任務:徳妃の色香を抑えよ③

その日謁見えっけんの許可をもらった私は、昼すぎに清龍宮の寝殿へ到着した。


朝議を終えたばかりだという陛下は真剣な顔つきでひとり執務机に向かっている。

奥のテーブルにはほぼ手付かずの昼食が並んでいた。


ワーカホリック王の前で私は拱手きょうしゅした。


「陛下、シュウ徳妃とくひの件ですが───」


覇葉国の妃としてふさわしいしとやかな衣装をおくりたいむねを簡潔に伝える。

そして徳妃が去年の来訪以降、陛下を健気に待ち続けていることをほのめかした。


「────いかがでしょう?」


「………」


厚かましくない程度に、それでも熱を込めて話したつもりだったが返事はなく、陛下はただ無言で手元の書状に目を落としている。


「あの、」


「衣を与えるのは構わないが、私からではなくトウコから贈れば良い」


ようやく聞けた言葉はこれだけだった。

しかも徳妃の名を出してから、陛下のまとう空気は明らかに冷たくなっている。


────何か…怒ってる?


「いえ今回は衣装そのものよりも、陛下からという名目の……」


わき上がる違和感に耐えきれず、私は言いかけていた話を止める。

そして単刀直入にたずねた。


「あの……陛下はなぜけるのですか?秀徳妃のこと」


「………」


陛下は何も言わず片腕で頬杖をついたまま書状をめくった。


私は一歩前へ歩み寄り、周囲の侍女や宦官らに聞こえないよう小声で再度問う。


「あまり好みじゃないですか?その、女性として……」


その時陛下が初めて反応をみせた。

長い前髪の奥でいっしゅん大きく開かれた両目がまっすぐ私をとらえたと思えば、居心地悪そうにそらされる。


「まあ……そういう事だ」


さすがに断言するのは気がとがめるのか、言葉を濁しつつも陛下は肯定した。


「そうですか……」


予想はしていたものの、陛下にも苦手な人間がいるという事実に改めて驚いてしまう。


一体どの辺が好まないのか詳しく問いたいところだが、私の推測通りの理由であればさすがに女には答えづらいはず。その辺は後日紫雲さんに任せることにしよう。


「陛下と徳妃が対面されたのはずいぶん前の事だと聞きました。もう一度くらい会ってみてはどうでしょう?それに女性は装いが変われば中身までガラッと変わりますし」


「うーん……面倒だ」


所在なげに話を聞いてた陛下は、とうとう書状を両手で持ち顔を隠すように読みはじめてしまう。


陛下の両脇には奏状をはじめとする書類が積まれているが、その高さは橘賢妃ジーけんひこと尚子しょうこ様の時の半分くらいだ。

あの時は徹夜で付き合ってくれたのに、なぜ今回はこんなに非協力的なのだろう。そんなに徳妃が苦手なのだろうか。


「陛下……紫雲さんも言ってましたよ?後宮ここの夫婦は好き嫌いでは成立しないって」


目の前にいるのがだんだんワガママな子供に見えてきた私は、ついさとすような口調で言う。


「"好き嫌いでは成立しない"か……」


すると陛下は私の言葉を繰り返すようにつぶやいて、書状をゆっくりと机に置いた。


「………」


顔を上げた陛下の目はぞっとするほど冷たく、私は息を呑む。


「……妃たちにとってはその通りだな。だがわたしには───徳妃1人しかいないわけではない」


思いもしなかった言葉に、心臓がどくんと心地の悪い打ち方をした。


陛下は片手を伸ばし、机の端から書物を引き寄せる。


「少なくとも国王には相手をり好みする権利がある。お前も知っているだろう」


そう言いながら陛下が人差し指で叩いたのは私が書いたBL小説の『化粧師』だ。たしかに物語の中では国王がそのような台詞せりふを吐いている。


「その通り、ですけど………でも、」


反論したいのに「でも」に続く言葉が見つからなかった。


陛下の言い分は正しい。後宮とはまさしくその選り好みのためにあるのだから。


だけどこのモヤモヤした気持ちは何だろう。

……解釈違い?に近いかも。


陛下はたしかに女心にうとい。けれどいつだって分からないなりに相手へ寄り添おうとしてくれる。

本当は温かく、繊細で慈悲深い人───そう思っていた。


だから『化粧師』の国王は彼とは正反対の、女たちをモノ同然に扱う横柄な男を書いた。なのに陛下も性根は同じだったなんて────。


失望にも近い落胆に、身体中からさあっと血の気が引いていく。


「でも陛下は……誰も選んでないじゃないですか」


ようやく出た反論は、あまりにも稚拙ちせつなものだった。


