と まがく から げて

見鳥望/greed green

「何もなければいいんですけどね」


 高校生の彼女と僕は、励まし合うようにお互い声をかけるしかなかった。

 今でもよく覚えている。その話を聞いたのはバレンタインデーという皆が色めきだつイベントの翌日の事だった。


 気軽に聞いてしまったが、正直どう声をかけていいか戸惑うような奇妙な話だった。















『なぁ、ちょっと気持ち悪いんだけど』




 お決まりの仲良しグループに投稿されたLINEの通知。内容を見ると今日皆で家に遊びに行く予定の孝之からだった。




『何が?』


『どしたのー?』


『いやなんか、部屋の扉が勝手に開くんだよ』


『なんだそれ』




 なんだそれ。同感だった。気のせいじゃないと思ってたら、私と同じことを他の子がやっぱり同じように返信していた。




『完全に閉めてんのに気付いたら勝手に開いてんだよ。家誰もいねぇのに』


『何それキモチワリー』




 どうやら孝之は冗談でもからかっているわけでもなさそうだった。




『大丈夫だよ。これから皆でそっち行くんだから安心して』




 私の投稿に皆が追随する形で一旦そのLINEは落ち着いた。












「なぁ、LINEで言ってたやつマジなの?」




 啓介が休日の父親のようにごろんと寝ころびながらスナック菓子をぼりぼりと貪っている。




「マジだって。めっちゃ気持ち悪いんだけど」




 言いながら孝之はぴったりと閉められた自室の扉の方を見る。




「風とかそんなんじゃないの?」




 加奈子がスマホを見ながらさして心配する様子もなく口にする。




「窓なんて開けてねえよ」




 それもそうだ。冬の寒い時期にわざわざ窓を開け放つ理由はない。




「ま、あんまり気にし過ぎない方がいいよ」




 正直私も本気で心配はしてなかった。だから私もそんな言葉しか出てこなかった。




「いやでもなぁ……」




 唯一その奇妙な体験をしている孝之はやはり腑に落ちない様子だったが、四人も部屋に集まれば気付けば学校の話題に皆して笑い、気付けば皆扉の事なんかすっかり忘れ去っていた。










「あれ?」




 声を上げたのは啓介だった。




「どうした?」




 孝之が聞くと、




「いや、扉……」




 言いながら指を差した。ちょうど扉が真正面から見える位置に座っていた啓介が真っすぐ前に突き出した指の先を見ると、閉まっていたはずの扉が少しだけ部屋の内側の方に開いていた。ちょうど一人分の人間が身体を横にすればするっと中に入れるような程度の隙間が開いている。




