即席の宦官たち

今日は桃華宮にめずらしい来訪者がいる。武官の緑狛リョハクさんという大柄な男性と、その部下2名だ。

青藍さんに連れられ部屋に足を踏み入れた緑狛さんは、はじめ何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回していた。


私が揖礼し「はじめまして、トウコと申します」と述べると


「おお、あなたが桃聖人トウせいじんでしたか。そんな格好してるから女官かと思いましたよ」


と、目を大きく開いて言ったあと恭しく揖礼した。


私はふだん上級女官の衣装を着ている。なので一見すれば妃嬪の側に仕える侍女のようで、屋敷の主と気づかないのは当然だろう。

ちなみに緑狛さんらも含め城の覇葉人は皆、私が異界から召喚されたことを知っている。ただ国防上の理由から異国の妃たちにだけは秘密なのである。


「私は妃嬪ではありませんし、仕事は女官の方が近いので」


答える私に続いて青藍さんが言う。


「桃聖人はこのような方なので、そこまでかしこまる必要はない」


いつも「貴様」とか「この女」とか呼ばれている人に言われるのはしっくりこないが、私の正式な呼び名は「桃聖人」である。

聖人というのは異界から召喚された異能力者の呼称なのだが、単に「才能のある者」という意味もある。

なので仮に私が聖人と呼ばれるのを部外者が聞いても、それは「博士」とか「先生」のような意味で理解してくれるようだ。



緑狛さんはホッとしたように顔をほころばせた。


「そうか。桃聖人の噂は聞いているぞ。言語能力に加えて人の心を掴むのが上手くて、気難しい異国の妃ともすぐ打ち解けたとか」


「いえ、たまたま会話の流れで……」


「この調子で千涛国せんとうこくの王子の心も掴んでくれよ?」


白い歯を見せてニカッと笑う緑狛さんも、かなり人好きな感じがする。

体つきはさすが武人といったところで、身長は青藍さんより少し高く肩幅は倍近くある。ゆったりした緑色の武官服の上からもガタイの良さが分かる。


私は今一度背筋を伸ばしたあと一礼した。


「本格的な通訳は初めてなのですが……頑張ります」


20日後に千涛国せんとうこくという国から第四王子率いる使節団がこの覇葉城へやって来る。彼らをもてなす際の通訳を私は頼まれていた。

迎賓のメインイベントとして行われるのが騎兵試合であり、そこで覇葉国代表として千涛国と戦うのがこの緑狛さんら武官3人なのだ。


「ところで騎兵試合というのは、具体的にどんなことを?」


私の質問に緑狛さんが答える。


「簡単なもんさ。馬に乗った俺たちがそれぞれ腰から下げた佩玉はいぎょくを奪い合う。相手方3人全員の佩玉を先に奪った方が勝ちだ」


「へえ、確かに単純ですね」


運動会の騎馬戦のようなものか。

昔は実際に武器を使って闘う事もあったが、迎賓の場で血が流れるのは避けたいということで今はこのスタイルになったそう。


「仕組みは単純でも、内実は到底遊びなどではない。勝算はあるのだろうな?」


青藍さんが人差し指で眼鏡を上げ、緑狛さんへ釘を刺すように言う。


「まあ、やってみない事には分からんな。こいつらは他国との試合は初めてだし」


そう言って緑狛さんは背後の部下たちを振り返る。

真面目そうな若い2人は元から引きつっていた表情を固くした。


「"内実は"ってどういうことですか?」


私は青藍さんにたずねる。


「国対抗の騎兵試合というのは、それぞれの国の戦力をはかるもの。その国で最も優れた武人同士を闘わせる、いわば仮の戦だ」


若い武官2人がまた肩を強張らせた。その様子は"仮の戦"という言葉が決して誇張ではないことを教えてくれた。


「千涛国とは近隣国でありながらしばらく国交がなく、後宮への輿入れもない。今回の使節団が久々の外交となるわけだが、もしこの試合で我が国が負ければ…」


青藍さんの神妙な物言いに、私の頭の中で三国志の合戦が始まった。


「い、戦になって攻め入られるとか────?」


背中に冷や汗を感じながらそう言うと、緑狛さんが肩を上げて笑った。


「いきなりそうはならないさ。だがまずい状況にはなるだろうな。外交上、不利な条件を突き付けられるとか」


青藍さんは額を押さえながらため息をつく。


「相手方はそれを狙っているとしか思えんのだ。王太后様が亡くなり、お若い陛下の親政(自分で政治をすること)が始まったこのタイミングで使節団を送ってくるなど」


「いざとなったら李宰相リさいしょうが何とかしてくれるだろう」


緑狛さんの言う李宰相というのは青藍さんの父上である。宦官出身で前王時代から国王の右腕として手腕を振るっているらしい。


「その宰相から念を押されているのだ。くれぐれも無様な負け方はせぬように。もし負けた場合は『実は大将が負傷していた』とでも言い訳できるようにと」


