竜人戦争

さくら

竜人戦争

遠くで咆哮が聞こえる。

大気が震えるような、忌まわしい鳴き声。

この声は怒ってやがるな。


クソ。

あれだけ暴れてまだ足りないのか。


「はぁ。今日も今日とてクソッタレの竜どもが来るのか……」


塹壕の中で溜息とともに悪態をつくと、となりから声が聞こえた。


「こらリーシャ。口が悪いわよ?」

「ローザ……だってよぉ。もうあたしらの大隊も限界だもんよぉ。あのクソッタレどものせいで、昨日も1人やられちまったんだ!」

「……あの子、リーシャのこと慕ってたものね……」

「ちくしょう……亜種とはいえブレスを真正面から受けちまったから……くそっ!」


一瞬だった。

もっとあたしが警戒していれば。

そうしたらあいつは今日もここで戦えてたはずだったんだ。


あたしがもっとうまくやれてたら結果は違ったのか。

そんなことを、いつも思わされる。

後悔の連続だ。


「でもリーシャ。あなたがいたからこそ助けられたんじゃない」

「だけど結局あいつは酷い火傷と怪我を負った!助けられたけど……でもあれじゃあ……」


熱くなりかけてたところを、隣に座っていたローザに急に抱きしめられた。


「リーシャ。あなたも私も、それにあの子も。できることをやった。だからリーシャはあの子の命を救えた」

「……ローザ……」

「もし大隊長が気づかずにいて、リーシャも私も間に合わなかったら、あのままあの子は餌食になってた。それを助けられたんだから。ね?」

「……ありがとな」

「うん」


やけを起こしかけてた頭が、ローザのおかげで冷えてきた。

抱き着かれたまま、あたしもローザを抱きしめ返した。


血と汗の匂いに混じった、ローザの仄かな香りが、あたしを落ち着かせた。




こんなことになって、もうどれくらいになるんだろう。


最初は、たまにある大量発生が原因だと思われてた。

亜竜の大量発生は今まで起こったことがなかったけど、竜族の頂点に位置するといわれる真竜ならいざ知らず、ただの亜竜の群れなら、対策はすでに研究されつくしてたからだ。


あたしら国防軍に加えて、その頃は冒険者もたくさん志願してた。

亜竜であっても、その皮や歯は貴重な素材で高額で取引されるのもあって、高ランクの冒険者が多数参加していた。


そういう状況でもあったから、一時はあたしらに有利だと思われてた。

油断さえしなければ、苦戦することはないことは分かっていたからだ。


だが想定外のことが起きた。


突然、『新種』が現れ始めたんだ。

従来型に比べるとやけに知能が高くて、集団で狩りをする習性を持つ亜種だった。

おまけにそいつらは、人間の「男」を好んで捕食した。


あたしらみたいに女で軍に入ってるやつらは少なくはなかったけど、それでも男の割合はやっぱり高かった。

軍隊だし、体格も力も、そりゃあ男のほうが強かった。あたしもローザも、その辺のやつらよりはよっぽど強かったけど。


だが狡猾なそいつらに、どんどん戦況は不利になっていった。


やつらは誰がアタマなのか……つまり誰が指揮官なのかを判別できてた。

罠を張る知能もあり、突然の変化に対応しきれずに後手に回らざるを得なかったのもあり、あっという間に文字通り「頭」を刈り取られていった。


指揮官を失った部隊なんて、ただの烏合の衆だ。まとめあげるやつがいて、初めて集団の力を発揮できる。


トカゲのくせに、そのことを理解していやがった。


そうして指揮官クラスをどんどん殺し回っていった結果が、この現状ってわけだ。

冒険者たちはすっかり手を引いてしまって、今じゃ見かけることはめっきりなくなった。

国防軍としていまだ抵抗を続けているが、状況は決して良くはない。


「女だからって弱いと思われてんのかなんだか知らねぇが、絶対に負けねぇ」


たとえ最後の一人になったとしても。


ちらりと視界に映るローザに、心が乱される気がして、さっと目を逸らした。


「本国からの援軍が来るのを待つしかないわよ……私たちみたいな一兵卒にできることなんて、大隊長の命令どおりに動くことだけなんだから」

「肝心の大隊長は何て?」

「『援軍はもうすぐ来るらしいだとさ』だって。本国はいつもの調子よ」

「後方の連中はこの状況を分かってねぇなホントに……」


来る日も来る日も亜竜を追いかけて殺し回るのにも限界がある。

やつらは頭がいい。


もうほとんどの部隊で男が残っていないのは分かってるはずだ。

それでも、たとえあたしやローザ、大隊長みたいに女しか残っていなくても、戦わないと竜は消えることは無い。


「戦わないと国が無くなるんだ。やるしかねぇさ」

「……そうよね。私たちが頑張らないとね」


独り言のようにつぶやいた言葉に、隣にいる戦友が返してくれた何気ない一言。

それが、あたしを勇気付けてくれているのを、こいつは気づいてるんだろうか。


そうして待機していると、大隊長から号令がかかるのだった。


------------------


数日後。

あたしたちの部隊は、ある地域に取り残された部隊の救出任務に就いていた。

あたしたちにもあまり余力があるわけではなかったが、その部隊には今までの戦闘で何度も助けてもらっていたし、何よりも大隊長とその部隊長の仲の良さを知らない者はいなかった。


表立って言い出すわけじゃないが、大隊長は絶対に助け出したいはずだ。


(もどかしいだろうな……真っ先に大隊長が駆けつけたいはずなのに)