「ほら、な! これだよれこれ!」




 孝之は興奮気味に声を荒げた。




「な? おかしくね? 気付いたらこうなんだよ」


「いやでも、実はちゃんと閉まってなかったんじゃないか? それで勝手に」


「いや閉まったって絶対に」


「わかんねぇけど、気付かねぇって事もあるんじゃないのか?」


「じゃあちょっとお前見てろよ」




 孝之は立ち上がり開いた扉から一度部屋の外に出る。




「いいか? よく聞いとけよ」




 そう言ってまず孝之は扉を閉めた。




 きゅいいいん、ぱた。




「開けるぞ」




 きぃぃぃぎぃいいいいいぃい。




 ゆっくりと扉が開き、孝之が再び部屋の中に戻ってくる。




「この音で誰も気付かない事あるか?」




 そう言われた瞬間に室内の空気がすっと少し変わった気がした。


 何度も孝之の部屋は皆訪れている。でも誰もそんな事は気にしていなかった。というか気にする必要もなかった。


 扉が開閉する時に鳴り響いた木の軋むような音は、私も含め全員が思っている以上に大きな音だった。確かにこれほどの音なら会話をしていても気付くレベルだ。




「確かに、ちょっとキモいね」




 加奈子の顔は少し引き攣っていた。やっぱり考えすぎだし気のせいだよ。そう言おうかとも思ったが、それを口にできるような空気でもなかった。




「ドアストッパーとかねえの?」


「え?」


「扉、開かないように固定しといたらさすがに無理だろ」


「あー」




 啓介の提案が名案だったかは分からないが、効果的ではあるかもしれない。孝之はすぐにドアストッパーを扉の内側にかました。さすがにこれなら簡単には開かないだろう。




「よし、これで大丈夫だろ」




 根本的な解決ではない気もしながら、気にしたところでどうにもならない。最初は微妙だった空気も少しすればまた会話に夢中になっていた。




「え……?」




 数十分後ぐらいだったか。皆がまた扉の事から意識がちょうど逸れきった頃、啓介が扉の方を怪訝な顔で見上げていた。まさかと思い全員が同じ方向に視線を向ける。


 ドアストッパーを押しのけて、また扉が同じぐらい開いていた。




「何これ何これ怖いんだけど」




 加奈子の怯えた声は全員の総意だった。開けられたという事実もそうだが、また全く誰も気付かなかった事も奇妙で寒気だった。音なんて一切していなかった。私はそこで違う角度から質問を投げかけた。




「孝之さ、"これ"って今日が初めてなの?」


「え? あ、あぁ。こんなの今まで一回もなかったよ」


「今日突然って事?」


「まあ、そうなるな」


「……何かきっかけがあるんじゃない?」


「きっかけ?」


「そう。今日なんか変な事ってなかった?」


「なんだよ。探偵みたいだなお前」


「いいから」


「……まぁでも、確かにあるな」




 そう言って孝之は自分の通学時に使用している鞄をまさぐり何かを取り出した。




「これなんだけどさ」




 それは小ぎれいな深めの茶色い小箱だった。それを見て全員ピンときた。




「何だよお前、チョコもらってのたかよ。やるねー」




 にやけながら啓介が孝之の事を小突く。普段なら「やめろよ」とか言いながら楽しい空気になっているだろうがそうはならなかった。孝之は真顔のままこの箱について話し始めた。




「ベタっていうか、今時そんな事まだあんのかって思ったけど、下校する時に靴箱開けたらさ、そこにこれが入ってたんだよ。そん時はまあちょっとテンション上がったよそりゃ。だってバレンタインデーでこっそり靴箱にチョコって、もうそういう事だろ? だからとりあえず鞄の中に入れて、帰ったら開けようって楽しみにしながら帰ったんだよ」




 帰宅して彼は早速箱を開けてみた。小さな袋に包まれた中に、何の変哲もない丸くて小さなチョコがいくつか入っていた。




「一つ食べてみたけど普通においしかったよ。うわーこれを俺の為に作ってくれた子がいるんだって思ったらちょっとニヤけちまったよ」




 言いながら孝之は少し微笑んだが、おそらく彼がチョコを口にした時に比べればぎこちないものだろう。




「でさ、こういうパターンだったらチョコだけじゃないよなって思うじゃん。そしたら案の定あったんだよ。でも……」




 そこで彼の言葉は詰まった。言葉の代わりに閉じられた小箱の蓋をすっと上にずらす。中には彼が食べたチョコの姿はなかった。ただ一枚、薄い白い小さな紙のようなものが見えた。




「誰かも分からねえんだよ」


「え?」


「このチョコ。紙に名前も書いてないし。でも”多分”その子が書いたんだとは思うんだけど……」




 よく分からない。この流れで考えれば箱に入っている紙は手紙の類と考えるのが普通だ。しかも下駄箱にバレンタインデーとくれば古めかしいやり方だがラブレターだろう。だがそこで自分の存在を明かしていない。それじゃ全くこの行為の意味がないではないか。




「まあ見てくれよ」




 そう言って孝之は箱からその紙を取り出す。掌に収まるほどの小さなメモ紙。そこに書かれた文字をその場にいる全員が覗き込む。


 確かに彼の言う通り、そこに差出人の名前は記されていなかった。そして不規則に滴った水滴のようなものが紙をぽつぽつと濡らしていた。




「それ、濡れてるのもちょっと気持ち悪いんだよな。今日別に雨降ってねえし、靴箱も靴も別に濡れてない。箱もチョコも一切濡れてないのに、その紙だけちょっと濡れてんだよ」




 紙が濡れてる理由は分からない。ただそんな事より、そこに書かれている内容があまりに奇妙だった。


 書かれていたのはたった一文。






 "と〇まがく〇から〇げて"






