チョコの謎

よし ひろし

チョコの謎

 2月14日の朝、奇跡が起きた。

 いつも通り登校し、下駄箱の扉を開けたそこに、一つの包みが――


 バレンタインのチョコレート!


 思わず左右を見渡す。

 幸い誰もいない。


 包みを取り出し、さっと確認。

 宛名も差出人もメッセージカードもない。


(誰からだ?)


 全く思い当たらない。

 自慢じゃないが生まれて十六年、家族以外にバレンタインのチョコを貰ったことはない。もちろん女の子と付き合ったことだってないのだ。


「……」

 ハートが散りばめられたラッピングの包みをじっと見つめる。


(誰なんだ――)

 寂しいことに、それらしい相手が思い浮かばない。


 ガタッ


 他の誰かが下駄箱を開ける音にハッとなり、慌てて包みをカバンの中に押し込んだ。

 周囲を見る。


 大丈夫、誰もいない。離れた列の下駄箱の音だったようだ。


 クラスメイトにでも知られれば、からかわれるのは間違いない。

 上履きに素早く履き替え、とりあえずその場を離れた。


 三階の教室へと階段を上りながら、もう一度考える。

 差出人は誰なのか……


(包みを開けるか――)

 いや、ダメだ。人目がある。

(そうだ、トイレで――)

 そう考えた時、


「おはよう、正之まさゆき

 背後から声を掛けられた。


「お、おはよう、みのる

 クラスメイトで友人の坂田稔さかた みのるだ。


「何ちんたら階段上ってるんだよ。寝不足か?」

「いや、何でもないよ」

「そうか。それより、昨日さ――」

 稔がゲームの話を始める。が、内容は全く頭に入ってこない。カバンの中の包みのことで頭がいっぱいだった。


 気づくと教室までついていた。包みの中を確認する機会を失った。

 自分の席に着く。

 教室の一番後ろ。そこから室内を見渡す。


(この中に、差出人がいるのか…?)


 女子の姿を一人づつ確認していく。もし差出人がいるなら、こちらを気にしているはずだ。

「……」


 ダメだ、わからない。いや、いないのか。

 特に仲のいい女子なんて、いないからな。


 そうして悩んでいるうちに担任がやってきた。


(休み時間にでも隙を見て、どうにか中を確認しよう)

 そうその時は思ったのだが――


 残念ながら、そんな機会はなかった。


 よくよく考えれば、クラスメイトの目を盗んで、カバンから包みを出すこと自体、かなりの難関だ。包みを出さずカバンの中を探るふりをして、中身を確認しようともしたが、やはり人の目が気になって、断念した。


 授業中も落ち着かず、ずうっと包みのことを考える。

 相手はクラスメイトではないのか? 他のクラス? 知り合いすらあまりいないぞ。先輩は――もっと知り合いはいない。

 科学研究部に所属はしているけど、唯一の女子だった三年の先輩が引退してからは、女っ気ゼロだ。


 ダメだ、全く思い当たらない。


 もしかして、悪戯か。

 それなら、誰かがこちらを見張っているはず。スマホで撮影でもされてないか、周囲を探ったが、それらしい気配はない。もしかしたら中に、放課後体育館の裏に来て――とかいうよくある悪戯メッセージが入っている可能性もあるが、今は確認できない。


 間違いか? その可能性もなくはない。が、一応下駄箱には名字だけだが名札が張ってある。日向ひなたの苗字は、他にはこの学校にいなかったはず。


(ああ、わからない。誰なんだ!)


 昼休みなら――と思ったが、やはりクラスメイトの視線を盗めず、結局放課後となった。

 その日一日、バレンタインの包みのことで頭がいっぱいで、授業の内容はもちろん、友達との会話も全く記憶に残っていなかった。


 だが、やっとチャンスが訪れた。

 カバンを持って、トイレへと駆けこむ。周囲を全く気にしなくていい完全個室はここしかない。


 カバンから包みを取り出し、包装を丁寧に剥がしていく。

 赤い四角い箱――蓋を開けるとハートのチョコレート。

 メッセージカードのようなものはない。ただ、チョコの上には文字が――


 LOVE MASAKI


 少し歪んだローマ字で書かれた白い文字。

(MASAKI《マサキ》……)

 やはり、人違いか――マサユキとマサキ、一文字違い。

 大きなため息と共にがっくりと肩を落とす。


「誰だよマサキって――」


 思わず声を出して、はっとした。

 マサキ――その音に聞き馴染みがあった。


 初めての出会い、自己紹介した時、あまりにも綺麗だった彼女にすっかりあがって、自分の名前を噛んだ――マサキと。それ以来自分のことをマサキと呼ぶ唯一の女性――


 チョコをカバンの中に押し込み、慌ててトイレのドアを開ける。

 廊下を走り、渡り廊下を渡って別棟に。階段を下りて、二階、科学研究部の部室に飛び込む。


「やっと来てくれた。今日一日、ここで待っていたんだけど、遅かったね、マサキくん」


 科学研究部の元部長、雪代美月ゆきしろ みつき先輩が少し不満げな顔をしてそこにいた。三学期に入ると受験で忙しかったのか部活に顔を出すこともなくなり、会うのは久しぶりだ。


「どうして――いや、差出人も書かずに、どういう事です、雪代先輩」


 彼女の真意を推し量る。ただの悪戯ってわけではないと思うが、本命の――それはない。雪代先輩が自分の事なんて……


「賭けだよ、マサキくん。今日中に来てくれたら、ちゃんと気持ちを伝えようと思ってね」

 じっとこちらを見つめながら先輩が言う。

「気持ち――」

「ハートのチョコをあげたんだから、わかってるよね?」


 え、それって――

「でも、その……」


「好きだよ、マサキくん。いつからかな、気づいたら好きになってた」

 先輩が優しく微笑む。


 綺麗だ――


「え、その、オレは――」

 言葉がうまく出ない。


「いいんだ答えは。卒業だしね。ただ、この気持ちに決着をつけたかっただけだから」

 ふっと目を伏せる雪代先輩。


 ええ、情けない。根性を出せ。


「先輩! オレも好きです。初めて会った時から、ずっと!」

 叫ぶように言う。


 先輩が再びこちらを見つめ、満面の笑みを浮かべた。

「……そうか、嬉しいな」


 あ、まずい。その顔、全身の血が沸騰しそう。

「雪代先輩!」

 思わず抱き着いた。


「え、あ、ちょっと――」

「好きです、好きです、好きです!」

「……君がこんなに情熱的だとは知らなかったよ、マサキくん」


 マサキ――違う、オレの名は――


正之まさゆきです、雪代先輩。ちゃんと呼んでほしい」


 体を離し、先輩の顔を見つめて言う。今度は噛まずにちゃんと言えた。


「そうか、じゃあ私のことも美月みつきと呼んでくれ」


美月みつき――先輩」

「先輩はいらないよ、正之まさゆき

 正之――先輩、いや美月の口から自分の名が呼ばれるのがこんなに気持ちいいなんて。


 幸せだ。


「――美月みつき、好きです、付き合ってください」

 卒業だろうが関係ない。この幸せ、逃がしてたまるか。


「もちろん、オーケーだ。これからもよろしくな、正之まさゆき

 美月の返事と共に、どちらからともなくもう一度抱き合った。


 ああ、夢のようだ……


 バレンタインのチョコの謎、解けてよかった――

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チョコの謎 よし ひろし @dai_dai_kichi

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