夜用の衣装

「トウコさん、後宮での生活はどうですか?何か不便などありませんか」


寺院から覇葉城へ帰るため、私達はそろって馬車に揺られていた。


この国の馬車は西洋のそれのように左右のドアはなく、前方から乗りこむ。

座席の最奥で進行方向に向かって座るのは憂炎陛下。その両脇、車両の側壁に沿った長い板の座席に私たちが座っている。


本来陛下には専用の馬車があり、私たちと同乗することは無い。

けれど今回は急いでいたのと、陛下の存在を隠すため、私たちと共に武官用の質素な馬車に詰め込まれている。


「あのー、その事なんですけど……」


私を気遣いたずねてくれた紫雲さんに、私はこの数日間考えていたことを口にした。


「私やっぱり翻訳以外に特別なスキルも無いみたいですし、それであんな立派なお屋敷いただくのは申し訳ないんですよね。衣食住いただけるだけでも有り難いのに……。今後はよろしければ、宮女として下働きでもさせてもらえませんか?今回みたいに何か必要な時だけ呼んでくださればいいので」


「それは許可できないな」


冷淡に言い放ったのは向かいに座る青藍さん。


「貴殿があらゆる言語を解読できるという異能力者であることは明確だ。そうである以上、ただの女官扱いするわけにはいかない。それに……その、」


言いよどむ青藍さんの代わりに紫雲さんが口を開いた。


「今回のことでトウコさんは陛下の"秘密"を知ってしまいましたよね。これはいわゆる“国家機密”です。そうなると外部に漏らさないよう監視する必要があります。常に私達の目が届く所にいてもらわないと」


「え……私この世界に知り合いいませんし、誰にも話しませんよ?」


「今はそうでしょうが、今後は分かりませんよ。たとえばバオ語のように、私達の分からない言語で文書を書かれでもしたら……」


そう言って形ばかりの笑みを浮かべた紫雲さんの顔がじりじりと迫ってくる。


───怖い。


端正な顔立ちは間近で見るほど迫力がすごい。とくに眼力がすさまじく、口元は緩んでいるのに目は獲物を狙う鷹だ。

私は何も言い返せなくなる。


私の脳裏に後宮ドラマで見た拷問がよぎる。鞭打ちやはりつけに水攻め、あとあの、表面が尖った板の上に座らされる痛いやつ────とにかく女だからと一切容赦なかった。


いま目の前の美しい僧侶は、それさえやってのけそうな気迫である。


私は後ずさるように上半身をのけぞらせたが、狭い馬車でこれ以上逃げ場がない。


「えーっと………」


紫雲さんから顔を逸らしつつ窓の外を見る。


いっそ馬車から飛び降りてやろうか。

いや下手したら死ぬ。

上手く行っても捕まったら殺される。

逃げ切ってものたれ死ぬ。

どの選択肢も死亡エンドしか見えない。

それ以前に私の居場所は後宮しかない。


→無言でうなずく


今の私はこの選択肢を選ぶほかない。



「……では、これからも昴宮すばるきゅうでお過ごしくださいね」


にっこりと微笑む紫雲さんを見て私はようやくまともな呼吸ができた。


同時に青藍さんがやれやれという表情でため息をつく。


もしかして、紫雲さんっていつもこんな感じなんだろうか。


そして青藍さんは隣の陛下に問いかける。


「陛下、『昴宮』というのは以前王女様が住んでおられた時の名です。管理のため新しい名をつけてもよろしいでしょうか」


「────ああ、任せる]


