わたしは悪辣

飯田華

わたしは悪辣

 親友って、安心する言葉だなぁと思う。

 

「こもりは私の親友だからね」

 躊躇いもなく彼女が紡ぐ言葉は、いつも私を安心させてくれる。

 隣にいてもいいんだ。ほかの誰よりも、距離感の近い関係を許されているんだ。

 皮膚の下がうずうずとして、浮足立って、高揚を隠すのが難しくなる。燃費がいい、単純だと自分でも呆れるけれど、こればっかりはどうしようもない。

 

 でも親友って、甘い言葉ではないなぁとも思うのだ。

 隣にいてもよい。言葉を交わし合う距離に頓着しなくてもいい。

 でも…………でも、結局は『友達』なのだ。

 親友以上には、決してなれない。

 

 

 

 



 毎年やってくる二月十四日。

 誰もかれもが……というのは若干大げさだけれど、少なくともただの平日よりは教室内の雰囲気が弛緩している、名前すら憶えていない司祭の命日。

 そんな日にはもちろん、甘味を鞄に忍ばせておくのが恒例行事となっている。

 

 ガラガラと二年三組の教室の引き戸を滑らせると、いの一番に視界で捉えたのは、冬菜が周りの同級生たちにピンク色の梱包紙にくるまれた何かを配っている場面だった。

 当然ながら、バレンタイン用のチョコレートだった。

「あ、こもり! おはよう!」

 私に気づいた冬菜がとたとたと駆け寄ってきて、腕で抱えていたチョコの一つを差し出してくる。

 手作り感満載の、ラッピングフィルムにくるまれた数個のチョコレート。

「ありがとう…………私も、これ」

 あらかじめ買っておいた、有名ブランドの既製品を鞄から取り出し、彼女に手渡す。

 ほかの人に渡すものよりも、ほんの少しだけ値段が張った八個入りの箱入りチョコレート。

 

 彼女はこれをどう思うだろうか。数ある友チョコの一つだと、そう位置づけるのだろうか。いやまぁ、冬菜の交友関係の広さを考えれば、それは当然のことなのだけど。

 

 自分勝手に心中に不安を滲ませている私。一方の冬菜は「ありがとー!!!!! これ、すっごく美味しいやつじゃん!!!!」と言いながら表情を柔く綻ばせている。

 たおやかな笑みを湛えた唇に、今日も視線が釘付けになる

 絶対私にはできない、周囲の人を自然と引き寄せる、誘蛾灯じみた輝きを持つ仕草。

 いいなぁと漠然と思う時間はすぐに終わって、やがて彼女以外の『友達』が「こもりちゃんおはよー! これ、私からも!」とチョコが差し出される。

 彼女たちにも買っておいたチョコレートを手渡して、年に一度の特別感に満ちたイベントは終わり。あとはつつがなく授業を受けて、家に帰るだけだった。

 

 

 冬菜は、私と違って『完全無欠』の四文字が似合う女の子だった。

 利発的かつ整合の取れた容貌。ぱっちりとした丸い瞳から無邪気な光が損なわれているところを見たことがないくらい明るく社交的で、その上に文武両道と来るのだから、男女関係なく彼女のことを好む人は多い。

 肩の高さに揃えた短髪をほんの少し茶色に染めているけれど、校則に違反していると咎める教師は少ない。それ以外の要素であまりあるほどの信頼を得ているから、多少の素行不良は見逃してくれているとあるとき彼女が言っていた。

 その点においていいなぁとは思わないけれど、信頼を得ているという部分では羨ましくも感じる。もし私が髪色に黒以外を浸み込ませれば、教師からの注意を一身に浴びることになるだろう。まぁ、そんなことあり得ないけど。

 

 

 二時限目の古文の授業、隣の席に座る冬菜にちょんちょんと肩を叩かれ、一枚のメモ用紙を渡される。

 ウインクしつつ黒板に向き直る彼女を訝しく思いながらも、二つ折りされたそれを開く。

『放課後、ホワイトデーのチョコ探しに行かない?』

 ひと月後のことをもう視野に捉えているらしい冬菜に呆れつつ、彼女の筆跡に横に『いいよ』を書き、今度は私が隣の肩に触れる。

 黒板にびっしりと活用形の例を記している教師の隙をついて、メモ用紙をさっと渡す。

 ちらりと窺えた冬菜の顔色にはうっすらと高揚感が滲んでいた。

 ぜったいだよ。そう口パクする彼女に沈黙を帯びた頷きを返して、授業に戻る。

 

