第29話 勇者、励ます。

 ◇


 アリアが入って行った倉庫部屋は、小さな天窓が一つついているのみで、室内の灯りは乏しい。薄明かりの部屋の隅、棚にかけられた鏡の前にアリアの姿はあった。


 彼は鏡に映る愛しい女性の姿を、そのアンバーカラーの瞳でまっすぐに見つめている。


「あ、いた。ちょっと邪魔するぜ……っと、うおっ。棚が倒れてら」


「……」


「さっきモンスターに衝突された時の振動のせいか? むーん、仕方ねえ。ほっ……いでっ……はっ……あだだ……よっ、痛ずおッッ、いっでえ!! ボキっつった今!!」


「……」


「あーいてぇ……怪我したばっかなのにこんなところでまた怪我とか勘弁してくれよって話だよな……ったく。おいしょっと」


「……」


「ふう」


 怪我した足で飛び跳ねながらも、なんとかアリアの傍までやってきたぞ。


 だが、俺がいくら茶番まじりの独り言を吐いても、アリアはまるで反応を示さなかった。


 徹底的に俺の存在を無視しているようだ。


「……」


「……」


 さてここで――。


 今さらなんだが、そもそも俺は友達が少ない。なぜならばまともに学校に通っていなかったからだ。知り合いや村の組合仲間など、小さい子どもや年配の人たちとはそれなりに仲良くやってきたけども、『友達』と言えるような同世代の相手がいなかったため、こんなときにどう接して、なんて声をかければいいのかなんて、てんでわからなかった。


 おまけに見知った相手ならまだしも、アリアとはまだ出会ったばかりでそこまで仲が良いわけでもないし、中身は男っつったって見た目は女だから余計にやりづらいわけで……。


 いったいどうしたものかと、俺はポリポリと頬をかきつつ、思案する。


 だが、いくら考えようがこれといった妙案もないため、ひとまず普段通りの調子で接してみることにした。


「なあー。なにしょぼくれた顔してんだよ」


「……」


「……?」


「……」


「…………?」


「……」


「無視か……」


 室内に俺の独り言が虚しく響く。


 やはり、誰とも話す気はないようだ。


「……」


「……」


 アリアはまだ、鏡に映った自分の顔をじっと見つめていた。


 何かを考えているような。あるいは想いを拗らせて苦しむような。


 多分なにかしらシリアスなことを考えているんだろうなとそれはわかっていたんだけど、俺には今、どうしても言いたいことがあり、半ばヤケクソのような気持ちで、空気を読まずにぶっちゃけることにする。


「つかさ、セレンちゃんマジで可愛いくね?」


「……」


 ぴくりと、アリアの耳が動いた。


「いや今さらって感じなんだけどさ。こうやって改めてまじまじと見ると、破壊力半端ねえっつうか、マジでなんなんだよその可愛さ。何食ったらそんなに可愛く成長できんだよ」


「…………」


「ぶっちゃけ、中身男だってわかってても滾るんだが」


「キモい目で見てんじゃねえよエロガキ、セレンちゃんに変なことしようモンなら容赦なく斬り伏せんぞ⁉︎」


 それまでの沈黙をあっさりと破り、般若のような形相でこちらを振り返るアリア。


 いままで頑なに沈黙を貫いていたくせに、セレンちゃんのこととなった瞬間これとか、もはや想像以上の入れ込みっぷりである。


「冗談に決まってんだろ。そりゃ可愛いっちゃ可愛いけど、俺、他に好きな子いるし。つか、セレンちゃんの見た目の年齢だって俺と大して変わらねーじゃん。ガキにガキって言われてもピンとこねーんだけども」


「……ふん。ガキの恋愛になんざ興味ねーし、そりゃセレンちゃんはまだ十八になったばっかりのうら若き聖女だからな。幼馴染っつっても俺は三個上の二十一だし、騎士育成の名門校だってとうの昔に卒業してる。戦闘職としての知識も、剣士としての経験も、お前なんかよりずっと上だ」


