第38話 終結


「まったく、とんでもねえ事件だったな」

 ビールジョッキをぐいと傾けてから、落合巡査部長が真っ先に口火を切る。

「ハムを含めて五部署による大がかりな逮捕劇とは……結局、被害者が三人、自殺者が一人、被疑者が五人ほか多数か。尤も、被害者と被疑者は一部被っているが」

 友枝雅樹殺害に端を発する連続殺人事件、通称〈ゾディアック団事件〉の主犯として大村泰明が逮捕されてから二日後の五月二日、金曜日。落合、田端、内海、そして新宮の四人は西神名河にある居酒屋Q兵衛に集っていた。

「青龍会の面々をしょっ引いて、組対部はホクホクだろうな」

「二課も浮足立っていましたよ。二年越しに念願のホシ逮捕が叶ったんですから。しかも、現職議員秘書という大物だ」

 田端警部補の目の前には、モスコミュールをたっぷりと注いだ銅製のビアマグが置かれていた。薄切りしたライムがカップの縁に絶妙な角度で刺さっている。

「けどなあ、渦中の人物だったはずの堂珍仁は今回の件には無関係だった。これがどうにも納得がいかないんだよな。俺としては」

「実は堂珍が裏で糸を引いているのではないか、と考えているのですか」

 時也の問いに、パーマ頭の巡査部長は「いや」と意外にもきっぱりと否定する。

「友枝、森野、そして葉桐。この三人の殺しについてはおそらく無関係だ。俺が言いたいのはだな、十五年前の闇献金事件のことだよ」

「常磐会の一件ですか。堂珍も末永も、結局今回の捜査で任同はおろか話を聞くことさえできませんでしたね」

 美濃佐吉が残したノートの記述から堂珍仁と末永保彦が共謀した闇献金の一部始終が明らかになったものの、選挙違反は公安課の管轄外であるため捜査にタッチできない。東海林警部の判断により、闇献金事件は捜査二課に預けられることになったのだが。

「二課が捜査に本腰を上げる可能性は限りなく低いでしょうね。現存している物証が美濃佐吉のノートだけでは、二課長を動かすほどの証拠能力はありませんから」

 モスコミュールを一口啜り、眼鏡の警部補が呟く。落合が神妙な顔で頷きながら、

「それだけに不完全燃焼なんだよな。もちろん俺らのホンボシはゾディアック団だが、その先により大きな獲物がいるのかもしれないのに、指を咥えて見ているだけなんて……そういや新宮は、二課の美人警部補と仲良かったよな。何か聞いてねえのかよ」

 捜査二課の市原英理子警部補のことだ。時也は肩を竦めながら、

「特に大きな動きがあるとは話していませんでしたね。今は古川夏生のことで二課もてんやわんやですし」

「それもそうか。ま、ヤマを地検にさえ渡さなきゃこっちのもんだ。二課の腰が重いなら俺が二課長に直談判してやる」

「そのときは定年直前に首を飛ばされる覚悟で臨むべきでしょうね」

 からかい口調の田端に、落合は「無論だぜ」と笑い返す。その隣でカルーアミルクのグラスを手にしたままぼんやりとする内海巡査長に、時也はゆっくりと視線を移した。

「どうした内海。さっきからぼうっとして」

 はっと顔を上げた彼女は、グラスをそっとテーブルに置くと初めて口を開いた。

「今回は、ゾディアック団という新たな組織が判明したのみならず、五人のメンバーを逮捕しました。ですが、ボスの反応はいまひとつだったので気になって」

「そりゃそうだろ。ボスとしては、友枝と森野殺しの実行犯である二人がホシの最有力だろうからな」

 焼き鳥セットのぼんじりを手にした落合が、二人の会話に割り込む。

「主犯の大村は、あくまで殺人教唆の罪状に留まる。しかも実行犯である西冨士哉と赤髪の女が逃亡中となりゃ、そもそも教唆を立証すること自体が困難だからな」

「下手をすれば、殺人教唆で起訴できない可能性もありますね。その場合、大村の関与が明確なのはMERCURYと青龍会の売春斡旋のみです。狭間慎二は余罪が発覚しましたが、金ビルでの麻薬売買はあくまで計画の段階に留まっているから罪状はつかない。一色乙葉と宍戸悠も殺人幇助ですからね……刑事部とハムからすれば、やはり西冨士哉と赤髪の女を確実に仕留めたかったでしょう」

 落合と田端の言葉を受け、内海は難しい表情で頬杖をつく。

「西冨士哉と赤髪の女もですが、私は森野の逃亡を許してしまったことが今でも悔しいです。もっと厳重な監視体制を敷いていれば、彼の事件は阻止できたはずなのに」

 大村泰明の証言によれば、射手座の老人こと矢崎茂夫が香澄橋で自爆する数十分前、森野一裕の業務用携帯に『今すぐ家を出てreposへ向かえ』とメールを送ったのだという。森野の業務用携帯は、牡羊座の男こと西冨士哉と蟹座の女に回収させた。友枝の携帯電話を持ち去ったのも二人だと証言している。

