。


「……それじゃあ、これならどうかしら?」


 木箱に積んだ絵本を一冊取り出して広げてみせると、物珍しい物を見るような子ども達の視線が集まります。


「これは各地を巡った旅人が描いた絵本。ここに描かれているのはこの国で実際に見た景色らしいわ。ここに描かれている文字は領地の名前と、この場所の名前と説明」

「わぁ……」


 人一倍目を輝かせて本を見つめるヨヨにその本を手渡すと、興味津々で食い入るように見つめています。


「じゃあ、次に……これはお姫様と騎士のお話。キラキラしたドレスとか服とか、繊細に描き込まれてるわ」

「これ……貴族さまは皆こういう服着てるの? 村長の服と全然違う……」

「村を治める長は貴族としての地位は低いの。爵位を得ている都市の貴族達はこの絵本みたいにもっとずっと華やかな服を着ているわ」

「そう言えば、いつも冬になる前に来る貴族さまはこれと同じような服着てる……うん、あたしこれ読みたい!」


 ニアも絵本を受け取ると、早速読み始めました。


「父上からニアとヨヨは大分文字を覚えてるって聞いてるから、その本が読み終わったら積んである本を好きに読んでいくといいわ。その中で読めない部分や分からない言葉があったらどんどん質問してね」

「「はーい!」」


 女子二人の楽しそうな声に、心が微かに弾むのを感じます。


 まさか、ステラに送った20冊近くの本がこんな所で役に立ってくれるなんて。

 この地域は日差しも強く、潮で本も傷みやすそうなのに――ずっと大切に保管してくれていたステラに改めて感謝の念がこみ上げます。


「イチルとサンチェには一冊の本を一ページずつ音読してもらうわ。読めないからって絶対怒ったりしないから、分からない所は分からないって言ってね」

「ニアとヨヨが普通に読んでるのに俺達だけ声に出して読むって、何か恥ずかしいなぁ」


 ちょっと不満げに呟くイチル。

 サンチェも口には出しませんがやや緊張している様子が伺えます。

 安心して、という声掛けだけでは足りないようですね。


「ごめんね、今日は皆がどの辺りでつまづいてるのか確認したいだけだから……」


 同じ事をするにしても、人それぞれ学び方も、受け取り方も違います。

 相手の髪が乱れている事を伝える際に、プライドを傷つけられて不機嫌に直す人もいれば、感謝の言葉を述べて直す人もいます。

 ただ、感謝の言葉を述べた人の中には傷ついている人もいるでしょう。


 そんな人達はけしてその不機嫌を表には出さず、何処かでまき散らします。

 だからこそ、何か行動を起こす際の言葉遣いや態度はとても重要なのです。


「それで……二人と一緒に読むならこれがいいと思ったのだけど、どうかしら? 数百年前に遠い星から来た物凄く強い人が、色んな魔物と戦う絵が描かれてるの」

「うわ、すげー! こんなの本当にいるの!?」

「ええ。この竜の目を見た者は皆石になっちゃうんですって」

「へぇー……!」


 敵意も悪意も驕りも呆れも感じさせず、相手を極力傷つけないように、不快にさせないように振舞わなければなりません。

 そして、相手が不快を抱いていないかを表面上の態度に滲み出るものを見抜き、フォローを入れる。


 それが、表面上の態度と実際抱いている感情が違う事が多いウェスト地方の貴族社会の処世術です。


 こうしてイチルとサンチェの音読を聞きつつ、ニアとヨヨの質問に答えながらあっという間に二時間が過ぎていきました。




「ステラ姉ちゃん、今日、俺楽しかった!」

「あたしも! 絵本また読みたい!」


 目を輝かせる子ども達を見ていると、こちらまで楽しくなってきます。

 誘拐されてから久しく感じなかった、楽しいという感情は――痛い位に心に染み入ります。


 こうして自分が持っている知識を分け与える事で誰かの役に立てれば、自分が犯した愚かな罪に対する償いにもなる――


 薄ぼんやりとした空間に淡い光が差したような、そんな感覚を覚えた時――大きな羽音が響きました。


 空を見あげると、私達の真上で赤みがかった茶色の大きな鳥が何かを口にくわえています。

 それがそのまま私達のすぐ傍に落ちて来て――魚だと分かった瞬間、それは勢い良く跳ねました。


「きゃっ……!!」


 生きている魚を間近で見るのは初めてで、つい身構えた私を子ども達がきょとんとした顔で見つめてきます。


 ビチビチと跳ねる魚――どうしたらいいのでしょう?