敵は弱くない。狡猾で、焦りはこちらにとっては命取りとなる。

それが分かっているからこそ、大隊長は鉄の仮面をかぶり、粛々と作戦を進めていく。


その様子を見ていると、あたしはローザを意識しないわけにはいかなかった。


隣にちゃんといるはずのローザが、急に襲われでもしたら。


考えるだけでも恐ろしかった。


そうして進行していると、断絶していた通信が復旧したようだった。

すぐに取り残された現地部隊と連絡を取る大隊長。


だけど--


「すまない。みんな席を外してほしい」

「え?大隊長、どうして……」

「頼む」

「分かりました。おい、一旦出るぞ」

「……すまない、リーシャ」


何かを決意した様子の大隊長に、戸惑う部下を引き連れて声が聞こえない距離まで移動した。


しばらく経ってあたしたちがいる場所に姿を見せた大隊長を見てあたしたちは整列するが、彼女から出た言葉に、ただ心を痛めるしかなかった。


「……救出作戦は中止。現地拠点は破棄。引き返すぞ」

「……大隊長……」


何があったのかは、誰も何も言わなくても伝わった。


現地部隊は、部隊長を含め全滅。

通信は、その部隊長からの、最期の言葉だったらしい。


どんな言葉を交わしたのだろう。


そんなことは口に出さなくても感じ取れた。


あたしは、無意識にローザの手を握る。

握り返してくれる彼女も、きっと同じ気持ちだっただろう。


どれだけ助けたかっただろう。

たとえ大隊長一人でも、救出に向かっただろう。

でも、人間一人だけで対応できるほど易しい敵ではない。


それが分かっているからこそ、自分が率いる部隊の力で助け出したかっただろう。


大隊長のこぶしが震えていた。

私たちに背を向けて、ただただ、その悲しみと怒りに耐える姿に、心を抉られるようだった。

あたしもローザも、他の兵も。誰も、大隊長にかけるべき言葉が見つからなかった。


ただただ、その命令ことばに、敬礼をし続けた。



------------------



それから基地へと帰還したものの、物資も兵力も、どんどん減るばかりだった。

そこで大隊長は打って出ることにした。


「巣、ですか?」

「あぁ。間違いない。この森の奥にやつらの根城がある。そこを叩く。待っているだけでは状況は変わらん」


危険な作戦だとも思う。

だが、大隊長が言うように、このまま待っていても、事態が好転してくれるわけじゃないことだけは確かだった。


「幸い、もうすぐ冬がやってきます。冷気に弱いやつらの動きが鈍る時期でもあります。可能性はあるかと」


中隊長の言葉に、大隊の意思が固まった。


「大きな作戦となる。危険性は今まで以上だ。だが……本国からの救援を期待できない以上、時間の浪費で部隊が磨耗するのを防ぐには、これしかない。私に……みなの命を預けてほしい」


