第14話 ティブロン村の子ども達


 翌日の夕方、おばあ様に食料を届けたついでに昨日の出来事を話しました。


「ああ……男の声がここまで聞こえたよ。全く、オズウェルも変な男を受け入れたもんだ」


 灯台の最上階は光が遠くまで届くよう、海側に壁も窓もありません。

 だからリュカさんの声が聞こえてもおかしくはないのですが――こんな高い場所の、しかも耳が遠いおばあ様にまで聞こえていたなんて。


「で、その魔獣使いかもしれない男……見目は良いのかい?」

「え……?」


 明らかに不機嫌そうなおばあ様の突然の質問につい声を出してしまいました。


 ドア越しに会話を聞いていたので、顔は見ていません。

 遠目から見えた、朱色の髪と、朱を基調にした旅人のような出で立ち――体格は貧相ではなかったように思います。


「いいかい? どれだけ見目が良くても、あんたはマデリンみたいに村から出ないようにね!」


 おばあ様は思い出している私の気を逸らすかのような大きな声で注意してきました。

 困った事におばあ様はお母様が村を出て行った事を今でも許せていないようなのです。


「……何処の領地も、貴族なんてロクでもないもんだ。結局私利私欲に走る。価値があるうちは蝶よ花よと持て囃して、価値が無くなれば何食わぬ顔で切り捨てる……!


 おばあ様自身も一応貴族のはずなのですが、物凄い貴族嫌いです。

 辺境の村の名ばかり貴族と、都市の貴族は同じ「貴族」という言葉で括るのがおかしい程財産や環境に差がありますから、憎悪を向けるのはおかしい事ではないのかもしれませんが――


「この村にはシスティナみたいに誘拐されたからって見捨てるような駄目な男もいない……とは言い切れないけれど、この村の男達なら逃げられる心配もない。悪い事は言わないから、この村の男と添い遂げな」


 システィナ――おばあ様から初めてその名前を聞いた時は嫌な汗がぶわっと吹き出ました。


 伯父様は週に一度、馬に乗って一日かけて近くの都市に出て一週間分の新聞などを買って来ます。

 伯父様は読み終えた後おばあ様に届けているので、おばあ様はシスティナの死も――誘拐の事も知っていました。


「あんたには、あたしやマデリンやシスティナみたいになってほしくないんだよ……幸せになってほしいから言ってるんだよ。見目麗しいよそ者なんて、絶対に駄目だよ」

「……分かってるわ、おばあ様」


 泣きそうな顔のおばあ様に優しく声をかけた後、私はテーブルの上に積んであった新聞を持って階段を下りる事にしました。


 これ以上、お母様の話も、私の話も聞きたくなかったから。




 新聞を片手に、もう片方の手を手すりにかけて、慎重に階段を下りていきます。

 段幅の狭い螺旋階段は下が見えてしまう分、下りる方が怖いのです。

 足を踏み外したらと思うと、見ない訳にもいきません。



 なんでも、おばあ様は若い頃に見目麗しい旅人――おじい様と恋に落ちて、伯父様を宿した後、逃げられて――と思いきや、数年後フラッと戻って来たおじい様と何だかんだあった後、お母様を産んだそうです。

 それで、また村を去られて数十年――それっきりだそうです。


 そんな酷い話を伯父様から聞かされていたので、反論なんて絶対に出来ません。

 愛した人と子どもを二人も作った末に逃げられる――それは、私が背負った痛みとはまた違った痛みがあるのでしょう。


 自身がそうやって傷ついているのに更に娘が村に立ち寄った見目麗しい商人に付いていって、その上孫娘の一人が誘拐された末に見目麗しい婚約者に捨てられた、とあっては見目麗しい男に嫌悪感を抱くのは全くおかしな事ではありません。