「だから事前に通訳の私を引き合わせたんですね……」


私は肩を落とす。

ただの迎賓会と騎馬戦かと思ったら、そんな物騒な事が行われるなんて……。

しかもその通訳を担うとは。荷が重い。


そして私以上にプレッシャーを感じてそうな者もいる。


「ていうかお2人、大丈夫ですか?すっごく緊張されてるみたいですけど」


私はさっきから気になってた緑狛さんの部下達を覗き込んで言う。

大会までまだ日があるというのに、彼らはこの部屋に入った時から頬を赤らめ、足をソワソワと動かしている。


「ああ、こいつらがこんなガチガチなのは試合のせいだけじゃないんだ。2人とも後宮に来るのが初めてで」


「はい……?」


後宮が初めてで、というと女に耐性がないのだろうか。しかし色気のない私なんかに緊張しなくても……。


そう思いながらふと彼らの腰元に目がいく。帯から黒い紐が2本垂れ下がっていた。


……そうだ。この国では宦官でない男性も後宮に入る時はこうして"即席の宦官"にされるのだ。


ははーん、なるほど。

そりゃあ"初めて"ならソワソワするわな。さぞ心地悪いだろう。


「今はこんなだが、馬術も武力も申し分ない。うちで特に優秀な2人だから安心してくれ!」


緑狛さんは2人の背後にまわり両手で背中をボンと叩く。

2人は「ひっ!」とか「ひゃあ!」とかまるで本物の宦官のように高い声を上げて身体を跳ねさせた。


私はにやけそうな口元を一文字に噛みしめこらえる。


「……そうですか。頑張ってくださいね」


うんうんと頷きつつ色んな意味でエールを送った。


いっぽう緑狛さんの方はアレを何度も装着しているのか、黒い紐をぶら下げても平気そうである。


「………」


ふと、あることが気になった。

彼らの着けるアレには、女性の下着のようにサイズとかあるのだろうか。

例えばこの身長2メートル近くありそうな緑狛さんと、小柄な医官のチェンさんが同じアレを着けているとは考えにくい。

全てオーダーメイド……はさすがにないだろう。


私は今だ見たことがないアレ、考えるほど謎は深まるばかりである。


そういうことは紫雲さんに聞けば嬉々として教えてくれそうなのだが、いらぬ知識まで増えそうなので遠慮したい。

ていうかもし紫雲さんがここにいたら「トウコさん、また何か楽しげな事を考えてますね?」とか言って無駄に美しい顔をぐいぐい近づけてくるに違いない。


そんなことを考えていると、そこら辺からひょっこり現れそうな気がしてきた。

私はつい首を左右に振り辺りを警戒してしまう。


「おい大丈夫か?桃聖人まで挙動不審になってるぞ」


緑狛さんがいぶかしげな顔でこちらを覗き込んで、青藍さんにたずねる。


「……気にするな。聖人のこれは発作のようなものだ」


ため息をつく青藍さんが視界の端に映ったが、今の私はそれどころではない。


紫雲さんの不在を無事確認すると、私はにやりと口角を上げた。


この緑狛さん。男らしくて面倒見も良さそうで、これまでなかなかお目にかかれなかったタイプの男性。

いわゆる「総攻め」である。

攻め不足だった後宮BL小説には貴重な人材になるだろう。

今度の新作に使えそうだ。


───受けはどっちにしようかな?


考えながら私は若い2人の顔を交互に見やる。名前は寛吉かんきつ姜忍きょうにんだと言っていた。


2人とも眉がキリッとして鼻が高く、なかなかのイケメンである。

ていうか覇葉国は城内全体で顔面偏差値が高い。


以前女官さんにそれとなく理由を聞いたところ、今のような試験制度ができる前、昔の役人はいわゆる「顔面採用」だったのだと教えてくれた。結果的にその子孫らが今も城で働いているから、イケメン率が高いとのこと。


そんな血統書付きのイケメンも、まさか自分達がそういう目で吟味されているとは思いもしないだろう。

両腕を胸の前で組む私の真剣な眼差しを注がれて、寛吉かんきつさんと姜忍きょうにんさんは顔を恐怖でひきつらせ身体をぶるりと震わせた。

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【こぼれ話】


覇葉国の有力な宰相には青藍の父の李氏と、もう1人リュウ氏という人もいます。

劉氏は王太后の親族で、いわゆる外戚です。

双方は日本でいう右大臣と左大臣みたいなライバル関係です。


劉王太后は摂政時代あえて劉氏ではなく李氏を重用していました。青藍が憂炎の側近になったのもその影響です。

重用の理由は李氏の方が経験豊富な賢臣だというのもありますが、劉氏は外戚でありながら、本当は憂炎と血の繋がりがないということも大きいです。

万が一憂炎の出自がばれた時に、劉氏が権力を掌握していたら朝廷は大いに乱れ憂炎の身に危険が及ぶことを恐れていました。

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