 後頭部の辺りに、無遠慮な視線がコツコツとぶつかる感触がある。

 きっと、後ろの席に座っている数人の女子たちからだろう。さっきのやり取りを見て、視線がこちらに集中しているのだ。

 意識してそのことを考えないようにして、おりおりはべりと、真っ白なノートの紙面に板書を写し取っていく。

 こういうことは、しょっちゅうある。

 内気で、社交的とはとても言えない私と、煌びやかな光を満遍なく周囲に振りまく冬菜。なぜこの二人が、親密そうにメモのやり取りなんてしているのか。

 

 不釣り合い。だれもがそう思っている。

 ご多分に漏れず、私も。


 冬菜とは中学校から高二の今に至るまでの関係で、何のきっかけで仲良くなったのかは覚えていないけれど、ほとんどの学校生活を共にする間柄だった。

 だからこそ、高校から彼女と知り合った人々と比べてこちらにアドバンテージがある……だなんていうのはおこがましいけれど、ほんの少しだけ優位に立っているのは事実だった。彼女たちよりも、歴が長いという一点のみに関しては。

 それでも、内向的で、彼女以外に友達のいない私とずっと、飽きることなく一緒にいるのはやっぱりおかしい。そう思う人がほとんどだと自分でも思う。

 

 それに。

 

 じろじろと視線を向ける誰かは、私が冬菜に向ける感情の真意に気が付いている。

 どろどろとして取り換えの利かない、友達に向けるには重すぎる心根。

 親友の二文字にいつも押さえつけられ、くぐもった呻きを漏らしているそれは、他人から見れば非常に分かりやすいのだと思う。

 現に昔、「こもりちゃんって、冬菜のこと大好きだよね~」と言われたことがある。隠しもしない好奇心で歪んだ口元と伸ばされた語尾からこちらを茶化しているのは分かり切っていたけれど、そのときはとくに目立った反応はせず私はただ「そうだね」と返しただけだった。

 

 そのくらいバレバレな感情を抱える私は、周りからは歪に見えていることだろう。

 なのに、冬菜はそれに気づきもせず依然として隣に立ってくれる。

 

 不釣り合いな天秤の片方に『親友』を据え置いて、帳尻を合わせている。

 その上に私の「大好き」を置けば、今の関係は壊れてしまうのは必然だった。

 

 

 

 放課後になって約束を遂行しようと教室を見渡しても、冬菜の姿はどこにもなかった。一瞬、冷え切った不安が心中に吹き込む。

 約束を忘れて、帰った?

 微かに頭を横に振って、冷たさを振り払う。そんなはずない。冬菜はそんなことしない。

 教室から靴箱の道を忙しなく駆ける。

 目的地にたどり着いてすぐ、ネガティブに考えすぎだったことを恥じた。冬菜は私の靴箱の目の前に立っていたから。

「おそいよこもりー!」

「ごめん、教室にいなかったから。どこ行ったのかと思って」

「あ、そうか。わたしの方こそごめん! 後輩の子にチョコ渡されちゃってて」

「…………人気だね。ほんとに」

 そう返してから、今のは気持ち悪かったなと自己嫌悪が募る。目に見えて嫉妬していたから。

「そんなことないよ。知り合いが多いだけ。後輩は委員会繋がりで知り合っただけだしね」

 そんな私にまたもや気づかない冬菜は努めて自然に謙遜を口にした。

「じゃ、いこっか」

 冬菜に促されるまま、ローファーに爪先を通して学校を後にする。

 後頭部にまたチクチクと刺さる視線を感じたけれど、授業中と変わらず意識を逸らして、冬菜と同じ幅を保って歩を刻む。

 

 

 