陛下は淡々と答える。


「いずれ誰か選ぶ。ただ徳妃は好きではないので選ばぬ。それだけだ」


感情的になっているのはこちらだけ。それが余計に悲しかった。


「至らないところがあれば直すって……彼女、言って……っ」


声が勝手に震え、それから途切れた。


徳妃に至らないところなんて無い。

陛下もそれを分かっている。それなのに────


ふと、奥のテーブルの冷めきった料理が視界に入る。

陛下にとって徳妃をけるのは、円卓を埋め尽くす皿から苦手な食材をけるのと同じなのだろう。


そう思うと胸が苦しい。

陛下から放たれた言葉が、まるで自分に向けられているように突き刺さった。


『1人しかいないわけではない』


『選り好みする権利がある』


夫に、唯一の家族にこんなことを言われたら一体どんな気持ちになるだろう。


これまで出会ってきた妃たちの顔が頭に浮かぶ。

異国の四夫人、それに覇葉人の妃たち。それぞれの胸に悲しみや葛藤を抱えた女性。


私は今ようやく彼女たちの本当の苦しみを理解した。

それは言語文化の違いや、狭い後宮に閉じ込められることではない。


彼女らの人生の全てがたった一人の男の、心のあり方ひとつで決まってしまう、ということだ。


「………」


私が言い返す術を失ったのを察した陛下は、何事もなかったように再び書状を読みはじめる。



「────お話し中失礼いたします。陛下、リュウ宰相が」


重い空気を裂くように後方からよく通る声がした。

振り返ると私の背後に青藍さんが拱手し立っている。


まっすぐ陛下に向けられた固い表情の中で、いっしゅん憂いを帯びた眼差しが私に注がれた。


陛下は青藍さんに向かって軽くうなずき「次の謁見えっけんの時間だ」と椅子から立ち上がった。


「………」


私は陛下に向かって口を開きかけたが結局言葉は出ない。

そんな私に視線ひとつよこさず陛下は背後の青藍さんに向かって歩く。


「秀徳妃は今も陛下を待っています。こんなに寒い中ベールを外してまで……」


すれ違いざまに言った。


「………」


陛下は足を止めたあと低い声で答える。


「徳妃の称号は奪わぬし、衣でも何でも欲しいものは与える」


「そういうことじゃなくて────」


私は振り返った。

黒い衣の背に刺繍された紅色の龍がこちらを睨んでいる。


「トウコへの恩賞は頃合いをみて贈っておく。それで今回の任務は終わりだ」


とうとうこちらを一度も振り返ることなく再び足を進める陛下。

あとから青藍さんがゆっくりと追う。


「陛下にとって妃は、ただの所有物にすぎないんですね……」


2人の背中を見つめながらつぶやいた。

誰にも聞こえない、"特殊な耳"以外には決して届かないほど小さな声で。


それでも陛下は立ち止まることなく、紅色の龍は扉の向こうへ消えていった。



広い部屋にひとり残された私は呆然ぼうぜんと立ち尽くす。

香炉からただよう白檀びゃくだんの甘い香りで頭がぼんやりする。


あの人の心が────見えない。


これまで私がしてきたことは、交わしてきた言葉は全部無駄だったのか。

寡黙さの中に見つけた優しさは、私の勘違いだったのか。

そう思うと心がきしむほど重くなる。


いつか陛下の隣で雨竜の首の話を聞いた時よりもずっと遠い場所に彼はいる。


あんな人と妃の心を繋ぐなんて、できるわけない。

徳妃だけじゃない。後宮の誰一人だって私は救えない。

こんなことで私は……聖人なんて言えるのか。


陛下への失望はだんだんと自己嫌悪に変わっていく。


目の前の景色が曇り硝子ガラスのようにぼやけていくのに気づき、私は寝殿を飛び出す。

出口で見張りの宦官が驚いた様子で私を見たが、声はかけられなかった。


そのまま早歩きで回廊を渡り、門を出たところで歩をゆるめた。

日暮れ前なのにやけに寒いと思ったら、白い粒が視界にちらついた。

この世界で初めての雪だった。

腕に抱いていたライムグリーンの上着に視線を落とす。すそにファーがついて暖かいそれを、私はもう二度と羽織る気にはなれなかった。


仏殿に向かっていたはずの足はいつの間にか桃華宮を歩いていて、屋敷に入るなり私はすぐに自室の扉を閉めた。


冷たい寝台へダイブした拍子に、衣から白檀びゃくだんがふわりと香る。わけも分からず涙がこぼれた。

日が暮れて夕食を知らせる声にも返事せず、そのまま眠ってしまった。


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