第8話 雨の夜


 虎徹で夕餉を済ませた後、カオルはモトカネを取りにホルニ工房へ早足で歩いて行った。マサヒデがのんびり歩いて帰る途中、カオルが革袋に入ったイエヨシとモトカネを抱えて、これまた早足でイマイの所へ戻って行く。


(やれやれ)


 マサヒデは口の端を小さく上げて笑いながら、雨の中をのんびりと歩く。

 もう日は沈み、職人街は静かだが、傘に当たる雨の音が賑やかだ。


 ぴちゃぴちゃと足を鳴らしながら歩いていると、すぐにカオルが追いついて来て、マサヒデの横に並んだ。


「お待たせしました」


「お疲れ様でした。イマイさんは喜んでいたでしょう」


「ええ。それはもう、子供のように」


「ははは! ラディさんもイマイさんも子供ですか」


 くすっとカオルが笑う。


「そう言えば、晴れたら柄巻師に持っていくとか。

 明日も降るんですよね」


「この様子では確実に。明後日も降るかと」


「ふむ」


「雲切丸は持ち出せませんが、イエヨシは構いませんので、明日には必ず返して下さい、と伝えておきました」


「ははは!」


「ご主人様、洞窟には行けませんが、明日はどうなさいます」


「そろそろ、国王陛下に書簡を書きませんといけませんから、そちらを書き上げようかと思っています」


「陛下に書簡ですか? 何か大事でも?」


「いえ、そんな事ではありません。

 陛下から、たまにで良いから、何があったか教えて欲しいと言われてるんです」


「陛下がそんな事を?」


「ええ。特に命令という訳でもないのですが、我々市井の者の生活をお楽しみに。

 役所や忍からの報告ではなく、直に教えて欲しいという事でしょう。

 当然、マツさんの事も知ってますし、そちらも気になるのでは・・・ふふふ」


 くすくす笑うマサヒデに、カオルが胡乱な顔を向ける。


「どうなさいました?」


「いえ、これ、マツさんと結婚すると決まった時に、国王陛下と通信で話した事で。

 あの時の私と言ったら・・・ふふふ」


「何か失礼な事でも」


「まあ、失礼と言えば失礼なんですが、マツさんが魔王の姫と聞いて、それは驚いてしまいましてね。怖ろしくて、それはもうまともに歩けない程で、ふらふらと」


「ご主人様が、そんなに? とても想像出来ませんが」


 マサヒデはちょっと傘を上げて、暗い雨の夜空を見上げ、


「今、何があっても結構落ち着いていられるのは、あの恐怖を乗り越えられたからです。いや、間違いなくそうでしょう。ふふ、マツさんと国王陛下のお陰ですね」


「恐怖ですか・・・」


「ええ。初めて会った頃は、マツさんには恐怖しか感じませんでしたよ。

 陛下のたった一言で、頭が真っ白になった私も、我に帰りましてね。

 あれが王という存在なんですね。声だけで。やはり違いますね」


「ご主人様、そんな王ばかりではありませんよ。

 人の国は色々な国が御座います。中には愚王や狂王などと呼ばれる者も。

 小蝿が王になった方がまだましだ、と言われる国も御座います」


「ええ、それは分かります。私は運が良かった。

 今の陛下の下で、暮らせているのですから」


「私もこの国の情報省に属する者として、鼻も高くなろうというものです」


「まあ、そういう訳で、命令ではありませんが、書簡は送ろうと考えています。

 あまりしょっちゅう送るのもなんですから、たまにですが」


「書くことは盛り沢山では御座いませんか。

 最近だけでも、町外れの貴族の屋敷での大立ち回り、コウアン、クロカワ先生に、魔力異常の洞窟と・・・」


「ええ。陛下にはつまらない事かもしれませんが」


 ぷ、とカオルが吹き出し、


「つまらないなどと言う事が御座いましょうか!

 このような派手な人生を送っておられるのは、ご主人様だけですよ!」


「人それぞれ、違う人生を送っているのです。

 派手か地味かは関係ありませんよ。只の庶民の生活です」


「あははは! 只の庶民だなんて! ご主人様、冗談が過ぎます!」


 こんなにカオルが大笑いするのは珍しい。


「何がおかしいんですか?」


「くくく、ご主人様は、只の庶民ではないという事です」


「まあ、一応は武術家見習いですが」


「そういう事では御座いませんよ。ふふふ。

 きっと、ご主人様が送った書簡は、物語として本になりますよ。

 冒険譚にでもなってしまうかも」


「ええ? 私がどこを冒険してるんです」


「冒険ばかりではありませんか」


「どこがです?」


 カオルは答えず、くすくす笑いながら、


「そうですとも。ご主人様は、冒険ばかりです」


 と言って、笑顔でマサヒデの横を歩く。



----------



 ばさ、と傘の雨水を払って、がらりと玄関を開ける。


「只今戻りました」


 ぱたぱたとマツが出て来て、手を付いて頭を下げる。


「お帰りなさいませ」


「皆さん、夕餉はもう済ませましたか」


「はい。マサヒデ様の方は」


「虎徹に行ってきました。職人街でしたからね」


「軍鶏鍋ですか?」


 マサヒデは上がり框に腰掛けて、濡れた足を拭きながら、


「今日は違います。鶏だしの梅干し汁という、さっぱりした物ですよ。

 これも美味しかったですね。

 締めに汁に白飯を入れて、さらっと」


「あら、それは美味しそうですね」


「ええ。良かったですよ。次は、魚料理を注文しようと思っています。

 タニガワ様は、魚も美味いって言ってましたからね」


「次は私達も誘って下さいませ」


「勿論ですとも」


 マツがふわっと風の魔術をかけると、さっと服が乾く。

 着込みも乾くから、大助かりだ。

 マサヒデが居間に上がると、クレールが頭を下げた。


「お帰りなさいませ!」


 シズクも顔を向けて、


「おかえり!」


 と、元気な声を掛けてくれる。

 2人は本を読んでいたようだ。


「先日持ってきた本ですか? 何を読んでるんです」


 クレールは膝に乗せていた本を上げ、


「私は年表です。この国の歴史を見てみようと」


「年表ですか?」


 年表。読んでいて面白いものだろうか?


