ゼンセライセ

ヨドコウ

ゼンセライセ

 律花りっかと結婚したい。


 律花とつきあって四年が経とうとしている。

 その間に僕たちの関係は、身を焦がすような業火から、オイルランプのように静かに揺れる炎へと変化していった。


 律花と結婚したい。


 正直にいえば、はじめに好きになったのは顔。でも、つきあっているうちに趣味やライフスタイルから身体の相性まで、すべて自然体で接することのできる人なんだと気づいた。

 だから僕は、この関係を絶やさず、未来へとつないでいきたい。


 律花と結婚したい。


 婚約指輪とともに、人生ではじめて買った花束をクローゼットに隠して、彼女を自宅に招く。

 律花は普段どおりに食事をして、普段どおりにソファで僕のマンガを読みながらくつろいでいる。

 タイミングをみて、僕が指輪を取りに行くためにソファから立ち上がる。と、同時に律花がマンガをパタンと閉じて、寝そべった姿勢のまま上目遣いで僕を見つめた。


 まさか、指輪に気づいている? 僕は、足を止めて律花の方に向き直る。


 すると律花は、

「和真は前世って、信じる?」

 なんて、口走ったのだった。さて、どうしよう。


「あー。中学生の頃に占いでやったことあるよ。僕の前世は伊達藩の武将だって……なんか、ああいうのって妙に覚えてるよね」

「覚えてるってことは、ある程度は信じてる?」

「まあ。その方が夢があるし、気分もいい。だからなんとなくだけど、信じたい、のかな」

「私も同じ。私の前世は、吉井和真っていうメガネをかけた日本人の男性なんですけど、信じる?」


 吉井和真よしいかずま。それは僕の名前。


 僕は、冗談めかした表情で自分を指差す。すると彼女はにこりと微笑んで、僕が立ち上がったばかりのソファに置かれたクッションを手のひらでたたいた。

 話したいことがあるらしい。

 

 僕は指輪を取りに行くことを一時的に諦めてソファに座り直し、律花の言わんとすることを、理解することにした。

 律花が僕の膝に頭をのせてきたので、なんとなしに彼女の頭をなでる。


 プロポーズをするつもりが、なんだか妙なことになった。


「輪廻転生っていってね、和真もやがて年をとって死ぬでしょう。するとその魂は別の生物にうつる。その転生先が、私」

「僕が死ぬと君になるの? じゃあ、君が死ぬと誰になる」

「しらない。私はまだ死んでないもの」

「僕も死んでませんよ」

「あなたはね。でも、私は一度あなたの人生を体験して、生まれ変わっての今があるから」

「おかしいじゃないか。僕らは同じ時代を生きているのに、前世も来世もないだろう」

「それは、説明できないけど。でもね、私にはあなたの記憶があって、あなたの考えてることがわかる。だから前世としか表現できない」

「じゃあ、僕がいつ死ぬかも知ってるってことだ」


 律花は少し押し黙ったあとに、僕の膝の上でくるりと天井を向き直した。すぐ真下から僕の瞳を覗き込む彼女の顔がみえる。


「あなたがいつ死ぬとかはわからない。……私にわかるのは、今の時間に対して過去のできごとだけで、あなたの子ども時代の記憶はあるけど、明日のことは知らないの」


 イライラする。このとらえどころのない、禅問答の着地点が見えない。

 早く指輪を渡したいのに。


「僕もわからないな。未来を知れないなら、それがなんの役にたつの」

「和真のことなら、なんでもわかるよ」

 そういって、彼女はその指先で僕の両頬を包みこんだ。


 そうかい。僕は、律花のしたいことが全くわからない。

 それって僕のプロポーズを邪魔してまで、するような話なのか?

 指輪と花束で埋まった気持ちが、すっかり上書きされてしまった。

 僕が今日をどれだけ心待ちにしてきたか、どれだけ準備してきたのか知らないくせに。これから、君と一生を添い遂げたいと思っているのに。

 前世って信じる? ……信じるわけがないだろ。

 もし、これが別れ話の布石なら、もっとマシな方法なんていくらでもあるだろうに。こんなの、馬鹿にしてる。


「なんで、今日なんだよ。どうして今になって、こんなことを言い出すの?」

「私だって言いたくなかった。けど、今ここで言っておかないとフェアじゃないって思ったから」

「違うでしょ。俺のことを好きなら、一生黙っていればよかっただけなんだよ。こんな話を信じることなんてできない。律花のしたことは僕を不愉快な気分にさせただけだ」


 僕は、無意識に彼女の手首を力をこめてつかんでいた。そのことに気づいて、慌てて手を離す。


「強く握りしめて、ごめん。少し落ち着くから、待って」


 自己嫌悪しかない。僕は過去に人とケンカをしたことすらない臆病者だ。どうして、こんなに苛立つんだろう。


「僕が今日、何をしようとしていたのか、もしかして気づいてるのか?」

「うん。この先へ進むなら、私が私に納得しないといけなかったの。だから、本当は和真が信じてくれるかどうかなんて、関係がなかった。不安にさせちゃうことはわかっていたけど、それでも言わないと、私は、あなたと一緒に、進めない」