 水滴のせいで文字がぼやけて部分的に読めなくなっている。ただ読めたとしても、チョコと一緒に添えるにはあまりにも場違いな文に感じられた。




「さすがにこれ見ちまったら、もうチョコは食えなかったよ。変なもん入れられた味じゃなかったからそっちは大丈夫だと思うんだけど。後チョコと一緒に捨てたけど、その紙に一本長い髪の毛がくっついててさ。それは意図的じゃなかったのかもしれねぇけど、ちょっとそれも嫌だったな」




 その場にいる全員が考えた事は、おそらく不吉なものでしかなかった。メッセージの意味などいくら考えても、孝之の恐怖を大きくするだけだ。であれば、考えても意味も救いもない。




「いや怖すぎだろ! ほん怖だろこんなもん!」




 啓介は大げさに大きく笑った。




「いやマジ出来過ぎ、逆にレア体験過ぎて羨ましいわ」




 加奈子も笑った。私も笑った。




「一生ネタに出来るねこれ」




 不謹慎とかそんなものかは分からなかった。でも孝之も笑っていたからそれだけで良かった。


 こんな気持ちの悪いもの、笑い飛ばすしかなかった。正面から向き合ってはいけない。そんな事をしてこれを紐解いても孝之の為にならない。大事な友達の為に皆が取った行動は、その一心からくるものだった。















「それが昨日あった事です」




 バレンタインデーの怖い話が聞きたい。


 その日は2/15だった。趣味の怖い話を集めようといつも通り配信を始めた時に、せっかくならと思いその場にいる人達に投げかけてみた。結果、出てきた話はとんでもないものだった。




「だから、ひょっとしたらまだ何かあるかもしれないですけど」




 コメント欄に彼女のものが追加される。僕は彼女からこの話を口頭ではなくコメントに記載してもらう形で聞かせてもらった。


 配信の中で色々な話を聞いてきたが、その中でもこの話はかなり奇妙な類に入るものだった。




 "と〇まがく〇から〇げて"




 やはり一番気になったのはこのメッセージだ。ぼやけてしまったせいで未完成に終わったメッセージ。だが普通に考えれば、ほとんどこのメッセージは補完出来るだろう。




 と〇まがくるからにげて。


 と〇まが来るから逃げて。




 このメッセージはおそらく孝之君への警告文だ。


 話を聞いている途中まで、僕は違う事を予想していた。彼に対して偏狂的な女生徒が仕掛けたプレゼント。だから手紙と思われる紙のくだりが来たあたりで、いわゆる彼に対してストーカーチックな一方的な何か怖いメッセージが書かれているのだろうと思った。


 でもそうではなかった。妙なメッセージではあるが、このメッセージを書いた誰かは、彼への想いではなく、違うメッセージを伝えている。




 "と〇ま"




 本当にヤバイのはそっちかもしれない。それが何かは分からないが、それを認識出来ている誰かは、普通の方法では信じてもらえないとでも思ったのか、どうにかそれを彼に伝えようとした。




「何もなければいいんですけどね」




 言葉ではそう言った。でも頭の中ではもう一つ嫌な事が頭の中にあった。






『いやなんか、部屋の扉が勝手に開くんだよ』




 


 これが自然現象ではなく、誰かが扉を開けているのだとしたら。


 もう”と〇ま”は、すぐそこまで来ているんじゃないか。




「もし、もしまた何かあったら、一応教えてください」




 何かあった時に助けられるわけでもないが、その先があるのだとしたらやはり気になる。




「まあ、何もないとは思いますけどね。さすがに」




 僕は自然と繰り返していた。


 僕自身もそう信じたかったから。






 






 結局、その後の話を彼女から聞く事はなかった。




「勉強があるんで、夏ごろにはこのアプリ止める予定なんです」




 この話を聞く少し前から、彼女からその事は聞いていた。


 あー残念やけど、勉強の方が大事やから頑張ってね、なんて言ったのを覚えている。


 




 偶然だと思っている。もしそうだとすればあまりにも怖いし嫌だから。


 この話を聞いた数日後に、彼女のアカウントが消えていた。


 そんなわけはないと思う。関係ない。あるはずない。


 けどあまりにもタイミングが良すぎる、というか、悪すぎる。




 だから彼らがどうなったかも分からない。


 メッセージの意味も、何もかも。


 


「何もなければいいんですけどね」


  


 本当にただそう願うしかない。

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