任務:貴妃の手綱を引き締めよ①
「それで、貴妃にはどんな問題があるんですか?」
隣を見上げてたずねると、紫雲さんは私から顔をそらすように前を向いて歩く。
「まあ、何というか。お元気すぎるというか……」
「……?」
私達は
背後には宦官と女官が4人ずつ、そろそろと独特の小さい歩幅で付いてきている。彼らは「身体を大きく揺らして歩いてはいけない」という謎ルールによって小鳥のような歩き方をしているらしい。
そんな彼らよりも気になるのが、珍しく足取りの重そうな紫雲さんだ。
「貴妃という名は、何となく四夫人の中でも一番偉い感じがしますが」
「確かにそういう傾向ではありますね」
返事もどことなく上の空だった。
北方の遊牧民族がおさめる金国は周辺国の中でも特に勢力が強く、覇葉国とは同盟関係にある。
後宮においても紅貴妃は最も厚遇されているそうだ。
道中で得られた情報はそれだけ。結局貴妃の人柄などは知ることができぬまま、私は桂花宮という札の掛かった門をくぐった。
「来たな!!」
庭に大きな声が響いて、私たちは思わず足を止める。
屋敷の入口で腕を組んで立つ長身の女性を、私はいっしゅん男性かと思った。
赤い襟合わせの衣装と金色の装飾品をまとい、長い髪をハーフアップにしたその人こそが紅貴妃だったのだ。
四夫人の中で最も高貴とされている妃が、まさか屋敷の前で自ら出迎えてくれるとは思わず、私はその場で挨拶もせず固まった。
「紅貴妃、こちらが翻訳者の…」
歩み寄る紅貴妃に
貴妃はその真横を通り過ぎ、後ろにいた私に向かう。
背の高い彼女に見下ろされ私は慌てて頭を下げた。
「お前がトウコだろう。堅苦しい挨拶は不要だ」
頭上からそう声がして、視界の中に手が差し出された。
ちょっと圧が強いが怒っている感じはない。
「は、はじめまして……」
私は頭を下げたまま貴妃の右手を両手でそっと握ると、力強く握り返された。
彼女の指は女性らしく細長いが、掌には固いマメがあった。
「おい宦官、こちらへ」
私と握手を終えると、貴妃は紫雲さんを振り返って言った。
紫雲さんが無言でこちらへ一歩近づく。
さっきまで私と握手していた貴妃の右手が差し出される。
紫雲さんとも握手するのかと思いきや、その手は彼の腰元へ伸びる。
そしてあろうことか、アレと繋がっているはずの黒い紐を掴みかけたのだ。
私はぎょっとする。
「っ!」
紫雲さんは
貴妃は右手で空を
「僧侶と聞いていたが、なかなか機敏な動きをするじゃないか。やはり宦官でも失うのは惜しいか」
「……いいえ。ただお目汚しいたしますので」
おかしそうに笑う貴妃に対し紫雲さんはニコリともせず静かに頭を下げる。
その背後では、同じく黒い紐を腰から下げた若い宦官たちが一斉に青ざめる。
「………」
私はその場に流れる険悪な空気と、さっき目の前で起こった出来事に驚き口を半開いたまま立ち尽くしていた。
貴妃が“お元気すぎる”とはこういう事なのだろうか。
「何度も言うが私の宮は男子禁制だ。入りたければ本物の宦官になることだな」
ふん、と鼻から息を吐く貴妃。その顔は美しくも勇ましい。
紫雲さんは言い返すこともせずそのまますっと姿勢を正し、私の方を向いて言った。
「ではトウコさん、あとはよろしく」
口元を無理やり緩ませているが目は全然笑ってない。
「え、もう行っちゃうんですか!?」
引き止めようと伸ばした手が衣を掴む前に、紫雲さんは私の横を通り過ぎる。
「あの方の
背中越しに意味深な言葉を残し、ついでに私達もその場に残し、紫雲さんは早歩きで来た道を戻っていく。
その背後からちょこちょこ歩きの宦官たちが、同じく猛スピードでついて行った。
「ええ~……」
先に帰るならせめて、貴妃についてもっと詳細を教えてくれよ……。
困惑しながら隣に立つ貴妃を見上げると、いたずらっぽい笑顔を向けられた。その顔は爽やかイケメン風でちょっとドキッとしてしまう。
「トウコ、お前は歓迎しよう」
こうして私と女官らは桂花宮へ招き入れられた。
聞いていた通り屋敷の広さは四夫人の中で一番かもしれない。けれど調度品の数は少ない。目につくのは暖かそうな赤い絨毯やクッション、座りやすそうな足の低い椅子。生活感があって居心地よさそうだ。
男子禁制ということは、陛下も足を踏み入れたことはないのだろうか。
いずれにせよさっきの紫雲さんへの仕打ちを見れば、ここに陛下を近づけようとは思わない。青藍さんが止めているかもしれない。
私は貴妃に促され席に着くと既にテーブルの上にはお茶の用意がしてあり、お椀のような大きな茶杯に侍女さんが茶を注いでくれた。
「ありがとうございます。ミルクティーなんて久しぶりです」
「飲めるのか?」
「はい」
そう言って私はミルクの香りと湯気がただよう茶杯を両手で持ちあげる。貴妃はやわらかく笑った。
「それは良かった。茶が台無しだと他の覇葉人は毛嫌いするからな」