「森野がゾディアック団のメンバーだったことも意外だが、自爆した矢崎茂夫が小林誠和不動産の元社員ってのにも驚いたな。大村は、自分が勤める会社の奴らを次々と手にかけていたわけだろ。神経がどうかしてるぜ」

 大仰なため息を吐く落合に、時也は「ですが」と言葉を返す。

「彼にとって、組織のメンバーは駒にすぎなかったんですよ。理想郷をつくり上げるために動き回る駒たち。誰かがいなくなっても替えの効く存在だった」

「はっ、まるで働きアリだな」

「ゾディアック団には〈団長〉と呼ばれるリーダーがいると、真澄湊が証言しています。その団長が女王アリということでしょうね。大村の供述で、団長のコードネームが〈スコーピオ〉であるところまでは判明しています」

 警察手帳に挟んだメモを、机上に置く。大村が供述した組織のメンバーをリスト化したものだ。三人がそろって頭を突き合わせ、メモを覗き込む。



牡羊座 «ハマル»   → 西冨士哉

牡牛座 « ? »   → ?

双子座 «カストル»  → 古川夏生

蟹座 « ? »    → 赤髪の女

獅子座 «レオ»    → 宍戸悠

乙女座 «スピカ»   → 一色乙葉

天秤座 «リブラ»   → 大村泰明

蠍座 «スコーピオ»  → (団長) 

射手座 «キロン»   → 矢崎茂夫

山羊座 «ゴート»   → 桜井芳郎

水瓶座 «アルタイル» → 森野一裕

魚座 « ? »    → ?



「この括弧の中がコードネームってわけだな。大村は、赤髪の姐ちゃんのコードネームを知らないのか」

 顎を撫でる落合に、時也は「そのようです」と返す。

「大村によれば、彼女のコードネームを把握しているのはスコーピオだけのようです。行動を共にしている西冨士哉さえも、彼女の名前は偽名である〈カレン〉しか知らされていないと」

「そのカレンがコードネームじゃねえのか。んで、この中で面が割れていないのは団長のほかに牡牛座と魚座だけ……ちょっと待てよ」

 牡牛座と魚座の間を指で行き来しながら、落合は眉根を寄せる。

「となると、三好友希がこのどちらかってことになるんじゃねえのか。あいつもゾディアック団の一員なんだろ」

「三好はつい最近入団したばかりの新参者で、彼がどの星座を宛がわれているのか大村も知らないようです。ただ」

 メモを睨む時也に、パーマ頭が「ただ?」と聞き返す。

「もしかすると、三好は矢崎か森野と入れ替わった可能性もあります」

「二人が死亡したから、空いた枠に入ったってことか」

「ええ。そうなると、顔とコードネームがまだ一致していないのは四人。牡牛座、蠍座、水瓶座、魚座。三好は蠍座以外のどこかに入るということです」

「コードネームといえば、ひとつ腑に落ちない点があるのですが」

 リストを指で示したのは眼鏡の警部補だ。

「森野一裕のコードネームである〈アルタイル〉ですが、これはわし座の一等星ですよね。水瓶座を構成する星には入っていないのに、彼はなぜこれをコードネームにしたのでしょう」

「それは、弟のためです」

 答えたのは、東海林班の紅一点だった。時也以外の先輩二人が「弟?」と同時に首を傾げる。

「水瓶座は、森野一裕の弟である森野浩二の誕生星座だったそうです。水瓶座には、ガニメデという青年がゼウスによって誘拐された神話が伝えられていて、ガニメデが水瓶座、ゼウスが誘拐のために遣わした鳥がアルタイル――わし座なんです」

「なるほど。だから星座図を見たときにわし座と水瓶座が隣り合っているわけですね」

 納得したように頷く田端に対して、落合は「けどよ」と首を捻る。

「結局わし座は水瓶座じゃないわけだろ。それなら森野一裕は水瓶座じゃなくわし座を宛がわれるべきじゃないのか」

「森野一裕は、弟の死にずっと責任を感じていたんです。母親の話によれば、弟の浩二にパチンコ店のバイト先を斡旋したのが兄の一裕だったそうです。浩二は大学卒業後に努めた会社が倒産して以来、単発のバイトや派遣の仕事で食いつないで生活していたらしく、それを見かねた一裕が大学時代の同級生に相談したところ、その同級生が例のパチンコ店で働いていて仕事を紹介してくれたのだそうです」

