3.掃除したら和菓子をもらいました
伊織と野間は喫煙所から元の場所へ戻った。
「で、話を進めるけど、ここは疲れた人が来るところなの。掃除して食べて寝れば疲れが取れて戻れるよ」
「掃除って、どこの?」
「境内と本殿の掃除」
「道具はあるよな?」
野間が瑞雲と会話しているのを眺め、伊織は静かにため息をつく。おかしなファンタジー世界に迷い込んでしまって帰れない状況だというのに、野間が平然と話しているからだ。
「まずはこの境内の掃き掃除で、あとは本殿の外廊下の水拭きかな。道具ももちろんあるから」
「わかった、やってやるよ」
「あのさ、それってもしかして、本当は瑞雲がするべきことなんじゃない?」
「……きみ、伊織だっけ? 鋭いね。そのとおり、本当は僕がしないといけないんだけど、最近ちょっと力使いすぎちゃったから、体がここまでしか大きくなれなくて」
「そうなんだ。もしかして、力があれば人間の姿にもなれる?」
「うん。掃除はいつも人間の姿でやってる」
「掃除要員が欲しくて僕たちをここへ?」
「僕や天狐様がきみたちを呼んだわけじゃなくて、疲れた人が入ってくるんだ。で、来た人が掃除して食べて寝ると、疲れが取れる。掃除が終わってきれいになると僕の力が戻る、そういう仕組みなの。力は何もしなくても少しずつ戻るんだけど、神宮がきれいになればなるほど早く戻るんだよ」
「へぇ」
「掃除してくれた人には、お礼においしいものをごちそうして寝かせてあげるって流れになるね」
「なるほど」
野間の順応力に半分呆れながら感心していた伊織も、瑞雲と話し始めるとするすると会話が続いた。目が細いポメラニアンが自分は狐だと主張しているのを無視すればいい、気にしたら負けだと気付いたのだ。
「じゃ、こっちね」
いそいそと掃除用具入れに案内する瑞雲の後ろを、二人は付いていった。まずは落ちた枯葉などを掃いて集める作業から開始しろと言われ、竹箒をそれぞれの手に持つ。
「しっかし、疲れてる人に掃除させるなんてけっこう鬼畜だよな。ま、俺は疲れてないから、こうして掃除しているわけだが」
「本当に? 野間さん、くたびれてるおっさ……お兄さんに見えるよ」
「あぁ? 今おっさんって言おうとしたろ? 疲れてなんかないっての。ちょっと職場で新人に嫌われてるくらいで」
「嫌われ……あ、わかった。その『あぁ?』とか、さっきの『んだと!?』とか、新人にもやってるんでしょ」
突然顔を伊織の方に向けてすごんでみせた野間に、伊織は言い放った。特に怖いとは感じないが、職場の新人にとっては怖いのかもしれないと思ったからだ。
「……やってるけど……」
「それがよくないんだよ」
もともと猫背気味の野間の背中が、声が小さくなるとともに一層丸まっていく。
「俺、口悪いんだ……」
「口が悪いって、損しちゃうよ」
「うっ……」
「あとさ、猫背やめたら?」
「身長が百八十センチ以上あるから、たまに頭に何かぶつかるんだよ」
「じゃあ、せめてここではびしっとしていようよ。上に何もないんだし。そしたら格好よくなるから」
ぱっと顔を上げ、「格好よくなるかな?」とニヤニヤしながら言う野間に「ちょっとだけね」とドライに言うと、伊織は竹箒を動かした。
「ほら、早く終わらせよう」
「そういえば、別にいいけどおまえ敬語使わなくなったな」
「何か、野間さんに使うの馬鹿らしくなってきて」
「何でだよ……」
◇◇
「よし、終わった。
「おー、すごい。二人だから早かったね」
境内の掃き掃除と本殿の外廊下の水拭きを終え、野間に呼ばれた瑞雲が「きれいになった」と喜んでいる。
「これで僕も力が戻るのが早くなったよ。ありがとう」
そう言うと、瑞雲の体がむくむくと大きくなった。小型犬から大型犬くらいの大きさになっただけで目が細いポメラニアンに見えるのは変わらないのかと、伊織は少々がっかりした気持ちで「よかったね」と言う。
「まだ人間にはなれない?」
「うーん、それはまだかな」
「そっか」
「でもだいぶ力が戻ったから、もう少ししたら人間の姿になれる。ああよかった、これですぐに買い物も掃除も料理もできるようになるよ。助かったぁ」
機嫌の良さそうな瑞雲に、野間が何か言いたそうにしている。きっと次の段階の『食べる』に移行したいのだろう。
「で、何を食べさせてくれるの?」
野間の代わりに伊織が尋ねると、瑞雲は「ちょっと待っててね」と言って、本殿の扉に飛び込んだ。
「うわっ!」
瑞雲の唐突な動きに、野間が大きく叫んだ。本殿の正面には立派な木の扉が付いているのだが、瑞雲の飛び込み方は物理的法則をまるっきり無視していた。閉まっている扉の隙間に吸い込まれるようにするりと入ったのだ。
「あいつ、扉開けないで入りやがったぞ。あーびっくりした」
「やっぱり僕たちの常識って通用しないんだなぁ。さすがファンタジー世界」
「……なあ、戻ったら百年経ってるとか、ないよな……?」
「……どうだろう……聞いてみないと……」
そうする必要などないのだが、二人が声を落として会話していると瑞雲が戻ってきた。出てくる時もやはり、扉を開けずにするりと抜け出すような動きだった。
「おかえり」
「ただいま。持ってきたから、こっちで食べて」
伊織が声をかけると、瑞雲はふくふくの手に持った大きめの盆を掃除したばかりの外廊下に置いた。盆には熱そうな緑茶と二種類の和菓子が乗せられている。二人が外廊下に腰を下ろしたのを見届け、「こっちがよもぎ餅で、こっちがいちご味の淡雪だよ」と瑞雲が説明を入れる。
「わぁ、きれいな色だね。おいしそう、いただきまーす」
「和菓子か。俺ちょっと苦手……」
野間は申し訳なさそうな表情で、瑞雲に向かって手の平を立てて向けた。
「そんなこと言わないで、食べてみて。気に入るかもしれないよ」
「うん、おいひい」
「伊織、もう食ってんのかよ。うー、じゃあ一口食べてみるか……いただきます……」
よもぎ餅を口いっぱいに頬張った伊織をちらりと見ると、野間はよもぎ餅を睨みつけながら口に入れた。何も睨まなくても……おいしいのに……と伊織は思うが、思うだけで、食べることに忙しい口は言葉など忘れてしまったかのようにもぐもぐと動いている。
「あ、うまい。何だこれ、すげえうまい。よもぎの香りがよく合ってて」
「野間も気に入った? これ、近所の商店街の梅屋のよもぎ餅で、おいしいって評判なんだ。で、こっちはほろっと溶けるような口当たりが自慢の淡雪で……」
「本当だ、溶けた。もうなくなっちゃったよ。瑞雲、おかわり」
「伊織、意外と食いしん坊だね……悪いけどおかわりはないよ……」
おいしい和菓子をぺろりと完食した二人に、瑞雲が「そろそろ眠くなるよ」と言う。
「ほんとだ、ちょっと眠くなってきた……」
「伊織、風邪引くなよ。上着いるか?」
「野間さんだって眠いでしょ……いらな……」
口は悪いけど優しい人だなと、伊織が野間に対する認識を確かめたところで、意識がだんだん薄れていく。寒いわけではないが、表に面している広い外廊下の木の床は寝るのに向いていないのではないかと思いながら、伊織は眠りに落ちた。
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