第9話 私は忙しい

 部屋の中からテオ大公の側近に左右の扉を開けられて、ゲオルグとエーミルは敬礼した。

 たとえ形ばかりだとしても、大公が最上官だという現実は曲げられない。

 

 大公は、庭に面した窓辺近くに長椅子を寄せて背もたれを倒し、クッションに埋もれるようにして座っていた。

 両足は革張りの足乗せ椅子に放り出し、顔だけひねって二人を見る。


 雨が止んだ庭には篝火かがりびが焚かれ、折り重なる木立が噴水の水面や濡れた石畳の散策路に、薄い葉陰を落としていた。


「ダフネ帝国の軍港が奇襲を受けたそうだな」


 テオ大公は鼻で笑うだけだった。

 

 大公は詰襟の上着の襟元から胸元までを繊細なレースのひだで覆い、赤葡萄酒色の生地に金糸や銀糸、多色の刺繍をほどこした上着をまとっている。

 手首の折り返しからもレースを覗かせ、折り返した布と布の袖口を、大粒の真珠とダイヤモンドで薔薇を模したカフスボタンで留めていた。

 

「ダフネの北の軍港が手薄になったというのなら、こちらからも軍を出し、北から攻め上げるのが筋だろう。二人で顔を揃えられても、私には他に言うべき指示がない」


 テオ大公の膝元で、粛々と公の爪をやすりで磨いた少年の手が、ふと止まる。


 手入れの済んだ自分の指を鼻の前まで掲げると、燭台の火にかざしたり、手首を回すなどして鑑賞した。

 

 うつむきがちな少年は、次に宝石で飾られた化粧箱の蓋を開け、目を閉じた大公の目蓋に人差し指で薄茶色の粉を乗せ、目の下に付黒子つけぼくろをして目の印象を際立たせる。


 また、頬紅を、ほんのり刷毛はけで塗り重ねた。


 テオ大公の肌は女性のように色白で肌理が細かく、美しい。 本来ならば白粉おしろいで、わざわざ顔を白くする必要などないのだが。

 また彼は、他の貴族の男達がするように、口紅も使わない。


 血色の良い薔薇色の唇も、彼の自慢のひとつでもある。


「何をそこで突っ立っている。私は今は忙しい。見ればわかることだろう」


 扉を背にして、ほどんど動かずにいた二人を手の甲で追い払う。まるで犬か何かを追いやるような所作だった。

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