「じゃあ、森野一裕が弟にそのパチンコ店を紹介していなけりゃ、弟は死ななかったかもしれないと。それで自責の念に駆られているわけだな」

 リストをぼんやりと眺めながら、内海は「おそらく」と返す。

「彼にとって、弟はガニメデだったんじゃないでしょうか。兄弟で写っている写真を母親に見せてもらいましたが、二人はとても仲が良かったそうです。弟の誕生日に一裕が星の図鑑を買ってあげたなんてエピソードもあって。森野一裕にとって弟の存在は大きかったのだと思います。犯罪組織に加わり、復讐に身をやつしてしまうほどに」

「森野兄弟のこと、よく調べていたんだな」

 内海はぱっと顔を上げる。真向かいに坐る時也と視線が交錯すると、

「仕事ですから、当然です」

 ぷいとそっぽを向いてしまった。何となく気まずくなった空気を変えるため、彼女の隣でにやにや笑いを浮かべる落合に話の矛先を向ける。

「そういえば、古川夏生のコードネームである〈カストル〉は、双子座を構成する星で二番目に明るい恒星ですよね。古川は、なぜ一番明るい恒星である〈ポルックス〉をコードネームに選ばなかったのでしょう」

「それはまあ、森野一裕と似たような理由だよ。一等星であるポルックスは、古川にとっては三輪佑美子だったのさ。自分はあくまでも、彼女の隣で彼女の光を受けて輝く星だった……ってな」

「そういえば、二人は片割れ同士だったと話していたそうですね」

「古川も三輪佑美子も、幼い頃に家族を亡くしてお互い施設の出だったそうだ。境遇が似ていることもあって二人は意気投合したわけだが、深い仲になって互いの身の上話をするうちに、誕生日が同じ六月だとか出身が同じ東北だったとか、色々と共通項が出てきたんだと」

「それで、互いを片割れ同士と表現したわけですね」

「ああ。聞いてるこっちはケツがむず痒いぜ」

 わざとらしく坐りなおす落合に、今度は田端がにやりと笑う番だ。

「ですが、そんなことまで話すくらいに古川は完落ちしたわけですね」

「まあ、桜井芳郎の自白あっての結果だけどな。あれがなけりゃどこまで攻め入ることができたか」

 二本目のねぎま串に手を伸ばしかけていた内海が、「そういえば」とその手を宙で止める。

「桜井芳郎の聴取で使った例の音声……あれ、で作ったものだと聞き及びましたが」

 つくね串を味わってた田端が「そうですよ」と頷き返す。

「ボスは最後まで了承を渋っていましたが、結果として上手く事が運んで心底ほっとしているでしょうね。あれで古川夏生が自供しなければ、証拠捏造でこちらが糾弾されるところでしたから」

「けどよ、証拠も何も。お前はただ、俺が音声合成アプリで作ったを流しただけだ。それが古川の自供だとは一言も告げていない」

「かなりグレーゾーンですね。非常に危険な作戦でした。内心冷や冷やしながら桜井の自供を引き出しましたから」

 半ば呆れ顔の田端に、内海が「でも」と控えめに発言する。

「それって、落合部長が田端係長を信じていたからこそ決行できた作戦ですよね――あ、というよりはお互いに信頼があったからこそ、ですね。落合部長は、田端係長が上手くやってくれるだろうと信じて音声データを係長に託した。係長は、落合部長の作戦で桜井芳郎を落とせるかもしれないと思ったからこそ、音声データを受け取った」

 眼鏡の警部補は肯定も否定もせず、無言でモスコミュールのグラスを傾ける。パーマ男は串の持ち手でこめかみを掻きながら、

「そういや田端。例の戸籍ブローカーをよく探し当てられたな。あいつの証言がなけりゃ、山崎昇の白骨遺体は永遠に見つからず仕舞だったんだろ」

 逃亡や偽装結婚、成りすましなどの後ろめたい目的のために他人の戸籍を要する者は存外に多い。そうした需要に応えるのが戸籍ブローカーだ。田端が突き止めたブローカーの男は、闇サイトを通して戸籍を買い取り、さらに買い取った戸籍を別の客に売り出していた。ブローカーから山崎昇の話を聞いた田端と刑事部捜査二課は、証言をもとに山崎の知人やかつて勤務していた会社などへ聞き込みを実施。さらに六日前、県内の山中を虱潰しに捜索したところ男性のものと思われる白骨遺体が発見された。遺体の身元が山崎昇であると判明したのは、桜井芳郎が逮捕された四月二十八日の朝のこと。遺体の状態から、山崎昇の死は自殺である可能性が高いと検視結果では報告されている。

「以前に捜査二課で偽装結婚による詐欺事件を捜査しましてね。そのときに戸籍ブローカーについて調べた経験があったんです。まあ、彼らも伊達に裏社会で暗躍しているわけじゃありませんから、少しの情報を引き出すのにも幾分か苦労しましたが」

 皆までは語らず、モスコミュールの残りを飲み干す。落合も深追いせぬが花と察したのだろう、「まあ何にしてもお手柄だな」と短くコメントするに留めた。

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