任務:徳妃の色香を抑えよ④

翌朝、赤い殿舎がうっすら白くなっているのを寝台の上で眺めていた。

布団から手を出しては寒さに引っ込めるのを繰り返しているうちに、体まで重くなったように感じる。


そんな私をわざわざ訪ねてきたのは意外な人だった。


「あの様子を見ては、来ないわけにはいかないだろう」


この人に陛下以外への気遣いが存在するとは意外だ。

しかしこういう時紫雲さんなら手土産の菓子でも持参してくれるところを、こうして身一つでやって来るのが青藍さんらしい。


「『昨日のことは気にするな』って言いにきたんですか」


布団をかぶったまま問うと、彼はうなずきだけでこたえた。

私はしぶしぶ寝台から出てかんという床暖房の効いた座席スペースに腰かける。青藍さんも隣に腰を下ろした。

女官さん達が膝掛けや火鉢を持ってきてくれた。


「徳妃の話になると陛下は誰にでもあんなご様子だ。我々も打つ手がない」


「ないという事は、青藍さんも色々手を尽くしてきたと?」


「……いや」


痛いところを突かれたのか、曖昧あいまいにこたえると青藍さんは気温差で曇った眼鏡を外した。


「こう見えて俺は色事にはさっぱりでな。そっち方面はいつも紫雲任せだった」


「……」


『こう見えて』って、この人には一体自分がどう見えているんだろうか。


「陛下は理由もなく誰かを嫌う方ではない。ただ恋愛というものにおいてはそういう、"生理的に受け付けない"という感覚があるのだと聞いた。だから陛下に無理やり理由をたずねたりさとすことができぬのだ」


「はあ」


真面目な顔で『生理的に』だなんて言うものだから、ちぐはぐな感じがして返答に困る。


「で、お前の目から見てどう思う」


「え……?」


「桃聖人は愛の国から来たのだろう。陛下は徳妃のどこかが生理的に受け付けぬのではないか?」


その説(好みじゃない)は私も真っ先に考えたのだが────しかし喪女(しかも腐女子)に聞かれても困る。

などと心で呟きながら、私は冷えた指先を火鉢へかざす。


「せ、青藍さんも男なんですから、想像すれば分かるでしょう。自分が徳妃の夫だったとして、生理的に受け付けないとか顔も見たくないとか思いますか?」


青藍さんは眼鏡を手にしたまま眉間に皺を寄せる。難しい顔で考え込んだと思ったら、次の瞬間には少年のように真っすぐな瞳をこちらへ向けた。


「……思わないな。容姿も人柄も申し分ない」


眼鏡トレードマークをはずした青藍さんは涼やかな目で鼻が高く、こうして見ると韓流アイドルにいそうな好青年である。


「だとしたらやはり、二人の間には深刻な問題が────?」


と思えば眼鏡をかけ直すとまた難しい顔をし始める。


……だめだ。これ以上"恋愛スキルZERO"同士で想像し続けても机上の空論にしかならない。

別の角度から探ってみよう。


「そういえば去年陛下が蝋梅ろうばい宮を訪問した時、青藍さんも一緒にいたんですよね。二人はどんな様子に見えました?」


「うむ。二人とも多少緊張されていたが、特段おかしなことはなかった。それに夜伽こそなかったものの、あの日陛下は徳妃を気に入ったのだと俺は思っていた」


「なぜですか?」


「対面のあと陛下は妟肖あんしょう国へ恩賞として絹や銀を下賜していたのだ。相手側の国王と、輿入れを段取りした大臣宛に」


「へえ。そういうのって特別な事なんですか」


「いや珍しいことではない。ただ大臣へ個人的に贈るのはあまり聞かないがな。俺も紫雲も、陛下がそれほど徳妃に惚れこんだのかと驚いたほどだ」


「じゃあその後に陛下の態度が急変したってことですね」


「ああ。だがきっかけが何かはさっぱり分からない」


ふう、とため息をついて私は窓の外を眺めた。横の青藍さんも同じようにため息をつく。

空はまた雪が降りそうなくらいどんよりしている。


なかなか真相にはたどりつけない。けれど陛下と徳妃の間には確実に何かがある。

仮に徳妃に何か重大な秘密があり陛下がそれを掴んでいるとしたら、なぜ私たちに隠す必要がある?