大隊長の声が震えていた。

心を許しあっていた相手を喪失したその気持ちは、推し量ることができない。

部隊の命を預かる立場として、兵に死を覚悟せよと命じなければならない、その重みと苦しみはどれほどなのだろうか。


ただ、あたしにできることは。


大隊長に、敬礼をすることだけだ。


あたしに続いて、ローザも、あたしたちの部下たちもみんな敬礼をする姿に、大隊長の目が潤んだ気がした。


「…………すまない。ありがとう、みんな」

「へへ、言いっこなしですって!あたしもローザも、とっくのとうに大隊長に命預けてるんですから!」

「そういうことです、大隊長。切り込みは私とリーシャに任せてもらえませんか?」

「リーシャ……ローザ……ありがとう。では二人を中心として先遣部隊を結成、ほかの中隊で援護しろ!二階級特進は断じて許さんぞ!!」

「「「はっ!!」」」


最後の作戦が、始まった。



あたしとローザは背中合わせで互いを守りながら、次々に湧き出てくる亜竜を倒していく。

他の中隊からの援護を受けながら切り進んでいくが、亜竜の数が予想よりもずっと多い。


「確かにこの気温で動きが鈍ってるけど……こいつら、あたしらが攻めてくるって予想してたんじゃないのか」

「その可能性が……あるかも、ね!」


互いに、目の前にいる敵を殲滅しながら前進していく。


しかしあまりにも多い個体数に、どうしても打ち漏らしが出る。

後ろに抜けられてしまった個体は後続部隊が処理するはずだが、あまりに多いと大隊長が控える本隊に届いてしまう。


まるで自分の命さえ武器にしているように見える亜竜の群れに、指揮官を刈り取ろうとする意思を見てしまう。


やっぱり大隊長狙いだな、くそ。

ここで後ろに抜けられると本隊が全滅しちまう。


「くそ!堪えどころだな……ローザ!耐えろよ!」

「リーシャこそ!!」


しかし、いくつかの中隊に守られていたあたしたち先遣部隊も、圧倒的な数の亜竜の群れに、徐々に命を落としていく。


「く…………だめだ目を閉じるな!死ぬぞ!だめだ!」

「リーシャ…………もう彼女は…………」

「くそ!!」


また一人、また一人と、竜に命を刈り取られていく。

まるで「一匹一殺」という意思を吹き込まれているかのように、自らを省みないような特攻を繰り返す亜竜の群れは、一層異様だった。


散りゆく戦友たちに敬礼を送り、気がつくと周囲にはあたしとローザだけしかいなくなっていた。


それでもようやく攻撃の手が止んだころ、背中からローザの声がした。


「ねぇリーシャ」

「ん?どした?怪我でもしたのか?」


ローザのほうに向き直り確認をしようとしたが、彼女がクスクス笑う声が聞こえた。


「ふふ……違うわよ。ただね、思ったのよ」

「ふぅ、なんだよ……あせって損したぜ。どうしたんだ?」


周囲を警戒して、もう一度背を預ける姿勢で、後ろにいるローザに問う。