 学校近くのデパートメントに立ち寄った私たちは、ホワイトデー用のチョコレートを見物するよりも先に、フードコートでカップ入りのアイスクリームを頬張っていた。

「チョコとは毛色の違う甘味が食べたいな」

 気分屋の冬菜は、文脈を無視した提案をすることが多い。そんな彼女に振り回されるのはときどき億劫にもなるけれど、大抵は心地よい。一緒に時間を共有するだけで頬が綻んで。

 やっぱり私は燃費がいいみたいだ。

「こもりはセンスいいよね。今朝渡してくれたチョコ、シュッとしててよかった」

「シュッとって、どういう意味?」

「洗礼されてるって意味だよ。ほかの子より大人びてる~的な?」

「てきな、と言われても……」

 向かいの席でチョコミントアイスにスプーンを突き立てている冬菜の表情を覗き込む。

 んー! と零しながらミント味を味わっている彼女に見惚れる。

 綺麗だなぁと純粋に思って、でも、あまり見つめていると不審がられてしまうので、適当なところで視線を落とし、ガトーショコラ味をスプーンで刈り取った。

 冷やっこい黒を舌に置く。

 順当に美味しい。

「それに比べて、わたしのは形がぼろぼろになっちゃったから恥ずかしいな」

「そんなことないよ。自分で作れるなんてすごいことだし」

「そー言ってくれるのはこもりだけだよ」

 嘘。

 そんなわけがない。彼女の周りにいる誰もかも、そんなことを言ったはずだ。

 冬菜は私に提供してくれる特別感は、いつも信ぴょう性がない。適当に口にしているのは見え見えで。

「そうなんだ」

 それでも、にやける口元を憎々しく思う。

 ああもう、どうしようもないな。

 

 学校に近いここは、普段は同級生が多く見られる場所だけれど、今日は私たちと同じ制服を着ている子はどこにも見られなかった。

 だから、気兼ねなく笑える。つり合いのことを気にせず、私だけが彼女の光を受け取れる。

 今日は、いい日だ。

 このまま、こんな時間が永遠に続けばいいと思う。

 私以外にあげるホワイトデーのチョコの物色なんて、したくもないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 立場上配らねばならないチョコレートを手渡すとき、いちいち盛大な反応をしてくるやつらの鬱陶しさと言ったら筆舌しがたいほどで、苛立ちが自然と募っていく。

 付き合い程度の、なんら意味のない義理の義理。それなのに受け取った瞬間「自分はこのイベントを謳歌しています!」とでも主張するかのように声を高らかにするのはなぜだろう。それほどまでに日常に刺激が足りないのだろうか。とくに一部の男子なんか、わたしから受け取ったチョコをまるでラブレターでも貰ったかのような反応をして手に取った後、自慢するために頭上に掲げている。気色悪い。

 

 こもりのいない教室は、騒々しいだけでなんら楽しくない。間に合わせの会話と惰性の頷きに溢れた、つまらなさのバーゲンセールみたいな場所だ。

 だからこそ、彼女が教室が来るのを心の底から待ちわびていた。

 

 そのときはすぐに訪れた。

 引き戸の向こうから姿を表したこもりを認めた瞬間、鬱屈した感情が一瞬で弾け飛んで、視界に薄桃色の膜が張られる。

 周囲にはびこっていた人間を押しのけて挨拶をすると、おずおずと視線を上げた彼女と目が合った。

 ああ、やっぱりかわいい。

 喉元から漏れ出そうになる感嘆をギリギリで抑えて、抱えていた包装紙に包んだチョコを一つ差し出す。

 一見ほかの包み紙と同じ仕様だけど、こもりに渡すものだけは特別だ。

 というか、他の子に渡すものはこもりのために作ったチョコの試作品のようなものだった。

 全てはこもりのためのチョコレート。

 既製品のチョコを刻んで、生クリームと共にボウルへ放って掻き混ぜる。冷蔵庫で冷やし固めて、ココアパウダーを振りかけて完成。

 慣れないことをしたと思う。正直言って細かな作業は苦手だし、徹夜もしたから身体はふらふらだ。

 それでも、彼女に喜んでもらえるのなら何でもする。そこにクラスメイトの取って付けたような笑顔も混じるのは少々癪だけれど、まぁしかたない。

「ありがとう…………私も、これ」

 ふわりとほほ笑んだこもりが、鞄から取り出した箱を差し出してくれる。

「ありがとー!!!!! これ、すっごく美味しいやつじゃん!!!!」

 テレビでよく見るブランドの既製品。それをわたしのために選んでくれたのかと思うと、どんな感謝の言葉も薄っぺらいと感じるほど高揚してしまう。

 わたしを見て、こもりがふわりと微かに笑う。

 