推測だけが私の中で膨れ上がった。



*   *   *



「今日は徳妃様に差し上げたいものがございます」


「これは……?」


「私が創作した物語です」


翌日私は1人で蝋梅宮を訪れ、秀徳妃に『化粧師』を献上した。


「実はこれ、陛下もたしなんでいるものです。共通の話題ができればと思いまして……」


さんざん悩んだ挙げ句いつもの切り札に出たわけだが、今回徳妃にBL本これを渡した理由は二つある。

一つは淑妃しゅくひの時と同じ。陛下からのお渡りが望めない今、他に楽しみを見つけてもらうため。

もう一つは、未だ掴めぬ徳妃の問題を暴くため。

BLがどう作用するかは分からないが、これまで事あるごとに問題解決のカギとなっていたのを思えば試す価値はあるだろう。


「陛下が……この物語を?」


「はい」


陛下効果だろうか。徳妃は不思議そうな顔をしながらも本を手にし、表紙をめくる。


「"異界から聖人を召喚する"……変わった国なのね」


「え、ええ。架空の世界の話ですから」


ブルーグレーの瞳が静かに動き、文字を目で追う。書いた本人が申し訳なくなるくらい真剣に読み込んでくれている。


しかし、物語が後半にさしかかるにつれ徳妃の目の動きはだんだんと遅くなる。最後のページに差し掛かった頃、とうとう視線は紙面から逸れてこちらを向く。


「もしかしてこの国王は……男性が好きなの?」


眉をひそめながら小声で徳妃は私に問いかける。


「あ、よく分かりましたね」


今回渡した第一巻はBLと言われればそう読めない事もない、というくらい要素は薄めである。

これを察知するとは、なかなかの嗅覚の持ち主───もしかして隠れ腐女子か?


そんなことを考えているうちに、足下でバサッと音がした。

元を探るように視線を下げると『化粧師』が床に落ちている。

不思議に思いながら顔を上げると、顔面蒼白で身体を震わせる徳妃が。


「陛下が……読んでいると言ったわね。もしかして陛下のめいでこれをわたくしに?」


「……え?いえ」


「陛下がわたくしに……これを読むよう仕向けたの?」


「違います、が……」


繰り返される同じ質問に、こちらが問いたくなる。なぜそんな見当違いの考えに至るのか。


「やっぱり陛下はわたくしの罪を────だからあの時────……」


私の言葉は耳に届いていないようだ。

徳妃は震える声でうわ言のようにつぶやくと、おぼつかない足で椅子から立ち上がった。そして怯えるように両腕を抱えながら辺りを見回す。


「徳妃様、大丈夫ですか?」


ただ事ではない様子に私も立ち上がると、びくりと反応した徳妃と目が合う。ブルーグレーの瞳にもはや妖艶なファム・ファタールの面影はなく、まるで雑踏にひとり置き去りにされた少女のようだ。

少女はすがるように私の両肩を強く掴む。


「おねがい、もうわたしは、大丈夫……っおかしくなんかない───っ!」


「え、ちょっとどうし……」


どうしていいか分からず辺りを見回すと、私と同じように呆然としていた侍女さんが慌てて駆け寄ってくる。


「徳妃様っ!」


侍女さんの叫び声と同時に私の肩を掴んでいた手が滑り落ちる。

徳妃はまぶたを下ろしぐらりと身体を揺らしたのち、その場に膝から崩れ落ちてしまう。


私はしゃがんで徳妃の肩を支える。


「徳妃様、大丈夫ですか!?」


徳妃の唇が薄く開き、かすかに動いた。しかし声が出ていないので何を言っているか分からない。


「え、なに?」


唇の動きが読めたところで異国語では見当もつかない。



「早く寝台へ!」


「医官を呼んできて!」


「徳妃様!」



蝋梅宮に女官の叫び声が飛び交う。

宦官に両脇を抱えられ徳妃は寝台へ運ばれる。


私はなす術なく立ち尽くす。

掴まれた感触の残った肩を押さえれば、錯乱した彼女の様子が頭によみがえった。


『私の罪』───確かに彼女はそう言った。


「………」


"罪"とは一体なんだろうか。


果たして彼女の抱える問題は、私なんかが暴いて良いものだったのだろうか。


暴いたところで背負いきれるものなのか。


寝台に横たわる細い体を眺めながら、私は自分に何度も問いかけた。


冷たい床には『化粧師』が無用の長物とでもいうように広がり落ちている。

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