 ため息がでる。


「やっぱり、律花の話は理解できない。でも、君が不安だってことくらいなら、僕にもわかる」


 そう言いながらも、僕はまだ心の奥底に、薄汚く湿ったスポンジのカスようなものがこびりついていた。それでも僕は、そんな澱みを握りつぶして、ポロポロと涙をこぼす律花を包容した。


 僕の腕の中で、律花は両手で自分の目を覆いながら、

「小学校の頃のあなたの同級生に、湯山葉月ちゃんっていたでしょ。あなたの好きだった女の子。彼女は私にとっても初恋だったの」

「いや……、出会ってるはずがない。君の実家から百キロは離れてるんだぞ」

「夢の中で、あなたの目を通して彼女を見て、あなたが葉月ちゃんを好きになるほど、私も気持ちがおさえられなくなっていった」


 嘘だろ。


「当時の私は和真に嫉妬してたんだよね。だから、夏に電車で葉月ちゃんに会いにいったんだ。ただ私を知ってほしくて」

「それで、会えたの?」

「ううん、怖くなって会えなかった。そのかわりに、和真の家の前にいって、和真の顔だけ見て帰っちゃった」

「……あのさ、どれくらいまで俺のことを知ってるの?」

「ここまでの全てって言ったら、きっと怖いよね」


 怖いことなんだろうけど、現実感がないだけだよ。


「律花とは最初から相性が良いなとは思ったけど、それでも君は僕じゃないでしょ。少なくとも、これまで一度だって、君を男らしいと思ったことはない」

「私は別に、性別を間違えたとは思ってないし、今の私自身はこれまでの三十年近くの年月の中で、磨いてきたものだから」


 律花が身を起こして、両手を祈るようにあわせた。

「でも、私が好きになるのは、夢の中でしか会えない女の子ばかりで、その子たちと付き合えるのは、私じゃなくていっつも和真で。だから、私は和真に告白されるまで、誰かとつきあったことはないよ」


 なんて、答えればいいのかわからないけれど。


「僕は律花のことを何も知らなくて、もっと知りたいと思ったから告白したんだ。僕は、すべてを知っている相手なんて好きになれない」

「でも、和真は自分のこと大好きでしょ。私も自分のことが大好き。だから和真のことも愛してる」


 ここまで潔い三段論法は、はじめて聞いた。思わず脱力してしまう。


「私は、和真の優しいところも、本心を隠すところも、何かをはじめるときに臆病で後回しにしてしまうところも、全部好き」


 律花は身を乗り出して、僕の手を握りしめた。


「実家で飼ってたユースが亡くなったときに一晩添い寝したことも、千葉くんがもってきたエッチな本を借りて帰って、それがはじめての――」


 あーあーあーあーあーあー。


「全部、大好き」


 特殊性癖の暴露を前にして、僕は前世の存在に屈した。


「君は僕のことを知っていて、僕は君のことを知らない。知らないほうがいいに決まってるけど、ここまで知られていると、さすがに悔しいな」

「逆に考えてみて。あなたが亡くなったあとに、今日の私がどういう気持でいるかの答え合わせができる。それを楽しみにして、この先を生きてくれたら、私も幸せでいられるから」

「来世で、そのセリフを言える日がくるのか。それは、少し楽しそうだ」


 死んだ後を楽しみに生きるってのも、おかしな話だけど。


「私は未来がみえるわけじゃないから、和真と過ごす時間がすごく楽しいの。この先も和真と一緒に笑い合って、いっぱい思い出を作って、そしてね。私は絶対にあなたよりも先には死なないでいてあげる。そしたら、あなたが亡くなった後の世界を、来世で見せてあげられるから。こういうの素敵じゃない?」


 ああ、まったく。

 この僕が、将来こんなロマンチックなことを言える日がこようとはね。


「来世の僕自身のために、君がずっと笑顔でいられるよう、努力するよ」


 僕がそういうと、律花は両手をこちらに差し出して、とびきりの笑顔を浮かべた。

「私に、なにかいいたいことはありますか?」


 ――僕と結婚してくれますか。あなたと永遠に来世まで。


[おわり]

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