「こうしてあなたに背を預けて戦うなんて、なんだかいいなって思って。ね」

「んん?なんだよいまさら。改まってどうしたんだ?」

「だって。最初に軍の訓練で一緒になったときは酷かったじゃない?覚えてる?」


「あー……たしかにそうだったな」


初めてローザと一緒になったとき。

ずいぶんとお互いに衝突していた。

あたしもローザも性格がまったく違うし、とにかくお互いに引くという事を知らなかったから、事あるごとに喧嘩していた。


「不思議だよな。あの頃のあたしは、まさかローザに背中を預ける日が来るなんて思わなかったぜ」

「ふふ、それは私も同じ。なんでこんながさつで適当な人が私のペアなのかって何度も大隊長に具申してたわ」

「おい、マジかそれ?そんなのあたし知らなかったぞ!?」

「そのたびに大隊長に慰められてたものよ」

「ひでーな隊長も!あたしのこともフォローしてくれよ」


まったく。まぁあたしも若かった、ってことだ。その自覚はあるから反論はあまり強くはできない。


「でも、あなたは私の命を助けてくれたわ。初めての任務で。あれだけ私はあなたを嫌っていたのに」

「魔物の目の前で固まってる奴を助けないわけにいかねーだろ。それにあたしたちはいがみ合っててもバディだった。当然のことをしたんだよ」


大隊長に命じられた、初めての任務。

ただの哨戒任務だったけど、偶然、出没するはずのない大型の魔物に襲われた。


油断していた。

ただの哨戒任務だし、そんなに大隊長が言うほどの危険なんてあるわけない。


ド新人だったあたしもローザもそう思ってた。

しぶしぶ上官に従いながら任務についていたけど、気が緩んだ瞬間、大きな影が現れた。


巨大な熊型の魔物。

手負いで、子を連れていたその魔物のテリトリーに、ローザが踏み込んでしまっていた。


眼前に突如現れた血走った目の大きな熊。

あまりに突然訪れた命の危機に、ローザはなす術なくただ立ち尽くしていた。


それでも、ローザに一番近い位置にいたあたしは、硬直が解けてすぐにローザを庇うように、突き飛ばすような形で覆いかぶさった。


その後は、あたしの後ろで警戒に当たっていた中隊長が、迅速に対応してくれて、事なきを得た。


「……あたしが動けたのは、たまたまだった。でもあたしがあのとき動けなかったら、お前が死んじまうことだけは分かった。油断してたあたしにも責任があった。だからなんとしてもお前を助けなくちゃって思ったんだ」


ローザが背中越しにもたれかかってくる。

あたしも同じようにもたれかかって、こつん、と後頭部を彼女の頭に預けた。


「あの後は連鎖的にほかの魔物に襲われて、あなたにきちんと感謝の気持ちを伝えることができないままだったわ……ありがとう、リーシャ。改めてお礼と感謝の言葉を伝えさせて。あなたが助けてくれたから、私はここまでやってこれた」