他の妃同様に紅貴妃には私が語学堪能な覇葉人だと説明してある。
「この国はお茶の繊細な香りを大事にしてますからね」
宮中には何百種類ものお茶があり、それらが季節や時間帯、食べ物に合わせて毎日出されるのだ。
それにしても、王都にはあまり出回らないはずの乳製品をどう手に入れているのかと聞けば、輿入れの際に馬や牛を買ってもらいバターやチーズも作らせているらしい。さすが特別待遇だ。
「このミルクティーは塩味なのですね」
「そうだ。祖国で茶は大事な栄養源だったからな」
北方では野菜や果物があまり食べられないので、ミルクと塩を入れたお茶がそれらの代わりなのだそう。
桂花宮では金国の文化を大事にしているのだろう。
貴妃や侍女さんの衣装は北方民族風だし、貴妃のハーフアップに結んだ髪はよく見ると細かい三つ編みでドレッドヘアのようになっている。
そんな貴妃は、とりあえず私がこのミルクティーを難なく口にしたことで心を開いてくれたようだ。
「私は甘くして飲むのが好きです。砂糖も入れて良いでしょうか?」
「ああ。好きにしろ」
私は机に置いてあった角砂糖を一つ入れ
「このバターを入れても美味いぞ」
そう言って貴妃は白いバターの入った器を差し出し
貴妃はとりあえず悪い人ではなさそうだ。
けれど宦官…というか男性を毛嫌いするのはなぜだろう。
彼女の年齢は22歳、妃の中でも年長者だ。思春期の
やはり文化的なものだろうか。
「……こうも文化が違うと、こちらの食べ物は口に合わないのでは?」
「いや、そんなことはない」
まずは無難な話題から探りを入れてみることにした。
「生の果物や柔らかいパンなんかは、祖国では貴重だった。食べたくても食べられなかったからな」
貴妃は茶請けの揚げ菓子をバクリと頬張る。
私も口にするとドーナツのようなものだった。この菓子も本来はもっと硬いものだったそうだが、食べやすくアレンジしてあるという。
「そういえば陛下は
陛下と食の好みが合うのなら、そこから仲良くなれるかもしれない。
そんな期待を込めながら貴妃の顔をちらりと見ると、彼女はズルズルと豪快にお茶をすすって言った。
「まあ、茶くらいなら共にしても良いが………アレと子作りは勘弁したいな」
「───グフォッ!」
ミルクティーが逆流し気管と鼻に入ってしまった。ツンとした痛みに涙が出てくる。
ゴホゴホと咳き込む私に女官らが慌てて手巾(ハンカチ)を差し出す。
その様子を貴妃は不思議そうな顔で眺める。
「トウコはそのためにここへ来たのだろう?」
「そ、そうですね…まぁ。最終的には…」
話が早くて助かるが、いきなりそんなことを勧めたいわけではない。徐々に仲を深めてほしいだけだ。
貴妃は茶杯をテーブルに置くと、そのまま片
「陛下を初めて見た時は驚いたよ。細いし白いし髭も生えてない。声も小さい。あれで18だと。この国は王まで宦官なのかと思った」
「………」
私は絶句する。
貴妃でなければ、いや貴妃であっても不敬罪で罰せられそうな発言だ。
それでも侍女さんたちは貴妃を
そこに覇葉国と金国のパワーバランスが垣間見えた。
ちなみに金国の男性は血の気が多く大柄な人が多いらしい。
確かに北方民族の人って相撲強いもんな。
私が子供の頃テレビで見た気性の荒い横綱を思い出していると、貴妃がこちらへ身を乗り出し恥じらいもなくたずねた。
「なあ、あのお坊ちゃんは
「それは……たぶん大丈夫かと」
ちらちらと周囲を気にしながら私は小声で答えた。
桂花宮の侍女さんは全く気にする素振りもなく茶のお代わりを注いでいる。私と共に来た女官は下を向いている。
「なぜそう言える。トウコは見たことあるのか?」
「いや無いですが……お子さんいるみたいですし」
女の園での
「王妃が特殊な手技でも使ったのかもしれんぞ」
「………」
やめてくれ。想像してしまうから。
私の妄想はBLというファンタジー限定なのに……。
ついに私は女官らと同じように顔を伏せてしまう。
先日の
あのBL漫画の主人公(受)みたいな人がどうやって男の務めを果たしたのか私にだって分からない。
……だめだ。また色んなものが卑猥に見えてしまう。
私は茶杯を両手で抱え、お茶の表面に浮かぶ白い膜を食い入るように見つめる。
「トウコは面白いな」
その向こう側で肩をすくめて笑う貴妃。
この感じ、何かデジャヴ……。
あ、紫雲さんを相手にしてる時だ。
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【こぼれ話】
キャラクターの身長、現在のイメージはこんな感じです。
後から変わるかもしれません。
緑狛 190弱
青藍 179
紫雲 176
憂炎 168
橙 160
紅貴妃 170
トウコ 158
橘賢妃 153
燕淑妃 145
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