「私はこれ。悪竜男爵。こないだのスライムの話でね。

 マサちゃん、こんなの読んでたんだー、ってね」


「ああ」


 冒険活劇。いかにも、シズクが好きそうな本だ。

 マサヒデが座ると、すすー、とカオルが入って来て湯呑を差し出す。


「どうも」


 続いて、マツも入って来て座る。

 揃った所で、マサヒデは疑問を尋ねてみる事にした。


「さて、皆さんにお聞きしたい事があるんですが」


 ん、と皆がマサヒデに顔を向ける。


「私って、冒険してますかね?」


「・・・」


 皆がしーん、と押し黙り、カオルが後ろで小さく笑った。


「私は日記みたいなものを書いて、国王陛下に送ってます。

 読んでいて楽しいでしょうかね?」


「あーははは!」


 シズクが声を上げて笑い出した。


「ぷ」


 と、クレールも口を抑える。


「うふふ。マサヒデ様、何を今更・・・」


 マツも笑っている。


「やっぱり、してるんですか? カオルさんも冒険ばかりだなんて言いますけど」


 皆が笑いながら、


「冒険、してるしてる! マサちゃんと一緒だと、毎日楽しいよ!」


「ですよね! 今迄生きてきて、こんなに充実した生活はありませんよ!」


「私もですよ。マサヒデ様の妻になって、本当に良かったです」


 マサヒデは首を傾げて、


「ううむ、そうですか。では、陛下もお楽しみ頂けるでしょうか」


「勿論ですとも! 陛下にお送りした書簡は、必ず後世まで残ります。

 本になって世に広まるかもしれませんよ」


「また、マツさんまでそんな事を言って。

 前にも、同じような事を言ってませんでした?」


「きっと、そうなります」


「うくく。本になったら買うよ。

 あの時、マサちゃんは何してた、何考えてたって読ませてもらうからね」


「楽しみですね!」


 皆が顔を合せて、くすくすと笑う。


「ううむ。それは少し恥ずかしいような」


「あら。何かお恥ずかしい事でも?」


「まあ、何と言いますか、色々と・・・

 陛下に送る物ですし、正直に隠さず書いているものですから」


 む、とクレールが眉を寄せて、年表を持ち上げ、


「マサヒデ様、この本やコウアンの事も書いてしまうのですか?

 まあ、本はお奉行様からお許しはもらってますけど。

 さすがに、あのコウアンの刀は大泥棒になっちゃいませんか?」


「む、そうでしたね・・・

 国宝の酒天切コウアンの兄弟刀となりますと、国も黙っていないでしょうか」


 すす、とカオルが膝を進め、


「ご主人様。雲切丸についてはこうお伝えしましょう。

 誰の作かは分からないが、大事にされていた古刀らしく、試しに研いでみた。

 研いで見れば中々良く、自分の手にも馴染むので、使うことにした。

 年鑑には載っておらず、誰の作かは不明、何処かの地方刀匠の会心作だろうか。

 このような感じで良いかと」


「そうか、そうだった! カオルさん、良い所を突きますね!

 確かに、今の刀剣年鑑には載っていない作です。正体不明で良いんだ。

 マツさん、これで良いでしょうか?」


 マツに顔を向けると、マツも頷いて、


「後々、正体が分かったとお伝えした方が良いでしょう。

 文化省に知られれば、きっと面倒な事になりますよ。

 半ば無理矢理に買い上げられて、美術館に並ぶ事になります」


「む、それは嫌ですね」


「ご安心下さい。マサヒデ様が持つに相応しい、と陛下だけでなく、周りの貴族や政治家にも知られれば、持っていかれるような事はありません」


「あの雲切丸に相応しい、と言いますと、やはり剣聖でしょうか。

 父上も、世界で只1人、月斗魔神を個人蔵で持ってますが・・・

 しかし、あんな力はないから、それなりに名が売れれば良いのでしょうか?」


 マツはくすっと笑って、


「うふふ。簡単な解決策が御座います。うちに婿入りとしましょう。

 そうなれば、誰も文句は言いませんよ。

 クレール様も、魔王の息子に嫁入りで、万事上手くいきます!」


「ははは! 魔王様、万歳ですね!」


「ご主人様。魔剣の個人蔵もあります。肩書も力と言う事です」


 マサヒデはうんざりした顔で、


「はあ、肩書ですか。正直に言いますが、貴族は面倒です。

 貴族になるなら、剣聖になりたいですね」


「ひゃー、貴族になりたくないから剣聖になりたい、ときたね!

 余裕あるー! こりゃあ剣聖になっちゃうって!」


 シズクがからかうように声を上げ、皆も笑う。

 雨の夜も、魔術師協会は賑やかだ。

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