第2話 僕は知りたい

 ――最初に感じたのは温もりだった。

 点から感じた温もりは線となって流れる。

 自分に身体があることを知った。


 それから音。

 無限とも思える数の小さな音が絶え間なく続く。

 後にそれが雨だと知った。


 そして光。

 初めて目にしたのが、あの子だった。

 少し離れた場所から僕を見ている。

 小さな身体、雨に濡れた銀色の髪、潤んだ瞳。


 しばらく僕の姿を眺めた後、あの子は僕に背を向けて歩き出した。

 その姿を見て、身体のどこかが苦しくなる感覚がした。

 何かをしなければならない。

 そんな使命感が僕の中に生まれた。

 身体に感じた温もりは熱に変わり、全身を巡る。


 気づけば僕はあの子のそばにいた。

 あの子は言葉を発していたが、その時の僕には言葉の意味は分からなかった。

 それでも、

 

「―――。―――――――――」


 あの子が何かを願ったのは分かった。

 その願いに応えたい、僕はそう思った。


 ◆◇◆◇


「フォズ。どこにいるのー?」


 どこからかあの子の声が聞こえる。

 僕は声が聞こえた方向へと歩き出す。

 やがて陽光に照らされて煌めく小川と、銀色の髪を揺らす少女の姿が見えてくる。


「僕はここだよ。リディア」

 

 小川の前に立つ少女に声をかける。

 少女の名前はリディア。

 僕を作り出した魔女の子。


「あ、いた。何をしてたの?」


 僕を見つけて口の端を少し上げるリディア。

 笑顔と言う表情らしい。

 彼女のこの顔が好きだった。

 

「特に何もしてないよ。リディアこそ何をしてるの?」


 彼女は長い木の枝を持って小川と正対している。

 その枝の先端からは、一本の糸が川面に向かい伸びる。 


「これは釣りっていうの。糸に付けた針を引っ掛けて魚を捕るのよ」


 自慢気に語って僕を見上げるリディア。

 ふーん、と納得すると同時に一つの疑問が湧いてくる。


「いつものように魔法で捕ればいいんじゃないの?その方法だと時間が掛かりそうだけど」


 僕が疑問を口にすると、彼女は目を細めてじっとこちらを見ている。

 なんだか機嫌を損ねたのかもしれない。

 

「時間が掛かるのが釣りの醍醐味なの。待ってる時間が長い程、釣れた時は嬉しいって思うのよ」


 こういう感覚が僕にはまだ難しい。

 結果が同じでも過程が違うと、人の感情は揺れ動くらしい。


「そういうものなのか」


「そういうものなの。フォズは薪になる枝をたくさん集めてきてくれる?今日は大漁なんだから」


 リディアはそう言って川に向かい糸を垂らす。

 川面を睨むように見つめる彼女の横顔はなんだか面白い。


「分かったよ」


 これ以上眺めていると怒られてしまいそうだ。

 僕は頷き、小川の周りにある枝を探し始めた。

 そうしてリディアは釣りを、僕は薪集めをそれぞれする。 


「……あっ」


 しばらく経ち、不意に彼女が声を上げた。

 見ると竿の先端がピクピクと動いている。 


「リディア。掛かっているんじゃないか?」


「ま、まだ駄目よ。餌にしっかり食いついたタイミングで合わせるの……」


 緊張した面持ちで呟く彼女に、僕も緊張感を持つ。

 やがて竿が大きく沈み込むように揺れる。


「食いついたわ!」


 彼女は慌てて竿を持ち上げると、先端が大きくしなって右へ左へと動き始めた。

 僕はその様子に見入ってしまう。


「フォズ、手を貸して!」


 僕が感動に浸っていると、彼女の声が飛んできた。

 見れば竿が激しく上下するせいで、彼女が上手く引けないでいる。

 

「わ、わかったよ」


 慌ててリディアに駆け寄る。

 そして彼女の手に僕の手を重ねる。


「せーの!」


 彼女が掛け声をかけて一気に竿を引き上げる。

 するとそこには、針の先に結ばれた魚が躍っていた。

 

「「やった!」」


 地面まで引き上げた魚を見て、声を上げる僕と彼女。

 僕は彼女の身長に合わせるように屈んで、お互いの両手合わせる。

 喜びを分かち合う時にこれをするらしい。

 

「よく釣り上げたね、リディア」


「ありがとうフォズ。でもこれ……」


 地面の上で元気に跳ねる魚を見て、彼女は呟いた。

 釣れたのは銀色の小魚だった。

 

「……思ったより小さいわね」


 そう言ってから無言になるリディア。

 下を向きながらぷるぷると震えている。

 僕は慌てて彼女に声を掛ける。


「で、でもリディアは凄く頑張っていたし……」


「……ふふっ」


「リディア?」


「あははっ!こんな小さな魚初めて見たわ!」


 彼女は笑い始めた。

 釣れた魚が小さかったのに嬉しいのだろうか?

