あふれる気持ち

ひよこもち

あふれる気持ち


 


 

 もう、涸れてしまったのだと思っていました。

 心の奥の、ちいさな泉のことです。

 昔は透きとおった水がこんこんと湧き出して、青く澄んだ水面に、色々なものが映っていました。朝のまぶしい陽の光、オレンジ色の夕焼け空、まん丸な月と満天の星くず、いろんな光に照らされて、朝から晩まで、キラキラかがやいていました。


 とても小さな、泉です。

 仔鹿が一匹飛びこめば、もういっぱいになってしまうほど。

 けれど、魔法の泉です。

 泉のほとりに腰かけて覗きこめば、この世のあらゆるものが映ります。本物より

ずっとまぶしく、色鮮やかに見えます。



 でも、いつの頃からでしょうか。

 泉の水が、にごりはじめました。


 世界のあらゆるものを映す、泉です。

 綺麗なものばかりが映る時代は、終わったのです。

 悲しいもの、醜いもの、くだらないもの、そんなものばかりが映るようになって、心の持ち主は、泉を覗き込むのをやめてしまいました。泉のほとりに咲いていた花はしおれて、水面は枯れ葉で埋もれてしまいました。


 ある日のことです。

 心の奥から、不思議な水音が聞こえてきました。

 読んでいた本から顔をあげて、耳を澄ましてみます。消えてしまいそうなほど微かに、水音が響いてきます。


 本を抱えたまま、音の方へ歩いていきます。

 薄暗い森は、野草が茂りほうだいで、獣道すら見えません。

 やがて、こんもり積もった枯れ葉の山を見つけました。底のほうから、ちょろちょろ、水が流れてきます。しゃがみこんで、両手で枯れ葉をどかしてみます。


 ちいさな泉が、ありました。

 最初は泥でにごっていましたが、すぐ透きとおった、冷たい水が湧いてきました。あとから、あとから、湧き出してきます。

 干からびた心いっぱいに、水が満ちていくのを感じました。

 かたく、ひび割れていたあちこちに、冷たい水が沁みこんでいきます。心が、やわらかくなっていきます。泉のふちの枯れ葉の下で、ちいさな花が、白いつぼみをひらきました。鬱蒼と暗い森を、木漏れ日がしずかに、照らしました。


 本を膝に抱えたまま、ぽろぽろ、涙がこぼれました。


 子どもの頃に見ていた色鮮やかな景色が、ほんの少しだけ、よみがえってきました。もう、戻ってこないと諦めて、忘れかけていた感覚でした。

 こんなにすっきりする涙は、久しぶりのことでした。

 

 

 


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あふれる気持ち ひよこもち @oh_mochi

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