晴 時雨

 その日も、鶏助は真っ青で雲一つない養鶏場の空を見上げていた。


 とはいっても、鶏助の視界の半分以上は鶏助の体の凡そ十倍の高さである黒黒とした柵で埋まっている。鶏助は一度甲高く鳴きながら、今日もこの養鶏場からの脱出の策を練る自分を鼓舞した。


 一般的な一軒家の土地の三倍はあるであろう、広大な養鶏場の一番奥の隅っこには鶏助が2ヶ月前から考えている脱出の策がびっしりと描かれている。


 ここは風も雨も当たらないし、この養鶏場の主人も滅多に、いや絶対にこないと言ってもいいだろう。


 秘密ごとを隠すには持って来いの場所なのである。


 新しく思いついた策を器用に嘴の先で地面に描いていると、鶏助の反対側の隅っこでいつも外を眺めている鶏治郎がのそのそとやってきた。


「君はずっと、そこで何をしているんだい?2ヶ月ぐらいずっとその調子じゃあないか」


 鶏助は質問には答えなかった。


 こいつに自分の策を教えたら、こいつが策を横取りするかもしれない。


 そう思ったからだ。


「まぁ、色々と絵を描いてるんだよ。最近はまっていてね」


 ふうん、とわざとらしく呟いた鶏治郎は、一度鶏助の大作に目を向けてから新たな話題を提供した。


「そういえば、君は彼を覚えているかい?ほら、先月にここを脱走したやつさ」


 鶏治郎が言う「彼」とは、先月突然養鶏場の柵を超え、柵を超えた次の瞬間それを遠くから狙っていた狐に喰われた鶏太という鶏であった。


「あぁ、覚えているとも。あいつは実に阿呆なやつだった。この場所からの脱出をふと思いついたまま、何も考えずに行動にうつした結果があれだ。惨めで忘れようにも頭から離れないさ」


 鶏助は口元を不気味に歪ませながらケラケラと笑った。


 2ヶ月前から養鶏場からの脱出の柵を練っている鶏助の目には、何も考えずに直に行動するやつは最も軽蔑すべき相手だという風に移っていた。


「そうか、君はそう思うのか。僕はね、結果としては失敗に終わったが、考えたことを行動にうつしたという点では彼は立派だったと思うよ。尊敬と言えば大袈裟だが、僕は彼に良い印象を抱いているよ」


 鶏治郎が物思いにふけるように、空を眺めながらそう言った。


 この鶏治郎の発言は、鶏助の神経を逆撫でした。


 彼にはこの発言が、自分の事を知ったうえでの発言ではないかと疑ったからだ。


「そうかい。君とは意見が合わないようだ」


 鶏助はそう吐き捨てると、鶏治郎は何も言わずその場を立ち去った。


 鶏助は再び思考に耽り始めた。


 その日は遂にやってきた。鶏助が屠殺場へ送られる日だ。


 運悪く、その日は鶏助が脱出計画をとうとう実行する日であった。鶏助はなすすべもなく、いとも簡単に連れて行かれてしまった。


 養鶏場の隅では壮大な逃亡計画が虚しく佇んでいた。


「やっぱり君はとんだ阿呆だよ」


 鶏治郎は養鶏場の奥へ入りそう言った。


 そして外に出ると、鶏助の計画が書き記されたのとは反対側の隅にたまった藁を器用にどけた。


 そこには彼が1ヶ月前から地道に掘っていた抜け穴がある。


 彼はそこに養鶏場から盗んできた鶏助の肉を放り込んだ。


 穴の中からは鶏太を喰った狐が覗き込んでいる。


 狐はそれを受け取ると、鶏治郎を山の奥へと案内した。

 

 穴を抜けた鶏治郎は口元を不気味に歪めた。


 彼は狐と共に山の奥へと姿を消した。

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