「いいって、そんなの。ド新人がやらかしたミス、ってことで、帰還したあとにこっぴどく中隊長にも大隊長にも絞られたじゃねぇか。礼なんか言われると恥ずかしいって」

「ふふ、あなたらしいわね」

「はは。でもまぁ、それからだったよな。ローザがしおらしくなったのは。ずいぶん可愛くなっちまったなぁって思ったぜ」

「可愛いのは元からでしょ?」

「ははっ、その自信はほんとにどこから来るんだろうな。あたしにも分けてくれよ」

「……まさかとは思うけどリーシャ、自分が美人だって気づいてないの?」

「あぁ?冗談だろ、あたしなんかどこが美人なんだか。お前のほうがよっぽど綺麗だと思うぜ」

「綺麗よ。誰がどう思おうと。どこまでも気高くあろうとするあなたは、眩しいほどに美しいもの。私には、あなたがずっと支えだったんだから」

「よせよ、照れちまう……でも、ありがとうローザ。あたしも、お前が支えだった。お前がバディで……よかったよ」

「……私もよリーシャ」


きっと面と向かっていたら、こんなことは言えなかっただろう。

いつまで持つか分からない物資に、途絶えたままの本国からの通信。

孤立したあたしらの部隊のみんなが、きっと覚悟を決めてたんだと思う。

だからこそ大隊長はこの作戦の立案したんだろうし、あたしたちもそれに乗っかったんだ。


もうこんな休息をとることだって、これが最後かもしれない。

そう思うと、自分の心を曝け出すのも、悪くないと思った。


「なぁローザ。あたし……」


いつからか感じていた気持ちがあった。


入隊以来、ずっとバディを組んでいて、どんな戦場でもあたしたちは一緒だった。

戦い方の癖も、フォローの仕方も、身体と頭で覚えてた。


でも亜竜との戦争が始まってからは、もうこんな感情なんて伝える場合じゃないと思っていた。

優先すべきは命令で、あたし個人の気持ちなんかより、1匹でも多くの亜竜を殺すことだった。


でも、ローザになら伝えたい。

どう思われてもいいから、あたしがローザをどう想っているのかを伝えたい。


彼女に背を預けて、休息の合間にこうしているこの瞬間が、あたしとローザの「今」なんだ。


ぎゅっとこぶしを握りこみ、ローザのほうに向き直ろうとした時だった。


「……っ!」

「んん……」


振り向きざまに両手でやさしく包まれながら、あたしはローザの柔らかな唇を感じていた。



ほんの刹那だったと思う。


でも、あたしには、口づけを交し合っているその時間が、何十秒にも、何分にも思えた。


驚きと嬉しさ、いろんな感情が交差して言葉にならない。


永遠に、この時間が続けばいいと思った。


でも、お互いの唇が離れた次の瞬間。


「リーシャ。生きて。大好きだったよ」


ドン、と彼女に似つかわしくないほどの大きな力で突き倒された。



------------------



何事かと思って身体を起こすと、信じたくない光景が広がっていた。


冗談にしか思えなかった。


さっきまで、ほんのさっきまで、ローザはそこにいた。

ここで、私の傍で!口づけを交わしていたんだ!


やっと、やっと気持ちが伝えられると思っていたのに……


「…………嘘。うそ、だよな?おい、ローザ?…………ローザ!!!!!」


ローザの上半身が無くなっていた。

気配を消してあたしたちのすぐ近くに潜んでいた亜竜に、喰われて無くなってしまっていた。


挑発するように、満足げな瞳を光らせて目の前で大きな口を開いている。

ぎらぎらと血の滴るその歯には、まだが、残っていた。


「……う、う、うわぁーーーーーー!!!!!ローザ!!!!ローザ!!!!!!!」


油断。

またいつかのように、あたしは油断していた。

気を抜いちゃいけなかった。

たとえローザとの時間だったとしても。


「くそぅ!ちくしょう!!あたしのばか!!!油断すべきじゃなかった!!!警戒しつづけなくちゃいけなかった!!!なのに!!!あーーーーーー!!!!」


ただ一人、守れたらいいと思っていた。

彼女さえ守れるなら、その傍でなら、いつ死んでもよかった。


でも!

でも、それは決してこんな形じゃなかった!!!


(リーシャ。生きて。大好きだったよ)


彼女の言葉が、聞こえた気がした。


自分の命を犠牲にして、あたしよりもずっと早く危険を察知していたローザ。

あたしなんかに構わず、一人で逃げてくれればよかったのに。


(--ううん。あたしのために残ってくれたんだ。あたしを生かすために)


