2. 高木先生

 土曜日の朝七時半にスマートフォンの目覚ましが鳴った。


 朝ごはんは僕が作ることになっていたから、ぼちぼち起きなければいけない。


 黒のアパートの一室を間借りしているだけに、その手のことはきっちりやるべきだ。


 布団の中で目を開けると、壁に貼られた毛筆の字が目に入った。


 『素直』


 と書かれている。僕が育った鬼梏村きこくむらに住む高木先生に言われて、毎年の正月に自分で書くことにしている。高木先生に言わせれば、『素直』が極意なんだと。


 そのとき、スマートフォンが鳴った。まさに画面には『高木皆子』と表示された。


「もしもし、先生……?」


 すると、スピーカーから勢いのある、女性の声が響いてきた。


「おはようー! いい朝だな。翠。元気してる?」


 僕はその声を聞いて、高木先生の姿を思い出した。やや小柄ながら引き締まった筋肉質な体つき。後ろに小さくひっつめた長髪に、意志の強そうな眉と目。いつも不敵な笑顔を浮かべる、村でも屈指の退魔師。それが僕の師であり、育ての親だ。


 僕は驚きまじりの声で、


「あ、おはようございます。はい……。元気です……」

「嘘つけー! 元気ないよ。たまには連絡しなさいよ。それで、黒とも仲良くしてる? どうなの黒のやつは」

「は、はい。黒ともふつうです」

「仲良くしろよー!」

「あ、はい。な、仲良しです」

「それでよし」


 と、高木先生は納得したように言った。


「翠がそっちに行ってからも、村でさ、わたしたちもいろいろと、話をしたんだ」

「話、ですか」

「そうよ。翠の退魔師の試練について。そっちの、東京から回ってくる退魔の仕事から、選んだりしてね」

「そうなんですね」

「そう。それに、四か月も経って、高校生活も慣れてきたでしょ? ちょうどいい頃合いかなって」

「え、ってことは、ついに……」

「ええ。きょうは、退魔すべき標的のことを伝えるために、電話をしている。よくお聞きなさい」


 僕は立ち上がり、急いでノートを広げてボールペンを手にした。高木先生は言った。


「標的は、女の夢魔だ。男をたぶらかし、その精気を糧として長く生きる種族だ。翠、それを討て…………」


 それから高木先生は、夢魔のことをいくらか語っていき、僕はそれをメモした。


「なにか質問は?」


 と言う高木先生に、


「いえ。だいたい、わかりました。たぶん……」


 するとスピーカーの向こうから聞こえた。


「それでよし。まかせたぞ」




 村のしきたりで、一人前の退魔師になるまで、本当の親とは会えない。そんな僕を育て、退魔の修行を含めて面倒を見てくれたのが、高木先生だ。


 僕は高校への進学と同時に、東京に移住してきた。村の若者はみな、そういうふうにしている。


 欲望と瘴気が集まる東京などの都市で、三体の妖魔を狩ることが、退魔師として認められるための試練となる。

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