 僕は彼女の気持ちがよく分からない。

 それでも彼女は笑うものだから、僕もなんだか嬉しくなった。


 ◆◇◆◇


 パチパチと小さな音を立てて火の粉が舞う。

 陽は沈み、空は黒に染まり始めていた。 

 焚き火の周りには、串に刺した小ぶりな魚が数匹並ぶ。

 

「小さいからすぐに焼けそうね」


 そう言いながら串を手に取った彼女が言う。

 僕はそれをじっと見ていた。

 彼女の銀髪が揺れる度に、焚き火に反射してキラキラと輝く。 

 綺麗だなと思った。


「ん?どうしたのフォズ?焼きたくなった?」


「焼いても僕は食べられないよ」


「それもそうね」


 彼女は串を手に取り、焚き火に向けて魚の身を焼く。

 やがて焼き上がった魚に齧りつく彼女。

 僕はその様子を見ていた。

 

「うん、小さくても美味しいわね」


 食事の必要がない僕には味覚という感覚がない。

 だからこういう時に共感ができない。

 僕はただの土くれだ、人とは違う。

 彼女の魔力で動いているだけに過ぎない。

 

「ねぇ、リディア」


「んぅー?」


 魚に齧り付く彼女に声を掛ける。

 彼女は口に頬張った魚を咀嚼するのに夢中だ。

 僕は構わずに言葉を繋げる。

 

「どうして僕を作ったの?」


「ふぇ……?」


 唐突な僕の問いに、虚を突かれたような表情を浮かべるリディア。

 慌てて魚を飲み込んだ彼女は、僕の顔を見上げる。 


「急にどうしたの?」


 彼女は不思議そうにしている。

 僕は彼女の反応を見ながら言葉を続けた。


「ずっと気になってたんだ、なんでリディアが僕を作ったのか。君は魔法も使えるし、一人でも生きていけるのに」


 僕の中に自我が生まれ、動き出したのが半年前。

 それよりずっと前から彼女は僕を作っていたらしい。

 何度も失敗したし、諦めそうになったって聞いたことがある。

 なぜ彼女がそこまで苦労して僕を作ったのか、ずっと疑問だった。


「……フォズは、私と最初に会った時の事を覚えてる?」


 しばらく黙っていた彼女は、静かに口を開いた。

 あの日の事を僕は思い返す。

 初めて目覚めた時、目の前に立っていたのが彼女だった。 

 

「覚えている。雨に濡れたリディアが僕を見ていた」


「それじゃあ、私がフォズにしたお願いは?」


 確かにあの時の彼女は、僕に何かを願っていたようだった。

 でも、何を言っていたのかは分からなかった。


「ごめん、分からない。あの時の僕は言葉を知らなかったから」


「そっか……そうだよね」


 僕が答えると、彼女は少しだけ残念そうに俯いた。

 僕は彼女を悲しませたのだろうか、それが少し不安になった。


「あの時にしたリディアのお願いが、僕を作った理由なら教えてほしい。今なら分かるかもしれない」


 理解したかった。

 なぜ、彼女は僕の存在を望んだのか。

 僕が存在する理由は何なのか。

 彼女のために、僕はどうすればいいのか。


「…………」

 

 焚火の音が森の中に木霊する。

 彼女は少しの間考え込み、やがて口を開く。


「……教えない」


「え?」


 予想外の言葉に驚いて聞き返す。

 彼女は悪戯な笑みを浮かべ、僕を見上げる。

 

「フォズには教えてあげない」


「そんな……」


 リディアが僕を困らせる時は、決まってそんな笑みを浮かべていた。 

 彼女の願い事を知らなければ僕は彼女の役に立てないのに。

 

「あ、一つだけ教えてあげてもいいよ。フォズを作った理由」


「ほんと?」


 僕は期待して身を乗り出す。

 彼女はそれに笑みを深めながら頷いた。


「ご飯が美味しくなるから」


「え?どういうこと?」


「だから、フォズが隣にいるとご飯が美味しくなるの」


「……?」


 僕はその言葉が理解できなかった。

 彼女は楽しそうに笑っているけど、僕には彼女の気持ちが全く理解できない。

 

「……はぁ、リディアは僕のことをからかって楽しんでるんでしょ?」


「あはははは!ほんとだって!」


 そんな僕の様子がおかしかったのか、彼女は声を上げて笑った。

 こうして夜は更けていく。 

 僕は結局、彼女の言葉を理解することはできなかったけど。

 彼女が嬉しそうにしてるなら、それでいいかと思った。

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