「マジかー。いやマジかー。それなら確かに、冒険者や戦闘職としての立場は俺の方が下だけど……。いうてもアリア、初恋で失恋っぽい感じだし、女慣れもしてない感じだから恋愛経験値は俺とたいして変わんねーんじゃん?」


「……………」


「図星か……わかりやすいなお前」


「ほっとけよ。それよりなんだよ、慰めにでもきたつもりなのか?」


「慰めるっつうか……うーん?」


「どうせお前だってあのサド野郎と同じで、王国騎士団の騎士が剣も抜けねえ腑抜けでダセェなとか、男のくせに情けねえチキン野郎だなって、心の中じゃ嘲笑ってんだろ」


「いや別に……」


「嘘だ! 前衛志してる同業だったら尚更――」


「思ってねえって。男とか女とか関係ねーし、普通に無理だろ。好きな女の体で戦うとか、正気の沙汰じゃねえじゃん」


「……っ」


 それまで思っていたことを率直にそうこぼすと、アリアは驚いたように二重瞼のぱっちりした瞳で俺を見た。


「そもそもお前、きっかけはどうせ、セレンちゃんを守りたくて騎士になったようなモンなんだろ? 好きな女を身体張って守るどころか、逆に傷を負わせちまうかもしれない危険な状態に晒し続けなきゃいけないとか、そりゃ俺がお前だったら同じように悩んでたと思うぞ」


 腕を組んでうんうんと頷きながら、自論を述べる俺。


 アリアは何も言わず、歯を食いしばるようにして静かに俯いた。


 アリアに届いているのか、いないのか。それすらもよくわからないが、俺は続ける。


「でもさー。好きな女を危険な目に合わせたくないっていうお前の気持ちはわかるけど、今の時代、やらなきゃやられるだけなんだぜ?」


「……」


「大人しく縮こまってたって、そんだけ可愛けりゃ嫌でも魔族や人間の男に狙われることは必須。今のセレンちゃんの体を生かすも殺すもお前次第なんだから、傷物にしちまうだのなんだのってビビってる場合じゃねーかと」


 それが俺に言えるたった一つの現実だった。


 アリアが静かに俺を見る。


 この可愛い仮面の下にいるアストリアの魂は、いったいなにを思っているのだろう。彼は腰につがえた剣を手繰るように触る。王国騎士団の副騎士団長にまで上り詰めた男に、俺のような無名戦士の声はどのように響いたのだろうか。


 と、まあ、そんなこと考えてもわかるわけもねーんだけどな。


「あ、そうそう、ほら。いざとなったら案外効くっぽい王子の薬もあるしさ」


「……」


「もうこうなったらやられる前にやっちまおうぜ、という脳筋的精神マインドを推奨しに、満身創痍でここへやってきたというわけなんだが、俺より学力も経験も格上なんだったら、そんなフォローもらっても嬉しくねえわな……はは」


 ――と、頭をボリボリとかいたそのとき、不意にドンッと、派手な衝突音と共に、再び小屋が揺れた。


「……!」


「……っ」


 ハッと顔をあげ、窓の外に目をやる俺とアリア。


 しかしここからではなにも見えない。状況を把握できないうちに、ホールにいるシド先輩の声が飛び込んできた。


「コーハイくんハヨ! 第二ラウンド始まる予感〜♡」


 ああ、やっぱり。俺はアリアに視線を投げると、


「ったく、おちおち話してる暇もねえな……ちょっと行ってくるわ」


「あ、おい!」


「大丈夫、いやまじでさっき飲んだ王子の薬が効いててさ、怪我した手も足も今なら普通に動きそうな感じだし、ここは俺がなんとかするから」


「……っ」


「アンタは焦らなくていい。魂が落ち着くまでは、とりあえず王子のそばで最低限の護衛でもしといて。あの人、見張ってねえと自分の立場も考えずすぐ前に出たがってマジで危ないからさ」


「ちょ、ま……」


 俺は不安を微塵も感じさせない笑顔でそう告げると、アリアの返事も聞かずに部屋を飛び出した。

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