手に握る剣に力がこもる。


やっと素直になれた。あたしの気持ちを伝えるべき相手だと思っていた。

そう遠くないであろう最期の瞬間を、彼女の隣で迎えられるなら、それが一番の幸せだと思えていた。


「ローザを…………ローザをよくも…………よくも!!!!」


口を大きく開けてブレス攻撃の態勢に入っている、目の前にいる亜竜。


生きろとローザは言った。


でも。


「…………お前を殺した奴を見逃せるほど!!あたしは!!お人好しじゃねーんだ!!!!」


目の前が赤く染まる。

それは、相手の血か、それともあたしの血なのか。


どうでもよかった。

目の前にいる、こいつさえ殺せれば。


可哀想に、上半身を喰われたままのローザを、はやく眠らせてやりたかった。


獣のように。

魔物のように。

竜のように。


あたしの怒りは目の前を真っ赤に染め上げ、何メートルもある亜竜を、形が無くなるまで粉々にしていた。


ローザのいない世界。

あの声が、姿が、笑顔が、もう聞こえもしないし、見えもしない世界。


この怒りは、何よりも


同じく大好きだった彼女を、殺してしまった自分自身に対するものだった。


赤く染まった世界が暗転するまで


あたしは、後方部隊が援軍に来たことにも気づかず、剣を振るい続けていた。




「リーシャ。気がついたか」

「……大、隊長……ぐっ!」

「まだ安静にしていろ。生きているのが奇跡に近いんだ……間に合って、本当によかった」


鎮痛剤を大量に打たれているのか、意識が定まらない。

声で大隊長だと判別できるものの、自分がどういう状態なのか全くわからなかった。


「……今は眠れ。お前は後送だ……ローザとともに、な」

「だい、たい、ちょう…………」


強い眠気に襲われ、よく聞き取れないまま意識を失った。


私は生き残ったのだろうか。

あの竜は殺せたのだろうか。ローザの仇は取れたのだろうか。


「ロー、ザ……」


深く沈む意識の中で、ローザがやさしく笑いかけてくれていた。



------------------



竜人戦争。


この戦争のことを、みなそう呼んでいる。


突然変異種の台頭に、この国だけでなく世界中に火種が飛ぶ、まさに世界大戦の様相となっている。

大きく情勢が変えられてしまったあたしたち人類は、追い詰められた鼠のように、急速に武具や兵器の開発に力を注いだ。


結果、兵器の開発が急速に進み、いまやあたしやローザの時代のように剣で戦うのではなく、銃や大砲といった銃火器が現れていた。


「…………これがあのときあったら、ローザを死なせずに済んだのかな」


腰のホルスターにある、一丁の拳銃。

あたしが後送されて、退院してしばらくしてから正式に配備された代物だ。

入院中に、試作品として軍の技術局の連中から渡された。


それまでの戦術を大きく塗り替え、これひとつで大きく戦況が左右されることもあった。


それほど、あたしが後送された数か月間での変化は目まぐるしいものだった。




あの戦場を、思い出さない日はない。


もっとローザと話していたかった。

もっとローザと戦っていたかった。

もっとローザを感じていたかった。


もっとローザに、この気持ちを伝えたかった。

愛していると、ちゃんと言いたかった。


ローザと一緒にいて、彼女とバディとして戦い抜いたからこそ、あたしには「彼女を失いたくない」という気持ちが芽生えた。

だからこそ、彼女と戦場を駆け巡るときこそが、生きているという証でもあった。


あのまま死ねれば。

ローザを想ったまま、彼女の遺体の傍で戦場で死ねれば。


そう思わなかった日は、ない。


彼女の命を犠牲にして生き残ったあたしは、片腕と両脚を失ってこうして生きていた。

でも、片腕しか残されていないこの身体への嘆きよりも、あたしには彼女を救えなかった無力感と、自分への決して消えることの無い怒りしか残されていなかった。


もうローザがこの世にいないのだと痛感させられることは、地獄のような苦しみだった。




あの後、後送され軍病院に入院している間、ようやく大隊長の部隊に援軍が合流したことを知った。

