16. 旧鼠塚

 絵美さんの社員証を見つけた僕らは、東京に戻った。移動の間、みんな口を閉ざしていた。


 また、絵美さんのことを警察に通報することはなかった。


『この事故のことをおおっぴらにしても、誰も得をしない』


 たぶん、誰もがそう考えていた。しかし、その判断が正しいのか、僕にはわからない。絵美さんの両親や友人などにも、隠し通すというのか。リティがどれほど器用でも、そんなことができるのか。真実を知った人々が、なにを思うのか。


 しかし、僕らは真実よりも欺瞞ぎまんを選んだ。世の中とはきっと、そんなものだ。




 東京駅に着いてから、雑踏の中で加藤さんは言った。


「あとは、会社だな。新機能――マイネコシステムのリリースが迫ってる」


 僕はそれに答えた。


「そうですね。鼠を、なんとかしないと……」

「駆除業者に相談することも考えたんだ。けれど、さすがに無理だろうな。あの鼠どもは、普通じゃない」



 そこで僕は、ネコテック社に現れた鼠たちのことを思い出す。やつらは妖気をまとっており、尋常な様子ではなかった。駆除業者に依頼しても手配に時間がかかるだろうし、おそらく手に負えないだろう。――妖魔みたいなものだし、なにが起こるかわからない。


 そのとき、リティが言った。


「あたしに、考えがあるの……」




 その日の夜、僕は黒とラーメン屋に行った。家の近所の小さな店だ。


 頭上にはテレビに野球中継が流れている。近所のおじさんたちが、ビールなどを飲みながら食事をしている。


 僕は味噌ラーメンとチャーハンを。黒は回鍋肉ホイコーロー定食を頼んだ。


 味噌ラーメンが来ると、僕は一日の疲れを吹き飛ばすように、麺を一気にすすりはじめた。


 そう、僕は疲れていた。それにまだまだ、試練は終わらない。鼠のことだって。リティのことだってある。いまできることは、食べることしかない。


 黒は回鍋肉のキャベツを箸でつまみ、したたる油分を切ってから口に運ぶ。黒らしい上品さを感じるが、それでもいつになく、がっついている様子がある。



 あらかた食事を終えて、水を飲んでいるときに黒が言った。


「なかなか、大変だな。今回も」


 僕はコップを置くと、手の甲で口元をぬぐい、


「うん。そうだね。ほんとに複雑だよ」

「明日は、あの会社に行くのか?」

「うん。学校が終わったら、リティとね」

「そうか。俺も、行くようにするよ」

「ありがと。助かるよ」

「例の、鼠とか妖気の件が、やっぱり気になるんだ……」




 翌日の月曜日、夕方になると僕はネコテック社へとやってきた。


 加藤さんが会社の前にいた。


「様子は、どうですか?」


 と尋ねると、加藤さんは答えた。


「相変わらずだ。これじゃ、仕事にならない。みんなには、休んでもらってるよ」

「なるほど。早くなんとかしないと……」


 そう言って僕は、窓に近づいて会社の中を見る。すると、無数の鼠たちが、我が物顔で会社のあちこちに陣取っているのが見えた。また、お菓子や非常食などが、床に散らばっていた。――探し出して、好き放題に食べているのだろう。


 会社のビルの脇には、濃密な妖気を放つ一画があった。そこから、会社へと壁越しに妖気が流れているようだ。けれど、そこをどうしたらよいのかわからない。


 そこで、「もしかしたら」と加藤さんは言った。


「え、どうされました?」

「ああ。この会社の向かいに、ビルがあるだろ?」


 加藤さんが指をさす方を見ると、道の向こうに五階建てほどの古いビルがあった。


 一階には店舗があり、蕎麦屋と服屋がある。二階から上は住居や会社の事務所があるようだ。


 加藤さんは続けた。


「あのビルは、蕎麦屋のご主人がオーナーなんだ。ずいぶん古くから、あの土地を所有しているみたいでね」

「へえ、そうなんですね」

「ああ。もしかしたら、きみが気にしている、あの地面のこととかも、何か知っているかも」

「なるほど。そうか……」

「よし。いきなりだけど、ちょっと聞いてみよう。店に何度か通っていて、面識はあるから」

「わかりました」



 僕は加藤さんに続いて道を渡り、蕎麦屋へと向かった。


 手狭な、年季の入った店だった。中にはテーブルが五卓あり、お客さんは二人いた。


 調理場には二人の料理人が見え、フロアには年配の女性がいた。その女性は僕らを見て、


「いらっしゃいませ。あれ、その男の子は?」


 それに加藤さんは答えた。


「どうも。この子は、いとこでね。それで、申し訳ないですけど。きょうは、ちょっと大将に聞きたいことがあって……」

「え? 大将に? なにか料理にありましたか?」

「いや、そういうことじゃないんです。このあたりの、昔の話でちょっと」

「はあ、わかりました」


 女性は怪訝そうな表情で、板場へと向かった。やがて、白い割烹着を着た、年配の男が現れた。もしかしたら七十歳に近いくらいの、おじいちゃんと言ってもいいくらいの人だ。


「はいはい。なんでしょ。――ああ、いつも来てくれる、お兄さんだね」


 そう言って、白い手拭いで手を拭きながら、店主は加藤さんの前にやってきた。加藤さんは言った。


「忙しいところ、すみませんね。ちょっと、お聞きしたいことがありまして」

「はあ、なんぞ、粗相でもございましたかね」

「いえ、そんなことはないですよ。びっくりさせてすみませんね。それで、お聞きしたいことは、向かいのビルのことなんです」


 そうして加藤さんは、鼠が大量に現れた話や、ビルの横に奇妙な剥き出しの地面がある話をした。


 すると、店主はふいに鋭い目をした。


「え……。まさか」


 そこへ僕は顔を近づけて尋ねた。


「まさか? って。なにか、ご存知なんですか?」

「まあね。あそこは、ビルが二十年くらい前に建ったんだけど。その前から、大きな祠があってね。たしか、『旧鼠塚』って呼ばれていて」


 僕は旧鼠きゅうそという言葉を聞いて、どきりとした。どこかで聞いたことがあった。けれど、すぐには思い出せなかった。


 店主は続けた。


「ビルを建てるときにね。――邪魔だからって、ずいぶん縮小して、片隅に移してしまったみたいだね。そんなことしてよかったのかねえ。ちょうど、ネコテックさん。おたくのビルのあったところが、その旧鼠塚だったんだよ」

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