5. ネコクラウド

 加藤さんは次に、相原さんの横の席の、おとなしそうな男性を指した。


「彼は、澤田と言うエンジニアだ。手が空いたときに、開発のこととかを教えてもらえると思うよ」


 すると澤田さんは顔を上げて振り返り、にこりと笑うと、


「よろしくね、翠くん。またあとで、いろいろ説明させてもらうよ」


 そんな澤田さんはメガネをかけ、髪を斜めに分けた優しそうな人だった。


 加藤さんはそれからも、ざっと会社のことや、社内の間取りを説明してくれた。


 最後に加藤さんは奥ののれんを指さした。


 入り口から見た奥にはのれんがかかり、その先に給湯室があった。――そこに簡易的なキッチンがあるのだという。


 そのとき女性の悲鳴がした。


 見ると、給湯室のほうから女性社員が飛び出してきた。


「やだ! ネズミ!」


 そう言って、女性は給湯室を振り返った。そして憎々しげに、


「はあ、まったくやだ、この会社。ネズミがいるなんて……」


 加藤さんはうんざりした声で言った。


「そういや、そうなんだ。ここのところ、ネズミが増えてね。このビルも古いし。近くに飲食店もあるから……」




 ひととおり説明してくれたあと、加藤さんは相原さんのほうを見ながら、潜めた声で言った。


「それで、どうかな? なにかわかるかな?」


 そこで僕が相原さんの体を見ると、やはり薄い墨汁のようなもやが、立ち昇っているのがわかった。


「ええ。たしかに、普通の人間じゃないと思います。妖気が見えます……」

「え、やっぱり……」


 そう言って加藤さんは顔をしかめる。


 ところで、と僕は尋ねた。


「相原さんのお尻から、猫みたいな尻尾が見えたってことですが。それも二本も。……それって、いつ、どんなふうにですか?」

「それなんだけど。……いちど、外に出ようか」

「それもそうですね。わかりました」


 そうして僕は、加藤さんについて会社を出た。


 そのとき会社を出た左手から、妙な気配がした。


 『ネコテックエンターテイメント』が入ったビルと、その隣のビルの間に、隙間があった。


 その隙間に目をやると、うっすらと妖気が漂ってきていた。


 それはそれで気になったものの、まずは加藤さんから話を聞くことが重要だと思って、加藤さんを追った。



 昨日のカフェにやってくると、僕は加藤さんに言った。


「で、相原さんの尻尾って……」


 すると加藤さんはうなずいて、


「ああ。それなんだけど。あれは、二週間ほど前の、夜のことだったんだ。残業で遅い時間になっていた。そのとき、急に、給湯室で大きな音がしたんだ」

「大きな音?」

「そう。ガシャーン、て。湯呑みが床に落ちたんだ。それで見ると、のれんの下に、相原の体が見えた。その尻から、尻尾が二本。――猫みたいな、茶色のふさふさしたのが」


 僕は目を広げて、


「なるほど。見間違いとかじゃなくて?」

「いや、わからない。でも、さすがに、なにをどう見間違えたら、あんな風にくっきりと、尻尾があるように見えるんだろう……。それに、もし、相原が猫又みたいなバケモノで、なにか企みがあるのだとしたら……。俺は、みんなを守らなきゃいけない」


 そう言って加藤さんは頭を押さえた。



 しばらく沈黙が続いたが、僕は言った。


「明日にでも、相原さんに接触してみますよ」


 加藤さんは顔を上げて、


「そうか、ありがとう。そうしてくれると……。それじゃ、俺は戻るよ」

「え、まだ仕事ですか?」

「ああ。開発の大詰めでね。近々、新機能をリリースしなきゃいけない。社運をかけた、大きなやつを」

「へえ、そんなにすごいものなんですか」


 

 加藤さんは真剣な表情でうなずくと、


「そうだね。マイネコシステムっていうんだけど。それでなんとか、会員数を増やさないと……」


 加藤さんの話によると、ネコクラウドはサービス開始から二年目で、まだまだ会員数を増やさないといけないらしい。その打開策として取り組んでいるのが、マイネコシステムという、新機能のようだ。





 家に帰ってから僕はリビングのソファに座り、スマートフォンを取り出した。それから『ネコクラウド』を起動する。


 軽快な音楽とポップなタイトル画面。


 そこから進んでいって、自分のアバターを作成する。


 やがて、広い庭園みたいな場所に、僕のアバターが現れた。


 周りにはさまざまなアバターと、それから猫たちがいる。


 猫たちはリアルな動きで寝転び、飛び回り、くつろいでいる。


 そのとき僕は、画面の右上にニュースのアイコンを見つけた。そこを押すと、こんなメッセージが表示された。


『まもなくマイネコシステムがリリース! お気に入りの猫を招待し、一緒に暮らせる!』


 そうだ。それが、加藤さんの言っていた、新機能なのだろう。




「なにやってんだ?」


 と、黒が近づいてきた。ちょうど風呂上がりで、髪を白いタオルで拭きながら。グレーのスウェットシャツにハーフパンツ姿だ。


 僕は画面を見せながら、


「あ、これねえ。ネコクラウドっていう、メタバースのアプリなんだ」

「そういうの、やるんだな」

「まあね。って言うか、今回の試練だよ! このアプリを作っている会社に、猫又がいるって言うんだよ」

「なるほどな……」

「うん。それで、明日、その猫又に、接触してみようと思ってるんだ……」

「そうか。まあ、気をつけていけよ」


 そうして黒はまた、洗面所へ戻っていった。

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