陛下は顔を窓の方に向けたまま抑揚よくようのない声だけで返事をした。


続いて紫雲さんが問う。


「それと、今回功績を上げたトウコさんには下賜品かしひんたまわらねばなりませんね。品はどうしましょう」


「────お前に任せる」


紫雲さんにも以下同文。興味ゼロというのがひしひしと伝わってくる。


普段から2人を信頼しているからこそなのだろうけど、陛下はたぶん後宮の細かい事柄が面倒くさいんだろうな。きっと表の政務だけで精一杯なのだろう。


しかし私への「下賜品」って……。

大した事してないし何もいらないと言ったのだが、こればかりは本人の意志に関わらず形式的に何か贈る必要があるらしい。今後の後宮での地位を確約するためにも、と。



「では、夜用の衣装を賜りましょうか。トウコさんにはまだ支給できていなかったので」


「?夜の寝間着ならいただいてますけど…」


ちなみに今私が着ているのも覇葉国の衣装だ。

下はロングスカートで、上はチューブトップに長い法被はっぴのような上着を羽織るのがこの国の女性のスタンダードな服装らしい。

色は全体的にくすみカラーで、割と現代風だなと思う。


「就寝用ではなく夜伽よとぎ用ですよ。こう、身体に巻きつけるタイプの衣で、不器用な陛下でも胸の前の結びひもをほどけば簡単に脱がせられるんです」


「────よ、よとぎ!?ヒモ!?」


予想もしていなかったワードが紫雲さんの口から飛び出し、私は大声を上げる。

ていうか、そういう衣があるのか……。


それに、ニコニコとやけに嬉しそうな紫雲さんの表情が気になる。さっきの恐ろしい顔面とはまるで別人だ。


「ああ、全て脱ぐ必要はないのでご安心を。前だけ開けておけば大丈夫…」


「紫雲っ!」


さっきまでぼーっと外を眺めていた陛下が、すごい勢いでこちらを向き私以上の大声を出す。


驚きそれを凝視する私と目が合った途端、陛下はしぼんだようにうつむく。


「そのようなことは……せぬから。安心してくれ」


「……は、はい!」


今度はあまりにもか細い声で、それが私に向けた言葉だと気づくのに間があいた。


「紫雲、陛下をからかうんじゃない」


「陛下がいつもそうやって、後宮のことは何でも人任せにするから悪いんですよ」


ぎろりと睨む青藍さんを前にしても紫雲さんは悪びれる様子もなく、自らの髪を手櫛てぐしでといている。

この数日間の過酷な旅により、髪や肌が荒れているのがどうしても許せないらしい。


……何となく分かってきた。


青藍さんがいつも真面目で固い感じなのって、この人のせいな気がする。

はじめ『偉そう』『あんま好きくない』とか思っててすみません。



「……紙と筆を贈る。それでいいかトウコ」


思いがけず正面から陛下の声がして、また心臓が跳ね上がる。


「────は、はい!ありがたい!」


動揺しすぎて『有り難く頂戴します』と『ありがとうございます』をごちゃ混ぜにした挙げ句半分切り落としてしまい、結果友達みたいな返事をしてしまった。これ、彼らの耳にはどう届いているんだろうか。



目の前でうつむく陛下の顔は長い前髪で隠れており、かろうじて見える2つの耳は桃色に染まっている。


そこにはただの18の青年……というかうぶな少年がいた。


こんな調子で後宮に山ほどいる女性の相手するのって、果たして大丈夫なんだろうか。

あーでも子供もいるって言ってたから、やる時はやるんだろうな。うん。


まぁどっちにしろ喪女が心配する事案ではないか。


しかし、いつも男同士の妄想しかしていなかった私が、不覚にも一瞬だけ自分の夜伽を想像してしまった。

後宮で屋敷も貰っている限り、そういうことを求められる機会もあるのかと……いや何を考えてるんだ!


口直しの為にも私は脳内で『紫雲×青藍』劇場を繰り広げることにした。


静かに目を閉じれば余計な情報は遮断され、馬車の振動だけが激しく身体に伝わる。



───狭い馬車の中、揺れる身体を寄せ合う2人は


───かかる吐息で


───白く曇った眼鏡をそっと外し……


────


────




「……おい紫雲。この女、陛下の御前でにやけながら眠っているぞ。気味が悪いからさっさと起こせ」


「別に良いじゃないですか。きっと元の世界の夢でも見てるんですよ」



*   *   *



そういうわけで、私は引き続き後宮内のお屋敷で暮らすことになった。


ちなみにお屋敷は『桃華宮』という、どこぞの姫かと思うほど可愛らしい名がついてしまった。

はじめは名前のまま『桃子宮』というのを提案されたのだけど、桃の子宮って何かヤだったのでこちらを採用せざるを得なかったのだ。



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