7. ナイトティアーズとシズク

 土曜日の昼間、僕は黒と一緒に秋葉原の街並みを歩いていた。


 黒は半袖の青い開襟シャツを着ていた。


 人混みを歩きながら黒は、


「で、どうするんだ? 猫又の件は」

「そうだよね。それなんだけどさ……」


 そこで口ごもってしまった。僕は迷っていた。


 猫又を追った夜は、退治するどころか、すっかり相手のペースになってしまった。


 こんなことで、猫又を退治することができるのだろうか?


 いや。僕は猫又を退


 まただ。シズクのときみたいに。


 こんなことで、退魔師だなんて言えるのだろうか?




 そのうち人混みの向こうに、目指している建物が見えてきた。『ナイトティアーズ』の看板があった。


 きょうは近況報告みたいな感じで、桂木さんと会うことになっていた。



 店の入り口のウェルカムボードからは、シズクの写真がなくなっていた。


 それもそうだろう。いったい、店の人たちはシズクのことを、どう受け止めたのだろう。


 ――そんなことを考えているとき、女性の声がした。


「ひさしぶり。よくきたね」


 声のほうを見ると、赤いとんがり帽子とクローク姿の魔女――ライムがいた。


「あ、こんにちは、ライムさん……」

「来てるよ。桂木さんも」


 そう言うライムは、どこか寂しそうだった。マスカラが載ったまつ毛は、ばさりと伏せられていた。


 店の奥には白シャツ姿の桂木さんが、窓際のテーブル席にいた。


 僕と黒はそちらへ向かう。


 桂木さんは立ち上がって笑顔を浮かべた。


 また、桂木さんの横の席には鳥籠があった。


「すみません、お待たせしました」


 と僕が言うと、桂木さんは手を振って、


「いやいや。いま来たところですから。橘花さんも、柄元さんも、その節は、ありがとうございました」


 そう言って桂木さんは頭を下げた。



 席に座ってから、僕は体を屈めてテーブルの下から鳥籠を見た。鳥籠の中には小さなコウモリがおり、止まり木にぶら下がっていた。


「シズク……。元気?」


 そう呼びかけると、コウモリは「キッ」と鳴いた。


 体を起こすと、ちょうどライムがいた。不思議そうに僕を見て、


「いま、なんて?」


 僕はぎくりとして、


「あ、いえ。かわいいコウモリだな、って」

「そう。……注文は決まった?」


 そこで僕は『罪深きジンジャーエール』を。黒は『深淵の暗きブレンドコーヒー』を注文した。


 ライムは不審そうな目で僕を見てから、去っていった。



 桂木さんはしみじみとした感じで、こう言った。


「シズクさんはね、もうあの日に、お店の人に伝えていたんです」


 黒は聞き返した。


「え、あの日に?」

「ええ。シズクさんは、あの最後の夜。私たちと公園で会った日に、このお店を、辞めていたんだそうです。店長に、それを伝えてから、公園に来たみたいで」

「なるほどな。最後の、心配りってやつか。――しっかりしてるんだな」


 すると、鳥籠から「キキッ」と自慢げな鳴き声がした。こんどは僕が、


「お店の人は、故郷に帰った、って思ってるんですね」


 桂木さんはうなずいてから、目で合図をした。


 ライムがドリンクを持ってきたのだ。僕は口を閉ざした。



 『罪深きジンジャーエール』をひと口飲んでから、僕は桂木さんに言った。


「その後は、どうですか?」


 すると桂木さんは、横の鳥籠を見下ろしてから、


「ええ、そうですね。なんだか奇妙ですけど。ふふ、まあ仲良くやってますよ。一緒に夜の公園とか、港を、散歩するんです」


 そう言って恥ずかしそうに首を掻く。


「そっか。なんだか、素敵ですね」

「ありがとうございます。そう思うと、人間も、妖魔も、関係ないのかもしれないですね」

「関係ない?」


 桂木さんはこくりとうなずく。


「ええ……。喜んだり、怒ったり、悲しんだり。その気持ちって、同じなのかなって。ただ、それぞれの、存在のありかたが違うから。食い違ってしまうだけで……」


 そうして桂木さんは、愛おしそうに鳥籠を見た。




 やがて僕らはナイトティアーズを後にした。


 ライムはずっと、なにかを言いたそうな目つきをしていた。



 人混みに消えていく桂木さんの背中を見ていると、黒の声がした。


「俺は、さ」


 黒は遠い目で、街並みを見ているようだった。そうして、つぶやくように続けた。


「俺は、翠が間違ってるなんて、思わねえぜ」

「え、どういうこと?」


 そこで黒は僕を見て、


「おまえが、こうしたい、って思うようにしろよ。素直に、な」


 僕は黒の目をまっすぐに見た。


「な、なんだよ……」

「珍しいね。黒が、素直、って言うの……」

「そうか? 高木先生、いつも言ってるだろ」

「うん。そうだけど。――でも、ありがと」

「ん、ああ。とにかく、納得いくまで、掘り下げてみろよ。そうして、おまえが、決めればいい」


 僕は迷いを振り切るように、こぶしを握った。


「そうだね。月曜にもう一回、加藤さんに当たってみるよ。もっとなにか、わかるかもしれない」

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