第39話 失楽園


 話の区切り目を見計らったかのように、誰かが注文した唐揚げの盛り合わせプレートが到着する。四人はそれぞれドリンクのおかわりを注文し、酒盛りは二回戦に突入した。

「そういや、お前らは今回ハムに異動して初の手柄だろ。もっと喜べよ、今日は後輩二人の功績を称える会でもあるんだからな」

 ビールジョッキを高々と持ち上げ、落合はすっかり陽気モードだ。

「内海は森野殺しでほぼ唯一の物証を見つけたんだろう。しかもそれが、紙ナプキンでの暗号のやり取りときたもんだ」

「一色乙葉と森野一裕の繋がりが見つかったことも大きいですね。まさか、二人の密会場所がreposだったとは思いもしませんでした」

 落合と田端の称賛を、内海巡査長はクールにあしらう。

「あれは、新宮部長が一色乙葉をしっかりとマークしていたお陰です。森野一裕が殺される前日に彼女がreposを訪れていたのも、新宮部長の録画記録を見て判ったことですから」

「けど、そこから二人の繋がりを見つけ出したのは間違いなく内海の手柄だ」

 時也はすかさず援護に回ると、

「ボスから聞いたが、reposの録画記録を何度も見返していたんだろ? 紙ナプキンの受け渡しに気付いたのも内海だけだったと、ボスも賞賛していたよ。それに、あの不可解な暗号をあっさり解読したことにも驚いていた」

「それは……似たような暗号が使われていた小説を、偶然読んだことがあっただけです。その小説で使われていたのはいろは歌ではありませんでしたが。おそらく、彼らも同じものを読んだことがあったのでしょうね」

「推理小説も捨てたもんじゃないな。俺も後学のために何か読んでみようかな」

 ぽつりと呟く落合に、「ページを開いて集中力が五分も持たないと豪語していたのはどこのどなたでしたっけ」と田端が突っ込む。ファイル十冊分の膨大な捜査資料は無我夢中で読み漁るわりに、小説の類になると途端に飽きっぽくなるらしい。

「手柄といえば、私よりも新宮部長ですよ。なんといっても、主犯格の大村を落としたんですから」

 あくまでも先輩を立てようとする内海に、時也はつい失笑する。

「けど、もう一人を取り逃がしたからな……不意の爆発に気を取られたとはいえ、不覚だった。速水課長からも『ワッパを掛けたところまでは良かったんだがな』と小言を食らったよ」

「無理もないだろ。それを見越して大村が爆破物を仕掛けていたのだとすれば、大したものだが」

 二杯目のビールに口をつける落合。田端警部補はつまみの枝豆を几帳面な手つきで剥きながら、

「新宮部長を襲った凶器のナイフですが、鑑定は終わっているのですか」

「ええ。ですが犯人に繋がる手がかりは残っていませんでした。指紋や皮膚片などは一切検出されず、ナイフ自体も刃渡り十センチのホールディングナイフで量販されているもの。購入ルートから割り出すのも困難……ですが、犯人の見当はついています」

「誰だよ」「誰ですか」

 三人が異口同音に訊ねる。時也はジョッキに半分ほど残ったビールを一気に飲み干すと、

「三好友希」

 真っ先に反応を示したのは落合だった。眉を八の字に寄せ、テーブル越しにぐいと身を乗り出す。

「そういや、探偵事務所荒らしも三好の仕業らしいな。所轄の捜査はどうなってんだよ。たしか矢崎茂夫の自爆事件と同じ香賀町署だろ」

「進捗は芳しくないようですね。三好が住んでいたアパートからも、ノート以外に目ぼしいものは見つかっていませんし」

「三好が図書館に通っていたという話もありましたよね」

 内海の問いにも、小さなため息とともに首を横に振る。

「貸出カードに記載された図書館で確認を取ったが、利用者の貸出記録は該当図書を返却処理した時点でデータベースから自動削除されるらしい。三好が通っていた図書館だけじゃなく、全国でそのシステムが導入されているんだと。東海林警部が館長を説得して館内の防犯カメラ映像だけ提供してもらったが、予想通り三好友希が図書館利用者であることが判っただけで目新しい収穫は得られなかった」