壊滅するかと思われたが、なんとかそれによって持ち直すことができているようだ。


でも、ローザを死なせてしまったあたしには、驚くほどどうでもよく感じてしまった。


もちろん、大隊長には感謝しているし、大隊長自身も報われるべきだと思っている。

でも、それ以上に、あたしにはもうローザがいない事実のほうが、辛かった。


もし、その援軍がもう少し早ければ、ローザが死ぬことはなかったのかもしれない。

大隊長の友人だったあの部隊も、そして部隊長も、みんな助かったのかもしれない。



でも、後送されて初めて知ったこともあった。


--それは、戦える人が、もう残されていないという事実。


男という種を優先的に攻撃し、人間という種の弱体化を最初から狙っていた亜竜は、自分たちの命の重みさえも武器に変えて、ひたすら人間を殺し続けている。


結果、あたしよりも小さな、ほんの十歳かそこらの女の子や、おばあさんでさえ軍に徴兵されて、武器を持たされて訓練させられているのを間近で見ることとなった。


泣いても、誰も助けてくれない。

叫んでも、竜の攻撃が止むわけじゃない。


みんなが、声にできない叫びを上げていた。


軍を、国を憎むことができれば、楽だったのかもしれない。


あたしも、誰にも言えず、ただただ日々が過ぎていく毎日に、空しさばかりが募っていった。


そんな時に、ローザの葬儀の話を聞いたのだった。



軍の葬儀でローザが天に送られる前に、あたしは頼み込んで、一人で彼女に会いに行った。

最初は渋い顔をされて断られたけれど、諦めるわけにはいかなかった。


最後に、あたしはどうしても、どうしても彼女に会いたかった。

彼女がどれほど惨く殺されていても、あたしはローザに会って、言わなくちゃいけないことがあった。


あたしの様子は、きっとおかしかったんだと思う。

そこまで言うなら、と、彼女の遺体が安置されている場所に、案内された。


車椅子を押してくれていた軍の女性係官から釘を刺された。


「……くれぐれも、早まったりしないでくださいね」

「……はい」

「では私は外に控えています」


安置所の扉が閉まり、あたしはローザと二人きりになれた。


まだ釘を打ち込まれる前の棺の中に眠った彼女は、綺麗に血をふき取られていた。


でも身体は、硬直して冷たくなってしまっていて。

痛々しい傷痕を見ると、心を食い破られるように痛んだ。


「ローザ……ローザ……ごめん……ごめんな……助けられなくて!死なせてしまって!あたし、お前を好きだった。愛してた!それを、それをお前に伝えたかった!お前が生きてるうちに、言いたかった!!なのに……ローザ!!うわぁぁぁぁぁぁ……」


車椅子から転げ落ちるように彼女に抱き着いて、ただ、泣き続けた。


懺悔、後悔。


物言わぬ骸となった彼女。

上半身は亜竜に喰いちぎられ、無残な姿にされてしまった。


表情さえ見ることができないその無残な身体に、あたしはただただ抱き着いて、許しを乞うた。果たせなかった夢を伝えた。


生きてるうちに伝えたかった。

愛していると、言いたかった。

その言葉に喜びの笑顔を浮かべる彼女を見ていたかった。


あたしのあまりにもの取り乱し様に、係官に止められた。


「リーシャさん。もう、行きましょう。彼女を、眠らせてあげましょう」

「い、いやだ!!あたしはここにいる!離れたくない!!」

「だめなんですリーシャさん!あなたは生きてる!!ここは死者を安らかに安置し、天に召されるまでお守りする場所です!生者であるあなたが、ここに囚われてはいけないんです!!」

「で、でも!!あたしのせいでローザは死んだんだ!!言いたいことがもっとあった!!一緒にもっといたかった!!!死ぬべきじゃなかったんだ!!」

「だからと言って、あなたが死者に囚われていてなんになりますか!ローザさんが望みましたか!?ローザさんが、あなたのほうが死ぬべきだったとでも言ったのですか!!」

「違う!違うけど……」

「ならあなたは生きなければいけないんです!ローザさんの分まで!!死者の分まで、生きていかなければいけないんです!!ローザさんは!あなたに託したのではないのですか!!リーシャさん!!!」

