私と推しの共通の友達

第37話


「絵里の家に来るの、久しぶりだなぁ……」


 あちこちに視線を向けながら桃が言う。リビングに通してソファに座らせていた。


「元気にしてたかい?」

「う、うん」


 現在、桃は陸上部に所属しているらしい。めきめきと頭角を現し、一年生にしてレギュラーになれたとのことだ。そういえば、昔から帰宅部なのに足が速かったことを思い出す。

 桃は自分の髪に触れながら口を開いた。


「思い出話は後にしよっか。今日ここに来た理由は――」

「待って」


 慌てて止める。

 桃は不思議そうに首を傾げた。

 胸に手を置くと、内側から激しい鼓動を感じた。

 覚悟を決めて口を開く。


「まずは謝らせてほしいんだ」


 自分の過ちを洗いざらい話す。桃は呆気にとられた顔で私の話を聞いていた。


「あの時の私は、はっきり言って最低だった。自分のためにアドバイスをしていたんだから」


 頭を下げる。


「ごめんなさい」


 恨み言が飛んでくることは予想していた。

 しかし、そうはならなかった。反応が返ってこないことに違和感を覚え、顔を上げると、桃が気まずそうな顔で、日焼けした頬を掻いていた。


「絵里がそんなに真剣に考えてるとは思ってなったよ」

「怒ってないの?」

「私がかい……?」


 ないない、と苦笑される。

 その様子を見て、私は愕然とした。足場が崩れていくような錯覚に囚われる。

 同時に不思議な感覚が腹の底から湧き上がってきた。やがてそれは全身を駆け巡り体を熱くした。

 あの時の会話は、全て本心だったわけだ。

 手が震える。


「だ、大丈夫かい……?」


 桃が心配そうに尋ねてくる。


「どうだろうね……。そのうち収まると思うけど」


 血液が沸騰しそうだった。

 思えば私は桃の気持ちを聞いていなかった。にもかかわらず、漫画家になりたい人間だと決めつけていた。そして、桃が描くのをやめたら「創作者の卵を潰してしまった!」と悲劇のヒロインを演じ、殻に閉じこもったのだ。 

 これほど最低で失礼なことが他にあるだろうか? 

 私は桃という人間をずっと「私のせいで漫画家になれなかった人」という偏った視点で見ていたのだ。


 溜息をつく。

 落ち込むのは後にしようと思った。今は目の前の桃に集中すべきだ。

 要件を訊こうとしたところで、桃が先に口を開いた。


「相変わらず絵里は凄いなぁ……」

「え?」


 皮肉か、と考えてしまう。

 桃は過去を懐かしむように続けた。


「一緒に創作の話をしていた時、私の百倍は熱心で、千倍は真剣だったよね。それを今思い出してたんだ」


 違うよ、と首を横に振る。


「漫画家の卵が近くにいるって舞い上がってただけだよ。独り相撲をしていただけだと思う」

「私はそうは思わないけどね」


 桃はそこで初めて泣き出しそうな顔を浮かべた。しかしそれは一瞬のことで、次の瞬間には、いつもの明るい表情を取り戻していた。笑みを浮かべたまま言う。


「彩音に紹介してよかったよ。まだ私と違ってフィクションへの熱意はあるようだから」

「前もって言ってほしかったんだけど……」

「ごめんね」


 舌を出す。


「彩音、難しいミステリの話ばかりして困ってたんだよ~。興味ないって言っても話してくるんだ」


 想像できる。辻本さんはあまり空気を読むタイプではなかった。


「お姉ちゃんに聞けって話だよね、まったく……」

「漫画家を目指していたお姉さん?」


 訊いた途端、桃は表情を硬くした。しかしすぐにまた、笑みを浮かべて言った。


「とにかく私は何も気にしてないからノープログレムだよ。絵里があれこれ悩む必要はないからね。むしろ悩むな。悩むの禁止ね」


 無茶を言う。私はまだダメージから立ち直れていなかった。しばらくこのことは引きずるだろう。


「だから泣くなっての」

「泣いてないけど」


 バシバシと肩を叩かれる。馴れ馴れしさは健在のようだった。

 しかし、謎の違和感は腹の底に溜まり続けていた。


 時折見せる泣きそうな顔はいったい何なのか。

 ふと思い出されるのは、辻本さんがライバル視していた作家に気を取られて悩んでいた時のことだ。彼女は桃に相談すると言っていた。しかし最終的に相談相手に選んだのは、桃ではなく桃のお姉さんだった。辻本さんはその後、同業者のことを脇に置き、作品に集中できるようになった。プロ編集者や私でも困難だったことを、あっさりやってのけたのだ。


 頭の中で想像を膨らませていく。

 私は桃の顔を見つめ、恐る恐る口を開いた。


「中学生の時に見せてもらった漫画のこと覚えてる?」

「もちろん覚えているけど」

「あれって本当に桃が描いたものなの……?」


 表情を凍り付かせる。その顔を見て、私は全てを悟った。

 ゆっくりと口火を切る。


「あれは全部、お姉さんの描いていたものだったんだね」

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