 せめて誰か何か言ってくれたらいいのですが、何故か皆何も言ってくれません。


 そもそも、これを持ってきた鳥は――と視線を鳥が飛んで行った方に視線を向けると、少し離れた岩場で鷹のような鳥がこちらを見ていました。


 朱色の髪の青年――リュカさんの腕に乗って。


「それ、やるよ!」


 口元に手を当てて叫んだ彼の声は、こちらまでしっかりと届きましたが――やるよ、と言われましても――


 ここでの料理は全部伯父様がやってくれるので、魚を触った事が無い私にはどうすればいいのか分かりません。


 見れば、食卓に何度か出てきた事のある魚です。

 しかし伯父様は『食える魚でも棘や鱗に毒がある物もいる』と言っていました。迂闊に触る訳にはいきません。


 仮に毒が無くても何だかヌラヌラしていて触れそうにありません。

 ですが、それでは漁村の娘として明らかに不自然です。


「ステラ姉ちゃん、いらないの?」

「……し、知らない人から物を受け取ったらいけません」

「あの人、別に悪い人じゃないぜ。俺、一昨日の木の実取り手伝ってもらったもん」

「そうそう。あの鷹もリュグルって言って、凄く良い子だったの。可愛いの」


 何という事でしょう。彼はこの村に来て一週間位しか経ってないはずなのに子ども達ともうすっかり打ち解けているようです。


 赤系統の魔力を持つ人達は人懐こく、物怖じしない性格の人が多いとは聞いていましたが、まさかこれほどとは。


 そして「自分たちが知ってる人だから、知らない人じゃないでしょ?」という子ども達の圧が凄いです。


 これ以上この魚を無視するのも、知らない人だからで通すのも明らかに不自然です。

 と言って、魚の掴み方も知らない私がここで掴み方を間違えたら、それもまた不自然――


(……仕方ありません)


 魚に向けて両手の平を向けて自らの魔力を練り上げ、魔法陣を構成します。

 途端に浮かび上がった魚を前に子ども達の歓声が沸きました。


「すげー!! ステラ姉ちゃん、それ何!? それ何!?」

「……物質浮遊フローティという魔法よ」

「何でステラお姉ちゃんそんな魔法使えるの!?」

「ち……父上からこの間教わったのよ」

「えー、それ使えたら毒虫とか毒針持ってる魚とか安全に避けられるじゃん!! 何で村長俺らにも教えてくれないんだよ!?」


 ああ――確かにこの魔法はそういう使い方もできそうです。


「ち、父上も一生懸命調べてここ最近使えるようになったそうなの……!」

「あ、あたし達もそれ、使えるようになる!?」

「そうね……陣術は魔法言語も関わってくるからすぐには教えられないけど文字と計算が出来るようになったら、一つずつ教えてあげるわ。それじゃ、皆、また3日後ね」

「「「「はーい!!」」」」


 ひとまず――ひとまず、何とか、危機を乗り越えたようです。


 すごい、すごい、という言葉が響く中、一部始終を見ていたらしい朱色の男性にも一応会釈します。


 遠い上に逆光も強くて表情も紋様もあんまりよく見えませんが――彼が善意で魚をくれたのは子ども達が懐いている様子を見ても明らかです。

 私の八つ当たりをぶつけていい相手ではありません。


 気を取り直して家の中に入ろうとすると、伯父様が何とも言えない微妙な表情で立っていました。


「スティ……私は初歩的な治癒術しか学んでいないのだが」

「……申し訳ありません。この状況を乗り越えるにはあの魔法を使うしかありませんでした。責任もって私が物質浮遊の魔法をお教えしますので頑張りましょう、父上……!」


 ひとまず乗り越えた危機――今度は完全に乗り越えなければなりません。


 謝罪しつつ笑顔を作って見せると、父上はフラッと背を向けてドッカリと椅子に座って項垂れてしまいました。


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