第16話_7月5日苦しむ者(田中一成1)

 涼介がスカウトマン石田と会う少し前。



 「おい、これで4人分の弁当を買ってこい。5分以内な」と言われ10円渡された。


 「奈々が喉乾いたってさ。さっさとジュース買ってこい。あ、果汁100%な」とあごで使われた。


 「なんか暇だな。おい、殴らせろ」と立ち上がり、近づいてくる。



 田中一成は飛び起きた。

 枕元に置いてあるスマホを見る。7月5日午前5時32分。


 ……夢か。


 最悪な夢だ。

 高校を卒業して約4か月。いまだ高校生の頃を思い出す。当時のことが脳裏に焼き付いて離れない。

 4か月前の大学受験。志望校どころか、滑り止めとして受けた大学も不合格となった。見事なまでの大学受験失敗という結果となり、今は、予備校を通う日々を送っている。


 まだ起きるには早い時間だが、目覚ましの時間まで30分を切っている。寝るのはあきらめて、そのままゆっくりと体を起こした。最悪の夢で目が覚めて正直気分が悪い。汗でパジャマが冷たい。

 田中は部屋の明かりをつけ、パジャマを脱いだ。机の上にあるくしゃくしゃにした模試の結果が視界に入った。

 パジャマを抱えたまま、それをゆっくりと広げた。昨夜見たものを再び見直したからといって、結果が好転していることは絶対ない。だが、そう思いたくなるほど、ひどいものであった。

 予備校に入り、大学受験失敗を払拭するためにも必死で勉強を続けた。予備校、自主勉、予備校、自主勉、予備校、自主勉……を繰り返した。


 その結果がこれだ。

 高校の時に受けた模試に比べて、明らかに結果が悪かった。



 どうして、こんなことになるんだ。

 ……くそ、面白くない。


 田中は、脱いだパジャマをベッドにたたきつけた。




 この日の予備校の授業を終え、帰宅する頃には日が沈みかけていた。田中は、いつもと同じように予備校近くの商店街を抜けて家へ向かっていた。ただ、どこかいつもと違っている気がした。視線を感じる。


 「あら、いい目をしているわね」


 自分のことを言われた気がした。田中は声の方に視線を向けると、まっすぐ伸びた茶髪、タイトな紺色のスーツ姿の女性が微笑んでいた。

 田中は固まった。視線の先の女性と完全に目があった。間違いなく自分の方を見ていた。目線が外せない。

 「キミのことだよ」と笑みを浮かべた。

 年齢は不詳だが、間違いなく年上。大人の女性、大人の色気のようなものを感じる。

 田中にとって散々な高校時代、恋人どころか、同級生の女子と話す機会もなく、女性に対する免疫が皆無だった。どうしたらいいのかわからなかった。体が動かなかった。

 女性が近づいてくる。


 ……これが噂のナンパってやつか?


 田中は首を振る。自分でもわかっている。自分の見た目なんて大したことない。モテるような男じゃない。ナンパされるような男でもない。



 「うち、お金ないですよ」

 振り絞って出た言葉がこれだった。


 ああ、最悪だ。これだから、オレはダメなんだ。



 田中は自分で発した言葉に大いに後悔し、心の中で頭を抱え崩れ落ちた。

 だが、女性の反応は田中の予想と反して「キミ、面白いね」と笑った。見下されるのでもない。鼻で笑われるのでもない。無視されるのでもない。大人っぽいその顔は優しく楽しそうに笑ってくれた。

