23. 触れあおう
ネコテック社のガラスのドアに入ると、そこにはぴかぴかの内装が広がっていた。――前にも増してきれいになったようだ。
床には丹念にニスが塗られ、光を反射していた。机も椅子も磨き抜かれていた。
チリ一つ、ゴミ一つない社内で、みんなが席に座っていた。
加藤さんが近づいてきた。右手になにかを持っていたが、よく見えない。
「よう、翠くん。それに黒くん。よくきたね」
僕はおじぎをして、
「どうも。それにしても、きれいになりましたね。ほんと。新しい会社みたいです!」
「ハハ、ありがとう。なんとか手分けしてさ、ここまで掃除したんだよ。澤田が一番やってくれたけどな」
そうして加藤さんは澤田さんの席を振り返る、澤田さんは恥ずかしそうに、申し訳なさそうに頭をぺこりと下げた。
それから加藤さんは、会社の入り口のドアに目を向けた。――そこにはリティが、居心地が悪そうに佇んでいた。
加藤さんはリティへと近づいていった。
リティは「あ」と声にならない声を出して、固まった。
加藤さんはリティの目の前に行くと、
「リティ。待ってたよ」
「え? 待ってた?」
加藤さんは深くうなずいた。
「そうだ。きみさえよかったら。――また、一緒に仕事をしないか?」
「え、あたし? あのさ。人間じゃないし。あんなに、暴れちゃったし。ね、エミに化けて、みんなを、騙してたんだよ……?」
「それは、違う」
加藤さんはそう、力強く言った。
「リティ。きみは。――仲間や、相原絵美の想いのために、自分を犠牲にしてきた。俺たちを守ってくれた。――そんなきみを、俺たちは仲間だと思っている」
リティは驚いたように、社内を見渡した。加藤さんは続けた。
「すまん。みんなにはもう、きみのことを言ったんだ。はじめは信じてくれなかったけど。ネコクラウドに向きあいすぎて、俺の頭がどうにかなったって。そう言われたけどさ」
そこで、加藤さんはにやり、と笑った。それからポケットに手を入れて、透明なケースに入った社員証を取り出すと、リティに差し出した。
リティはその社員証に目を向けたようだ。僕にもその文字が見えた。――そこには、『相原リティ』と書かれていた。
「きみは、相原絵美の魂を継いではいるが、それとは別の、ひとりの仲間だよ。リティ」
すると、リティは口をぽかんと開けて、加藤さんの顔を見つめた。
やがて、リティの両目から涙の筋が流れてきた。
「あれ、なんか、あたし泣いてる?」
そう言うリティの涙は頬をつたい、照明に光った。リティは右手を上げて、ぐいと涙をぬぐうと、その手で社員証を受け取った。
リティは社員証を首にかけて、僕に向かってさっそうと言った。
「よし。じゃ、そういうことでっ!」
リティは敬礼みたいなポーズを取ると、僕に背中を向けて、腕をぶんぶんと回して席へと歩いていった。
加藤さんはその背中を見送ってから、僕につぶやいた。
「まあ、世間的には、相原絵美ってことで、やっていってもらうんだけどな……」
僕はそれに答えた。
「ですね。なるほど。まあ、仕方ないですね。ここまできたら」
「まあな。――そうだ。あとで、里の方々にも、俺から言っとくよ。無事に、仕事をやり遂げてくれたってね」
「あ、ありがとうございます。それはそれで、うれしいです」
「よかったよ。それと、ちょっと外の、旧鼠塚のことで、相談があるんだけどさ。――旧鼠塚が目立たないように、目隠しをしようかな、とか」
そこで僕は、加藤さんと外に出た。振り返って黒を見ると、黒はこう言った。
「俺はもうちょい、社内を観てみるよ。念のため。妖気が完全に消えているか、気になるだろ」
外を見終わってから戻ってくると、黒は社内の奥のほうで、リティと話をしていた。珍しい光景に、思わず僕はくすりと笑ってしまった。
翌日の日曜日の早朝、スマートフォンの音で目が覚めた。高木先生からの電話だった。
「おはようー! 翠。きょうもいい朝じゃないか。さて、聞いたよ!」
僕はその声に、びくりとしてスマートフォンを落としそうになった。
「あ、え? おはようございます」
「加藤さんから、連絡があったんだけど。猫又の件、無事に解決したらしいね」
「あ、そうですね。はい。なんとか……」
「なかなか、猫又も手強かっただろう。よくやったな」
そこで僕は首をかしげた。
――そうか。加藤さんは、『世間的には、相原絵美ってことで、やっていってもらう』と言っていた。その延長ということか。それならそれで、こちらも話を合わせたほうが手っ取り早い。
「ありがとうございます。高木先生に教えてもらった、鋭気ノ術。あの本質が、わかった気がします」
「そうか、よかったな。それで、わたしになにか、他に言うことはあるかい?」
「え? いえ、別に他には……」
そのとき、スマートフォンが振動した。見ると、リティからメッセージが届いていた。
『今回は、いろいろとありがとう。翠くん! 新機能の、マイネコシステムの開発も進みそうだよ。それに、高木先生って人にも、翠くんが助けてくれたこと、いっぱい報告しておいたよ。連絡先、黒くんに聞いたんだ。翠くんの先生だよね? 褒めてもらえるといいね⭐︎』
リティは義理堅く、本当にいい性格をしている。
「――ちょっと、翠、聞いてるの?」
「は、はいっ」
「でさ、きょう、時間はある? ちょっと、聞きたいことがあってね」
「あ、きょうはちょっと、用事が……」
「いまからそっちに向かうから。また後で」
そう言うなり、高木先生は電話を切った。
僕は動揺しながらも、朝食の準備をはじめた。
やばい、どうしよう。嘘をついたことになってるよ……。
そんなことを考えつつも、お湯を沸かしながら、ネコクラウドのアプリを立ち上げた。
ネコクラウド
出会った猫と、触れあおう、一緒に暮らそう
そのタイトルとキャッチフレーズが画面に大きく表示されたとき、思わず僕は絵美さんとリティのことを考えた。
彼女らは山登りをしている。きっと長い山道の先に、絶景を見つけるだろう。長く険しい道だ。だからこそ、その旅には意味がある。
深い緑のにおいの中で、小鳥の声を聴きながら、どこまでも進んでいく。
たとえ離れることがあったとしても、その心はいつも一緒だ。きっと。
・-・-・-・-・-・-・-・
第二章が終わりです!
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泣きむし翠の退魔録 〜東京もののけ哀歌〜 浅里絋太(Kou) @kou_sh
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