「うぅ……うあぁ……ああああああああ!!!!」


背中から、覆いかぶさるようにその人に抱きしめられる。

まるで、ローザにしてもらったときのような温かさだった。


「リーシャさん。前を向かなければ。ローザさんを、見送ってあげましょう?安らかに眠れるように。眠らせてあげましょう」

「い、いやだ!ローザ!!ローザ!!行かないで!!!あたしを置いていかないで!!!ローザぁ!!!」


その人も、泣いていた。

泣きながら、あたしをリーシャの遺体から引き離した。

車椅子に無理やり乗せられ、抵抗する私を羽交い絞めにして、転げ落ちたあたしをまた車いすに乗せて……。


何時間も泣き続け、暴れ続けて。

放心したように車椅子で運ばれるあたしを、その人は後ろからやさしく見てくれていた。


「リーシャさん。これ」

「え?」


後ろから伸ばされた手には、ネックレスがあった。

まさか、これは……


「ローザさんの遺品です。さきほど、確認をしていた時に見つかりました。あなたが持っているべきでしょう」

「……ローザ……ローザぁ……」


また涙が溢れ出る。


見覚えがあるネックレス。

ローザが身に着けていたアクセサリーだった。

彼女のお気に入りで、いつも着けていたと思う。


ローザが、まるでここに戻ってきてくれたようだった。


「ありがとう……ありがとう、ございます」

「えぇ。行きましょう」


その後、執り行われた彼女の葬儀は、落ち着いて参加することができた。

あたしの車椅子は、安置所の係官だった彼女が押してくれて……心配そうに、ずっと見てくれていたようだった。


葬儀が終わり、ローザを見送ることができたあたしは、係官である彼女と別れる際に、一言お礼を言った。

すると、彼女は車椅子の前に回り込んでくれて、あたしをぎゅっと抱きしめてくれた。


思い出すように、二人でしばらくの間、泣いた。


そして、それで終わった。

葬儀後は何もする気になれず、病院でのリハビリにも行かずに、ただただ、見通しのいい場所で彼女を偲んだ。


しばらく、そういった時間が必要だったんだと思う。


そして、思いついたように車椅子に乗り、ローザの遺品としてもらったネックレスを身に付けて、ある場所へと急いだ。


あたしに、やることができた気がした。


------------------


「よかったの、リーシャさん」

「何言ってんだ。あたしがこうしたいんだって言っただろ?」

「でも士官学校の仕事を蹴ったって。いい仕事なのに……」

「いいんだ。どうせ足もなけりゃ腕も一本しか残ってねぇ。士官学校で教えることなんてあたしには向いてねぇさ」


あたしの車椅子を押している、遺体安置所の女性係官がそう言うと、あたしはそれを否定する。


「それにさ。あたしはあの時、ローザの死に囚われていた時に、あんたに助けられたんだ。……あの時、あたしを助けてくれて、ありがとう。生きる意味を教えてくれて、ありがとう」

「いいのよ。死という突然の別れは、いつも人を孤独にするものだから。リーシャさんが前を向いていられるなら、それでいいわ」


そう。

あたしは士官学校の教職を蹴って、軍の遺体安置所で働くようになった。


この人は、あんなに必死に、あたしを助けてくれた。

恩返しのようなものかもしれない。


でもそれ以上に、あたしと同じ苦しみを抱えた人を、助けてやりたかった。



首元のネックレスに手をやる。


ローザはもう、いない。


でも、彼女のことに思いを馳せると、彼女はそこにいる気がした。


ネックレスを手に取り、そっと唇を押し付けると、その瞬間に、彼女と繋がることができた気がした。


「見ててくれローザ。あたしは、あたしなりに、助けていくよ」


きらりと光るネックレスが、輝いていた。


まるで、ローザが微笑んでくれているみたいだった。


Fin

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