「図書館ってそんなシステムになっているんですね。知りませんでした」

 意外そうに目を丸くする内海の隣から、パーマ男がぼんじりに手を伸ばす。

「三好を廃病院に呼び出したのは、やはり大村なのか」

「本人がそのように供述しています」

「大村といえば、お前はどうしてあの廃病院に大村を呼び出したんだよ。結果としてはワッパを掛けられたものの、確実に捕まえるならあいつの自宅や会社で話を聞くほうがよかったんじゃ」

「あれは、ある種の心理的な揺さぶりですよ。大村は、自分が美濃佐吉の息子であることに内心誇りを持っていた。彼は自分を捨てたはずの父親を、心の底では尊敬していたんです。だからこそ、美濃病院で四年もの間、薬剤師として勤務を続けた。大村と同時期に美濃病院で働いていた看護師の女性を訊ねたのですが、大村は四年間一日たりとも休まず勤め上げたようです。彼にとって、あの廃病院は父親との思い出の場所だった」

「なるほどな。だからあの廃墟を聴取の場に選ぶことで、心理的に追い詰めてボロを出させるって寸法か」

「追い詰めるは人聞きが悪いですよ。あくまでホシ確保のための作戦です」

「そういえば新宮部長。大村との待ち合わせに指定した、一階北棟の循環器科室。どうしてあそこに大村がノートを隠していたと判ったのですか」

 五日前に内海班の捜査員が美濃病院を捜索していた際、時也は「一階北棟の循環器科室に、大村が事件に関する物証を隠しているはずだ」と指示を出した。その言葉通り、循環器科室の診察用ベッドの下から、美濃佐吉が所有していたと思われる名前入りノートが発見されたのだ。

「美濃佐吉は心臓外科の名医だった。心臓に関わる病気を扱うのは、心臓外科のほかに循環器科もある。大村が美濃佐吉に並々ならぬ尊敬の念を抱いていたのなら、父親所縁の場所に隠すだろうと考えただけだ。

 俺が最初に美濃病院を訪れた日、大村はノートを回収する機会を失ったんだ。あのとき、俺は一階フロアを巡回していて大村は二階にいた。おそらく大村は、階下にいた俺の存在に気付いていただろう。あのとき俺は、まさか自分以外の人間が病院に潜んでいるとは思わなかったし、足音にも警戒していなかった。大村は侵入者を、肝試しに来たもの好きと考えたのかもしれないな。一刻も早く病院を立ち去らせるため、わざと空き缶を蹴って音を立てた。彼の予想通りに俺は病院を抜け出したわけだが、大村は大村で焦っていたのさ」

「何故ですか」

「侵入者が警察の人間かもしれないと、考え直したからだ。もし病院を抜け出して、外で警察が待ち構えていたら。そこで身体検査をされ、ノートの存在が露見することは大村にとって不都合だった。だから安易にノートを持ち出せなかったんだ。彼をあの場所に呼び出したのは、そうした焦りの気持ちを利用したというのもある」

「大村に関して、まだ残っている疑問があります」

 田端警部補はモスコミュールの残りを飲み干すと、

「二人が最初に小林誠和不動産を訪ねたとき、大村は西冨士哉の存在を匂わせていました。仲間の存在をわざわざ仄めかすとは、随分大胆といいますか」

 二人、とは時也と内海のことだ。内海が「小林誠和を出入りする怪しい人物はいないか」と質したとき、大村は刺青Yの男について証言していた。Yの男とは、言うまでもなく西冨士哉のことだ。

「あれは、西冨士哉が小林誠和を実際に出入りしていた事実があったからです。たとえ大村が西の存在を否定しても、ほかの社員が目撃している可能性がある。そうなれば、警察は自分に疑いの目を向けるかもしれないと危惧したようです」

「西冨士哉が小林誠和を訪ねていたとなると、蟹座の女も同行していたのでは?」

「それは大村が否定しています。小林誠和の玄関口に設置された防犯カメラにも、西らしき男は映っていましたが蟹座の女の姿はどこにもありませんでした」

 友枝の遺体遺棄現場と森野の殺害現場に残っていたブーツのゲソ痕も、西冨士哉のものである可能性が高いと捜査一課は結論付けている。また、森野の遺体を縛っていたコンストリクターノットの結び目について大村に問い詰めると、西が以前に道路工事現場で働いていたことが明らかになった。さらに「友枝と森野殺しを西に指示した」という大村の供述が決定打となり、一課は西冨士哉を殺人の被疑者として全国に指名手配した。一方で「カレン」という偽名を使っている赤髪の女に関しては、本名をはじめとする素性が一切不明であることから指名手配はできず、公安一課が引き続き行方を追う形で話がまとまりつつあるのだった。



