3ー1

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 天井?

 変わった天井だ。板の隙間にすべて紙が貼ってある。それにたくさんの赤とうもろこしがぶら下がっている。

 どうやら僕は布団に寝ているようだ。

「気が付きましたか?」

「あ、奥様」

 奥様はまた唇に指を当てて、「しっ」と言った。

「あのう……」

「私のことはすずと呼んでください」

「すず……さん、ですか? でも先生の奥様ですよね」

「そうなんですけど、そうじゃないことになっているんです。ある方に秘密にしているものですから」

 ある方がだれなのか気になるが、秘密にしていることをたずねるのは気が引ける。その代わりというわけではないが、気になっていることを訊いた。

「先生が、ば、と言えばなんのことでしょうか?」

「ば、ですか?」

「はい。先ほど僕が奥様、と大きな声で言ってしまって慌てて口を押さえた時に、先生はば、とおっしゃって言葉を飲み込んでしまわれたんです。やはり馬鹿でしょうか?」

 すずさんは、「ほほほ」と笑って、「黴菌ばいきんの『ば』でしょうね」と言った。

「寺木さんは外を歩いてきた手で口を押さえましたよね。手を洗わずに。ですから黴菌が付いていると言いたかったのですわ」

「はあ」

 わかったようなわからないような説明だが、馬鹿と言われたわけではないことに少しほっとする。

「それと、あれはなんですか?」

 僕は天井からぶら下がっている赤とうもろこしを指さした。

「あら、知らないんですか? 赤とうもろこしは雷よけのおまじないですよ」

 すずさんは微笑んで立ち上がった。

 雷よけのおまじないを、どうしてこんなにたくさんぶらせているのだろう。それに僕はまだ訊きたいことがあった。天井に貼ってある細長い紙だ。だが、すずさんは二階へ上がる階段の下へ行ってしまった。そして上に向かって声を張り上げた。

「先生。寺木さんが気が付かれましたよ」

 二階には書斎があるので、執筆なさっていたのだろう。

 すぐに先生が下りてきて、「大丈夫かい?」と訊いた。

 僕は飛び起きたが、すぐに頭がくらくらしてまた横になってしまった。

「まだ寝てなくてはいかんよ。お医者を呼びにやろうかと話していたんだが、気持ちよさそうにすーすー寝ているので、ようすを見ることにしていたんだ。びっくりしたよ。急に目を回して倒れるんだから」

「すみません」

 初めて来た、しかも尊敬する鏡花先生のお宅で気を失ってしまうなんて、なんて情けない。婆さんの目が光ったからといって、それがどうしたというのだ。

 僕は、今度は慎重に起き上がり、布団から下りて頭を下げた。そして恥の上塗りになるかもしれない、と心配しながらも言い訳めいたことを言った。

「さっき来たお婆さんですが、煙草屋のお婆さんとそっくりなんです」

「そりゃあそうだろう。姉妹なんだから」

「そうなんですか? それじゃあ僕の下宿のまかないのお婆さんもそっくりなんで、三つ子でしょうか?」

「三姉妹だって聞きましたよ」

 すずさんが答える。

「それでびっくりして目を回したのかい?」

 鏡花先生は懐手をして、ちょっとからかうように言った。僕はムキになって三人の婆さんの目が光ったことを話した。マツ、タケ、ウメの目はそれぞれ赤銅色、銀、金に光っていたこと。その光を見る度に僕の頭がどうかしてしまうこと。

「ほう」

 先生は面白そうな顔をして、妙な紙を貼り付けた天井を見上げている。

 僕は思った。多分、僕の話に触発されて物語ストオリイを作っているのだと。

 そこへ例の婆さん、マツが飛び込んできた。

「ちょっと大変だよ。あの家で人が死んだって」

「あの家?」

 婆さんの慌てように、動じることもなく鏡花先生は問い返した。

「ほら、矢来町の洋館の」

「ああ、佐々山さんですか。だれが死んだんです?」

 僕は直感的に、あの美しい稲さんが死んだのだと思った。

「あそこの奥様だよ」

「やっぱりそうですか」

 思わずそう言うと先生は怪訝そうに僕を見た。

「あ、いや。さっき煙草屋で会ったもので」

 僕は理由にもならないことを言って赤面した。

「さ、早く」

 婆さんが先生と僕を交互に見てそう言った。

「え?」

「今、佐々山の家では警察が来たり、野次馬が集まったりでそりゃあ大変な騒ぎなんだ。あんたらも行くだろう?」

 早く早くと急かす婆さんに先導されて、先生と僕は神楽坂を駆けて行った。驚いたのは僕たちの前を走る婆さんが、まったく年を感じさせないことだ。万年運動不足ぎみであろう鏡花先生や、さっきまで気を失っていた僕の数倍も若々しく下駄を鳴らして走って行く。

 神楽坂は日が落ち、店の軒先の提灯に灯が点っている。人の出は減るどころか増えているようだ。婆さんは人の間を縫うように機敏に身を翻して走った。

 僕はその後ろ姿を見て、ずっと引っかかっていた妙なことに気が付いた。

 最初は下宿の婆さん、ウメである。昨日渡すはずだった鏡花先生の葉書を今朝になって渡し、出かけようとする僕に用事を頼んで引き留めた。それがあったために、煙草屋でちょうど佐々山稲に会うことになった。

 こうやって佐々山邸に向かって走る僕は、なにか三人の婆さんに導かれているような気がする。

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