椅子

つきたん

短編

久し振りに、母の実家の母屋に足を踏み入れた。今日は有給を使って法事に来たのだ。


母屋の渡り廊下の端に、

古くから置いてある肘掛け椅子。

数寄屋造りの母屋には似つかわしくない、洋風な佇まいだ。


金の混ざった薄いアッシュグリーンの織地に、マホガニーの焦茶の猫脚が生えた、どっしりとした椅子。


私は、小さい頃から、母屋に出向くとその椅子に座り、膝を抱えて丸く身を縮こませるのが好きだった。


古びた風合いに、自分が守られているような気持ちだった。


その日ふと、すっかり存在を忘れ去っていた、その椅子に吸い寄せられるように、私は座ってみる。


途端に幼い頃の記憶がフラッシュバックして走馬灯のように蘇る。


弟が産まれた時、祖母にしがみついて泣きじゃくったこと。


幼稚園のお遊戯会の帰りは、いつも決まって寿司を取り、母屋でパーティーをしたこと。


束の間の、幸せだった日常。


ある日、両親が神妙な顔で祖母に挨拶に来たこと。そして父の出て行った時の、その背

中。


母屋中に響き渡るような、母の小さく啜り泣く声。


そして暫くして、母も私達を置いて出て行ってしまった。


それから直ぐに知らされた、突然の母の死。


記憶の隅に追いやっていた、様々な風景が、椅子の張地の滑らかな手触りと共に、鮮やかに私の心に蘇る。


まだ幼い弟は、父方の祖父母に引き取られた。


母屋の祖母はいつも優しかったが、私は弟と離れて不安だった。


その頃、何か得体の知れないものから、守ってくれた大切な肘掛け椅子。


私は、目を瞑り、日が翳るのも忘れ、椅子に身を委ねる。


燃えるような夕景は母屋を丸ごと包み込む。今日は大嫌いだった、懐かしい母の命日である。

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椅子 つきたん @tsuki1207

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