「結局、ゾディアック団の正体は何だったんだろうな」

 グラスに残った僅かなビールを飲み干して、落合はふと呟く。

「奴らがただの殺人者集団ならば、捜査の主導権は刑事部に渡るんじゃないかとも思っていたが……新宮と大村の話から察するに、大まかな枠組みとしてはテロ組織ってことになるのか?」

「暴力でもって日本の現状を変えようとする。その意味ではたしかにテロの要素も備えていますね。ですが、かつての極左暴力集団の系統に属しているようでもないですし。かといって、右翼思想を有しているかと言えばそれもまた違う気がします」

 極左暴力集団の流れを汲む政治団体や思想団体の取り締まりは、公安三課が担っている。一方で、街頭宣伝車を用いた政治活動やデモ活動などを行う右翼団体を管轄するのは公安二課だ。そして、時也たちが所属する公安一課はそのいずれにも属さない〈新組織〉関連を追っている。

 だが、県警の中には「二課や三課の管轄でない公安事案はすべて一課に回せば良い」と認識している公安捜査員も少なくない。そもそも新組織の定義が「右翼にも左翼にもカルトにも該当しない未知の犯罪集団」という曖昧な定義なのだ。見方によっては一課が公安の中の便利屋と捉えられても仕方がない。

「じゃあ、やっぱり新組織認定されるってことか? 何だか、左翼と右翼以外の事案を全部押し付けられている気がしないでもないが。結局、カルトだってそこに含まれているんだろ」

 不満の声を上げるパーマ頭に、眼鏡の警部補が「実際そうでしょう」と呆気なく返す。

「国内における新興宗教やカルト組織の数はこの三十年ほどで右肩下がりです。現存する団体も弱小化が進んでいますし、ここ数年は目立ったトラブルも報告されていません。だから、専属で追う部署をわざわざ設ける必要性がなくなったんですよ」

「それで、新組織とあわせて一課で対応してくれってか? 勘弁してほしいぜ、厄介な団体は全部一課うちってことかよ」

「汚れ役は誰かが引き受けなければならないんですよ。腹を決めるしかありません」

「へいへい。せいぜい汚れ役を精一杯全うさせていただきますよ」

 首を回しながら、気怠そうに肩を揉む落合。その向かいで、空になったグラスを黙って見つめていた内海が不意に呟く。

「これから、ゾディアック団はどうなるのでしょうね」

「どうなるってお前……組織の半数近くがパクられたんだ、壊滅も時間の問題じゃねえのか」

「そうとも限らないのではないですか」

「どういう意味だよ」

 空になったビールジョッキを脇によけ、落合はテーブルに肘をつく。内海はグラスから顔を上げると、

「先ほどの新宮部長の話を思い出してください。三好友希は、死亡して団員ではなくなった矢崎か森野の枠に入った可能性があると。つまり、団長以外の星座で空きが出たところには次の新参者が入るシステムということですよね」

「それはつまり……頭を潰さない限り、組織は動き続けるということか」

 二人の会話を耳に入れながら、時也は大村の供述調書を思い返す。

『俺たちは蜘蛛みたいなものだ。あいつらは足を切られても再生する。俺たちゾディアック団も同じだ。言っただろ? 俺らは所詮組織の駒のひとつにすぎない。俺らの代わりはいくらでもいるのさ――スコーピオを除いてな』

「奴らはまだ探し求めているはずです、新たな楽園を」

 口を開いた時也に、三人の視線が集まる。

「今回の事件で、奴らは組織の仲間であったはずの矢崎と森野をいとも簡単に切り捨てた。楽園を目指すためなら、例え仲間でさえ踏み台にすることを躊躇わない。けれど、彼らが理想とする楽園は、俺たちが思い描く場所とは違う。俺たちで奴らを追放しなくちゃならないんです――平和という名の楽園から」

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