湿気た火薬入りお化け

三月

序章


 僕が思い返すのは、まア大した述懐でも無いけれど幾分繊細な所がある。それは丁度油紙に包まれた所為で端の少しばかりくっ付いたような洋菓子の欠片に当るような、きっと好い喩えじゃあないんだろうけど空洞にぴたり嵌る解答として今しがた脳裡に浮んできたのである。

 決してあだし事ではない、洋菓子こそ話の勘所と云う訳なのだ。僕は甘味に拘る質でも無かったし環境も相まって口にした覚えがとんと無い代物ではあったのだけど、貰い物としては文句のつけよう無い立派な菓子であり、それは僕の書生としての寝床、長屋フラット一室を律儀にも尋ねて来た女学生からの贈り物だった。


「何事です?こんな早朝から」と云いながら寝惚けた体を扉外に引き摺り出すとそこには、絵に描いたような乙女が顕れて「全くひどい事ですわ」なんて溜息交じりに溢すのである。

「嫌だ、ご挨拶が未だでしたね。確か貴方は…」

「先生に日頃面倒を見て貰ってる者です」

?なあにあの人、先生だなんて呼ばせてるんですの」

「それはまア、僕が勝手に呼んでるんですな」

 女学生は少し笑って続けた。

「兎も角あの人を見てませんこと?部屋には居られないんだけれど」

「まだ帰って居られないんでしょう。急用が入った折には宿直のような真似もされますよ」

「まあ。矢張り人」

 "ひどい人"とは大凡おおよそから博士に相当するのだろう等思案しながら一先ず彼女の素性を尋ねると、「自己紹介もせずに私たら」と断りを入れてから名乗り始める。


呉子クレコと申します。貴方の、四津田充芳の姪にあたりますわ」


 彼女はそう名乗って軽くお辞儀をする。そして間もなく再び顔を上げるとその輪郭が悠然と奔りながら古都の大路の如く整っているのが見て取れ、当世風とも云うべきか少し外巻きになった髪は以てその大路の左右にキチンと並ぶ街並みという彼女全体の計画を成している様である。溌溂さに隠し切れない甲斐甲斐しさは小さく揃えた足先からも判然としていた。加えてなんと、歳の程も丁度壮年只中の先生からして二回り近く離れているに相違ないだろう。僕は逡巡を悟られぬように言葉を繋げていく。


「はあ、そうですかア。それで何の御用でしょう。言伝でしたら頼まれますが」

「ええそれは」と彼女は続く言葉を敢えて噤んで、その事実を示すように悪戯たっぷりに微笑んでみせた。「いいえ、矢張り構いませんわ」

「?」

「折角ですから頂いて貰えませんか?お騒がせしたお詫びに、是非」と言って彼女が差し出したのが何やら立派な風呂敷であり、それを紐解いてみれば厚み数インチの古書より値の張る砂糖菓子が在るではないか。そして何分糖の回り切っていない、夢見で疲れ切った頭に栄養を送るついで彼の乙女との一幕に懸想の如く耽るのは是また悪い話では無い。

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