 大げさじゃない、誰か他人に見せるよう意識されたように調整されていない健やかな笑み。

 それを認めるたび、わたしは咄嗟に目を瞑りたくなる。彼女のてらいのない表情は、普段作り笑いをしている身分のわたしにはひどく眩しくて、でもその分、惹きつけられるのだ。

 

 こもりは表情を取り繕うのが下手だ。笑うときも眉を顰めるときも、表情筋の動きを伴うほとんどが感情そのままを汲み取ったように率直で美しい。

 笑いたいときに上手く笑えない。取り繕うことに慣れ切ったわたしには、こもりの無防備さは新鮮だった。

 もっとこの子のことを知りたい。

 そう願って彼女と友達になった。

 

 わたしとのチョコのやり取りが終わってすぐ、後ろのクラスメイト達がこもりにチョコを差し出し始める。

 邪魔だなぁ。

 思わず顔を顰めそうになったけれど、こもりが目の前にいるから何とか耐えることができた。

 わたしとこもりの時間に割り込んでくるやつは、嫌いだ。

 でも、それに対して青筋を浮かべているところを、こもりに見られたくない。

 



 

 こもりは、わたしのことを好きでいてくれている。

 バレバレな彼女の想いをわたしの醜い嫌悪で搔き乱すわけにはいかなかった。


 

 

 

 

 メモのやり取りをしている間、チリチリと首元を逆なでする視線に気づく。

 あー、またか。

 今日のようなバレンタインデーや何かの記念日になると大抵、こんな視線に晒されることになる。

 面倒くさくて、いちいちすることが増えて。

 それでも、平穏を手に入れるには避けては通れない道だ。

 今日もやり遂げてみせる。

  

 

 

 

 放課後になってすぐ、こもりに悟られないよう教室を出て、靴箱の方へと貰う。

 こもりのローファーが仕舞われているところに手を伸ばして、

「やっぱり」と零して、その中から一枚の手紙を取り出す。

 

 こもりは、自己評価が極端に低い。

「冬菜はかわいい」と言ってくれるときも、そこには過分に自身への卑下が含まれていて、わたしとしてはなぜそんなに自信がないのか不思議に思うくらいだった。

 こもりはもっと鏡を顔を突き合わせた方がいいと思う。

 

 だからこそ、こもりは自分がいかに他の人間の注目を攫っているかにも頓着していなかった。


 忌々しい手紙の差出人はおそらく、クラスの男子の誰かだろう。

 平日とは雰囲気の異なる祭日に限って、こうやってこもりにアプローチをしかけてくるやつがいる。面と向かって行うのではなく、こうして回りくどい方法を用いて。

「はぁ~~~~~」

 こんなこと、わたしにさせないでほしかった。

 周囲に誰もいないことを見計らって、自然な動作で手紙を制服の胸ポケットに滑り込ませる。それからトイレへと急いで、入り口近くに置かれているゴミ箱にそれを放り込んだ。

「…………よし」

 これで、わたしたちの日常は保たれた。

 



 


 

 

 

 わたしは悪辣で、嘘つきだ。他人に向ける自分を適当に取り繕っている。

 こもりにすら皮膚の下を見せられない。臆病なのだ、つまり。

 

 でも、もし。

 わたしがほんの少しでもこもりに素を見せられるようになったら、彼女は受け入れてくれるのだろうか。

 そんな不確かな未来について想いを馳せる。

 


「こもりが親友でよかったよ」

 分からないけど。

 ガトーショコラを頬張る彼女を見据えながら、ぽつりとそう零す。

 今はまだ、この関係を続けていよう。二人だけの、できるだけ他人が差し込まない形の日常を保っていこう。

 いつか、親友じゃない関係を築くのだと祈りながら。 


 

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わたしは悪辣 飯田華 @karen_ida

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