田中の鼓動が早くなっていった。

 「こう見えても、私、そこそこお金持ちなの。お金なんて興味ないわ。興味があるのはキミ」

 そう言いながら、田中の両頬を両手で優しく包む。


 顔が近い。

 女性とこんなに近づいたことがない田中は慌てて、顔を引き両手から逃れた。

 さらに鼓動が高鳴る。頬が熱い。

 そんな様子を見て、女性は「あら、かわいい」と笑った。


 本当なら、かわいいと言われて喜ぶなんて、男児たる者、恥ずべきことなのかもしれない。

 だが、田中の中で何かが簡単に崩壊した。

 熱くなった頬が全身に広がる。その女性の視線から逃れられなかった。



 「ねえ、キミ。お姉さんと少し話をしない?おごるから」と言い、商店街にある少し古ぼけた雰囲気のカフェを指さした。

 「い……いいですよ」

 「ありがとう。お姉さん、キミのことが知りたくなっちゃった」と笑顔を見せた。



 カフェの席に着き、田中は苦手なコーヒーを頼んだが、女性は「ケーキが食べたいから付き合って」とケーキセットを2つ頼んだ。

 女性はコーヒーに口をつけたあと「そういえば、まだ、自己紹介していなかったわね」とカップを置いて、かばんから名刺を取り出した。

 田中はその名刺を受け取った。


 『株式会社神楽カンパニー 鳴海玲奈』


 「知ってる?」

 「ごめんなさい。知らないです」と田中は申し訳なさそうに言った。

 「だよねぇ。私ももっとメジャーな会社に入ってたらよかったって後悔しているわ」と鳴海という女性は田中の目をじっと見つめがら笑みを浮かべた。

 鳴海は「今度はキミの番。キミの名前は?」と言った。

 「田中……田中一成です」

 「田中君ね。よろしくね」と鳴海は言いながら、フォークでケーキを少し切り分け、ゆっくりと口に入れる。

 田中はそのフォークの動きやケーキの行方までも、目が離せなかった。

 「ねえ、田中君。やっぱりキミのことが気になるわ。キミのことを教えてくれない?」

 田中は、鳴海となんでもいいからしゃべりたいという想いがあふれだしていた。鳴海から目が離せなくなっていた。この時間がずっと続いて欲しいと願った。この瞬間を壊したくなかった。



 「……ええ、いいですよ」



 聞いてくれている鳴海の相槌に心がほどけていくような感じがした。時々返事をする鳴海の声が心地よかった。

 田中は、思いついたまま、高校受験のため猛勉強した中学時代。念願叶って志望校である進学校へと入学したが、不良3人とその彼女1人に目をつけられ、いじめられたこと。悲惨だったこと。大学受験に失敗したこと。今、予備校で勉強しているが成績が下がっていること。そして、人生が面白くないこと。

 話しているうちに、田中の視界がゆがんできた。悔しくて、情けなくて。決壊したように涙があふれてきた。



 鳴海はそっと田中の席の横へ移動してきた。そして、優しく頭に手を回し、田中の顔を胸元で優しく抱きしめた。

 田中は柔らかく、温かい鳴海の中で身をゆだねた。


 優しい口調で鳴海は言う。

 「悔しいよね。大学受験のことも、模試のことも、人生が面白くないのも、絶対、そのいじめっ子が原因だよね。田中君は何ひとつ悪くないわ」

 そう言いながら、鳴海は田中の頭を撫でた。



 ……そうだ、俺は悪くない。

 ……全部、アイツ等のせいだ。



 止まらない涙と一緒に、今なお夢にまで出てくるあいつらの笑っている顔が蘇ってきた。


 鳴海が笑みを浮かべる。

 「ねえ、力をあげようか?私、キミのような子を放っておけないから」




<登場人物>


■崎山高校

・伊藤涼介(ゴーレム):高校1年生。久原道場の元門下生

・古賀星太:高校1年生。生徒会所属。涼介の幼馴染。久原道場門下生

・高山明:高校1年生。同級生。思い出作りに燃える。

・長谷川蒼梧:高校1年生。同級生。美形。


・桜井千沙:高校1年生。同級生

・笹倉亜美:高校1年生。同級生

・小森玲奈:高校1年生

・池下美咲:高校1年生


・木下舞(デコピン):高校3年生。生徒会会長。学校内の人気絶大。

・世良数馬:高校3年生。生徒会副会長

・久原貴斗:高校3年生。生徒会議長。武闘派。久原道場師範代。

・上田琴音:高校3年生。生徒会総務

・美馬:生徒会2年生。生徒会会計

・和久井乃亜:生徒会2年生。生徒会監査



■株式会社神楽カンパニー

・神楽重吉:神楽カンパニー代表取締役会長

・白い仮面の男:スカウトマン・プロ―トス

・鳴海玲奈:社員

・石田:スカウトマン・ヘクトス

・北上慶次:スカウトマン・エナトス、ラスボス


・田中一成:予備校生


■不明

・水野:日本刀を持つ女



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