 私が見知らぬ男性を見て硬直してしまうのも、おばあ様の、男性に対して酷く偏屈な態度も、どちらも心の傷からくるもの――

 そう考えると、おばあ様の言葉にいくら思う所があっても受け流す事しかできませんでした。


 ただ――おばあ様が死ぬまでステラを演じる、という約束は守るつもりですが、この村の男の人と添い遂げるなんて話は全く考えられません。

 ましてや、子どもなんて――そこに至るまでの行為を想像すると、おぞましさで足が竦んでしまいます。


 複雑な気持ちが晴れないまま灯台から出ると、いつものように生温い風が頬を撫でつけました。



 何気なく風が吹く方――海の方を見やると、岩場の近くに朱色のテントが見えます。

 リュカさんはテントの中にいるのか、姿は見えません。


 おばあ様は見目にこだわっていましたが私は正直、見目より顔にどんな紋様が刻まれているのか気に――



「あ、ステラ姉ちゃんだ!」


 声の方を振り返ると、家の中から四人の子ども達が出てきました。


 私と叔父様が住んでいる家には、村人の寄り合いの為に使われる大きな部屋があります。

 家で使っているものに比べて少し新しめの長机に、八つの椅子――そして、壁にかかった黒板。


 伯父様はそこで週に2回、午後から夕方にかけて2時間ほど子ども達に文字や簡単な計算を教えています。

 丁度授業を終えたらしい子ども達が笑顔でこちらに駆け寄ってきました。

 皆、手足に青い染みがポツポツとついていますが口の中は青くありません。


 私の脳は『男性と男子は別物』と判断してくれるようで、10歳前後の子ども達に対しては硬直せずに済んでいます。


「ステラ姉ちゃん、こんにちは!」

「違うわよ、この時間はもう『こんばんは』よ」

「えー、でもまだ明るいじゃん!」

「ふふ……この時間はどちらでも大丈夫よ。お勉強は捗った?」


 明るい印象を受ける茶髪の少年イチルと利発そうな顔立ちの黒髪の少女ニアのやりとりは微笑ましいですが、いつも最後は喧嘩になってしまうのです。

 なので二人が喧嘩になる前に話題を変えると、


「全然! 村長、小声だから何言ってるのかよく分かんねぇんだ」

「あれは兄さんにどう説明したら分かるか、一生懸命考えてるんだと思う……」


 後ろで二人より体格の大きいサンチェが癖の強い茶髪を搔きながらぼやくと、同じ髪質のヨヨがため息をつきました。


「俺、どうせならステラさんに教えられてえなぁ」

「分かる! 村長に褒められても嬉しくないよな。この村に居たら文字も計算もしねぇしすぐ忘れちまうんだよなー」

「俺、親に今日何教えてもらった? って言われても答えられねぇし」

「おいおい、流石に今日教えてもらった事は覚えてろよ……」

「じゃあイチル、先週は何教えてもらったか覚えてるか?」

「俺、今日教えてもらった事は覚えてるけど、先週教えてもらった事は思い出せねぇわ」

「じゃあ俺と同じじゃねぇか!」

「1日と7日間は違うだろ!?」


 私、この村に来てから自分がいかに狭い世界で生きてきたかを思い知らされました。

 マイシャも勉強嫌いな子ではありましたが、ここまでではありませんでした。


 貴族と平民――環境の違いを差し引いても、人の記憶力にここまで個体差があるとは。


 男子達のやりとりに引いているのは私だけではないようで、ニアとヨヨも可哀想な物を見る目で二人を見ていました。


「なー、ステラ姉ちゃんも文字とか読めるんだろ? ゴーカもステラ姉ちゃんだったら行くんだけどなぁって言ってたぜ」

「村長、見た目も雰囲気も辛気臭えからなぁ……」

「ほらほら……もうすぐ暗くなるから、早く帰った方がいいわ」


 子どもの残酷で率直な大声が伯父様に聞こえていないか冷や冷やしながら子ども達を見送ります。


 そして中に入ると見事にテーブルに肘をついて項垂れている伯父様が、心底疲れたようなため息を付きました。


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